2012年5月27日

シロカキ。(4)

いつもなら、夕暮れ近くになってもシロカキを続けていたり、田植えをして疲れたあという状態で舞い散る米ぬかを浴びていたりしていたのですが、今シーズンはすこぶる仕事が順調で、午前中に終わってしまうこともあります。土曜日の半ドンみたいな感じですごく得した気分で、身体もあまり疲れていないので、午後思わぬほど畑仕事が進みます。やはり、人が多いというのが最大の理由です。助っ人(もはや誰か助っ人という領域を出ている)たちも、田んぼというフィールドにて、何千年と繰り返されてきたことを感じ取ってくれていて、次はここだねみたいに、自身で仕事を見つけてくれます。このような流れになったことをありがたく思います。もしも田んぼという美しき規範に誰か特定の指導者がいてそれに追随するだけならば、このような連日の単調な繰り返しは耐えられないなあと思います。
自分の田んぼ、なんて思った途端に地獄行きのような気がいたします。さても自分自身という存在に対して、言うまでもなく自分のものと思っているのだとしたら、どんなにポジティブであっても、仮にもネガティブであったとしても、そのような状態では、あたらしいものなど生まれようがないように思います。GNPのような金銭に換算された生産物の総量の増減だけが最終目的なのだとしたら、そのような指標が抽出されるシステムなど、最初から砂上の楼閣を築く運命しか持たないように思います。
などという分析を行なっているjusai自身が既に罠にもはまっている。妄想として自分は自分のものではないと連想すると、そのことを妄想ではなくほんとうに実現できたら、その瞬間こそ、自分自身そのものが現れるような気がする。瞬間ゆえに毎回毎回同じことを繰り返さざるを得ない。そんなこと自分の根性だとか、美しい心だとか、とにかく自分として行うことは不可能なのだと諦めざるを得ない。ような気がいたします。自分のがんばりなど有限で、儚い夢だ。
田んぼではそうした思考活動ですらも、カッコーやフクロウや殿様ガエルや水や泥や小川やトラクターなどのすべての音とともに一度きりで過ぎ去ってしまうのです。お米が実っている頃には誰も何も覚えていないと思う。消えてしまったがゆえに、本当にあったことなんだと、田んぼが、田んぼの土がすべてを覚えてくれているのだ。連日、おひさまの元遊んでいるように思える。すいませんです。

左  Nさん田んぼ。中  yoromi四角田。  右  yoromiばばなき田んぼ向い。
yoromiばばなき田んぼ向い

午後からgenさんとsouruで田植えもしました。

苗箱  32

米ぬか  不散布。




yoromi四角田

午後より田植えいたしました。

苗箱  11

米ぬか 1



yoromiNさん田んぼ


この田んぼを含めて、同じ水系にある田んぼは豊富で温い川からの恵みに潤っております。用水に流れる量も取水口にてNさんが見ていただいているようです。



Kばあちゃん田んぼ

じわじわと水が漏れる場所があり、アゼを踏むもじわじわが止まらない。長くこの田んぼを世話していたgenさんになんとかしてくださいと言うと、どっかそのへんをじわじわなんかすると止まるよと言いました。kobayashiRさんに言われたそうです。で、田んぼ仕事を終えて帰る時になにげに見ると止まっていました。あきらめることも大事なのかと思いました。



カーブミラー田

トラクターにトラブル発生。村田住職とgenさんとjusaiの3人でじわじわと何かをやっていたら解決しました。



角田

いよいよ、yoromi田んぼ街道に戻って来ました。


右の田んぼ  角田。

このサイクルもあとちょっとです。^^。




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