2012年7月4日

奥noto ツアー。

新しい道路や建物になっているにもかかわらず、どこかちゃっちいwajimaの市街地ゆえに、monzen町などは、さらにさびしい風景がひろがっていると思いながら、kuroshima地区北前船さかんのころの廻船問屋だった旧家を見にゆきました。さびしかったです。が、よきあきらめのような、たおやかな空気を感じました。kuroshima地区は高給とりの船員だった方などが多くて、金銭的ゆたかであるということもあるのでしょうが、それだけではない質実な空気を感じました。その思いは旧家の中をガイドの方にしっかりと案内されて裏打ちされました。建物自体の構造もさることながら、自前の船で日本中から商品を買い付け、売りさばく才覚と最大で一航海で一億円を超えるお金をまわす度量に、並々ならぬ気合を感じました。なぜ総持寺のような曹洞宗教団の本山がこんな壁地にあったのかという疑問も、若干解消しました。教科書で習ったほど、日本海側は太平洋側に劣っているわけではなかった。僻地ではあったけれども、当時の物流にて主流であった海運のルートとしての大きな海が目の前に広がっていたのだった。
もっとも感動した風景。玄関を入ってすぐにある帳場。複式簿記にまさるともおとらない帳簿システムが日本にはあったのです。wajimaには頼母子(たのもし)という無尽講のシステムが今でも盛んです。銀行法の網の目にかからない超ローカルな金融システムです。そこでは現在もっとも失われてしまった経済活動における倫理が前提とされているのです。
離れ。(主人の個室)上り旗をあげた船の入港を、ここで望遠鏡をもって待ちます。
もともと、wajimaの市街地などは人や物の出入り口として作られた臨時の町だったのです。そんなもともと太平洋側に対する巨大なコンプレックスによってできあがった場所が、いまだにそのような心性で、舞台のセットのようにして、つぎはぎされていくのとは違って、前向きなあきらめによって極端に町を変えない楔のようなものがあるような気がする。monzen町は。なぜwajima cityに編入してしまったのだろう。もったいない。下品な観光都市の仲間のように見られてしまうじゃないか。

続いて、日本最大の現存寺院ではないかと言われる、阿岸本誓寺を参詣いたしました。背後に椎のうっそうとした森を抱えて、静かに建っておりました。
父によれば、親戚なんだそうだ。


morishitaさんと最後はつりをしました。何十年ぶりでしょうか。海もひさしぶりでした。
笹竿。エサはスーパーのいわし。

ギャット(カエルの方言か)ハチメ。すまんなあ。

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