コロガシていて、足が小石を踏むことがある。あゆみを止めて、拾うかと一瞬思う。が、決してめんどうくさいわけではないが、次の一歩を踏み出してしまうと、戻っても再びあの小石を見つけることは困難だ。深水が透き透っていれば足跡をたどれば再び小石を踏むことはできるでしょう。が、メコンの濁流のように、深水は濁っている。泡でぶくぶくしている。なによりも、そんなのはやっぱりめんどうくさい。田んぼってあぜで囲まれた有限なスペースなのに、俺の感官ではほぼ無限大に広いなあと思う。野外というのは、田んぼに限らず、目の前で何気なく落としたネジが永遠に見つからなくなることがある。外ってのは怖いもんだ。
水まわりが始まり、毎朝、田んぼを見にいきます。水まわりだから水がどれくらい溜まっているかを見るわけだが、本来は稲の姿や草や田んぼのまわりを見るということだろう。コロガシていても、稲とまわりに視線を集中させようとする。それは稲のため、お米のため、お金のため、ムラのため、地球のため。結句、自意識ばかりを見ることになる。田んぼの水位はその単なる象徴というか、氷山の一角。ふと現れる宿敵たち、コナギやクログァイの小さな芽を見つけて始めて、稲の存在に気づいている不思議。我が大脳は関係性の網目をくぐったものしか理解ができないことに気づく。なんと膨大な量のものを見ていながら、見えていないことか。もったいないではすまないような気がする。
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| 田植え花の色もくすみました。 |
コロガシは今回はここまで。残りの田んぼは田植え以後、日数が経っていないので、まだ活着(大地に根付く)しておらず、3日ほど経過を見ます。本当の意味で、一区切りです。
追記。
米ぬか散布量。
sakata1 2
sakata2 1.5
sakata3 2.5
sakata4 2.5
ばばなき田 4
銀座田1 1
銀座田2 1.5
神社前田1 1.3
神社前田2 2.5
神社前田3 3
Sさん田(自) 3
Tshoten裏1 1.5
Tshoten裏2 2
Yshoten裏3 2
ばばなき田2 4.5
tajiri田 1
ばばなき田向 4 昨年早苗が全く活着せずhttp://youtu.be/7zFElTEdWzQ、草が優先化してし まったので、未散布でした。
Sさん田(林) 3
四角田 1 1/3、活着不十分にて、コロガシをここで終えました。

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