2012年4月11日

お米のたねまき。

苗作りは人手のいる仕事が多い。30年前に稲作を始めた時は田植えも草取りも稲刈りもすべて、手作業でよろみ村のみんなもまだ若くて、自分たちのお米をつくるぞという気概もあって、素人集団だが、ドサクサのようにも見えて、でもなんとか収穫の喜びを達成していたらしい。だんだん、技術も向上して、さまざまな農法を実行しながら田んぼの数も収量も増えてそれなりに収入も得るようになった。近年は田植え機やコンバインも使いこなし、炎天下の草取りも米ぬか散布による除草が上手になって大人数が田んぼにいるという光景も少なくなった。
それでも苗作りや草取りや稲刈りの時に人の手ができるだけたくさんあって欲しい時は少なくない。どうも私は人に手伝ってもらうのが苦手だ。給料を払うこともできないし、そこにあるのはよろみ村のような暮らしへの共感に負うところが大きいように思うのだ。これまでは龍昌寺の住職の個人的な魅力によるものがほとんどであったのではないかと思う。私にはそのような個人的な魅力など皆無であるのだから、今後のよろみ村の米作りを思う悲観的にならざるを得ない。田んぼの数を減らして、自分たちの米だけだったら何とかなるかいなと思う。そこではよろみ村のあり方が大きく変わるのだと思う。
にしても、よろみ村とはいったい何なんだろうという疑問の答えが益々むずかしいものになっていく。もしや田んぼをしなくなったらよろみ村に居る必要など全く無いというところが正直なところだ。住職に出会い、田んぼをしはじめ、仏教のようなものを少々学び、得度をしたのだが、自分は一体何をやりたいのかと考えることと、4人の子供のいる家庭そのものをどうしたらいいのか、金銭的な部分をどうしたらいいのかということが二つ混じることもなく並存している。一方を考えると他の一方は消える。
そうしたところに、いわゆる普通の暮らし方とは違うあり方をしているよろみ村の将来という影が指す。そうした三本が全く相容れあうことなく並存している。
朝のお勤めをさぼって、タバコをプカプカするということを最近はしている。誰もとがめるものは居ない。妻も子供たちも一切、お父さんはいったい何をしているのと言ってもくれない。とにかく目の前にあることや起きることを何とか処理していくのがやっとやっとの日々を続けていくしかない。でも、今のような米作りのやり方はもう長くないような気がしている。
土入れされた苗箱にたねまき。

住職がペダルを回すとたねまきと覆土がされて出てくる。

並べていく。

880枚完成。もらった苗箱ゆえに、いろいろ種類(規格や寸法が微妙に違う)があります。
げんさん、わじゅさん、佐藤さん、すみちゃん、私の5人が参加。佐藤さんは明朝、帰られます。ほんとに助かりました。ありがとうございました。

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