2012年6月6日

お百姓さん。

 旧柳田村を通ると、尋常ではない丁寧さで草刈のなされた田んぼがあります。奥能登は全体的にそのような傾向があるのですが、ここのは更にその上を行っている。職人が壁を塗ったようにして、それが普通の光景としてある。同時に、草刈がなされていなかったり、刈ってあっても、どこかちょっと違う田んぼも増えてきた。ひがな一日じんまりと草をつんでいるおばあちゃんも減ってきている。一気に丁寧な田んぼが減っていくのかもしれない。経済成長を経ても、なお受け継がれてきた丁寧な田園風景が変わってしまうかもしれない。上手に田んぼを仕上げる人は居続けるだろうが、どべっとアゼ際にたたずむ農夫はいなくなってしまうだろう。単に心を込めて田畑に向かうのではなくて、ただ風景としてしっくりと佇む農夫が居なくなってしまうのだろう。徐々にではなく、急激に消えてしまうのだろう。
旧柳田村 某所にて。
にしても、左官仕事のようなアゼ塗りが消えて久しい。


「働かなければ食ってゆけない」――我々が生きる世界は苛酷だ。しかも「働く」ことが「賃金を得る」ことを意味している。資本主義経済は労働を貧しいものに変えてしまった。そして食べることと働くことを完全に切り離すことに成功した。

 等価交換の幻想を支配しているのは金融と流通である。そしてこの舞台に広告会社とメディアが演出を施す。経済の実態は消費という反応に堕してしまった。

ブログ 「古本屋の殴り書き」より、コピーさせていただきました。

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