三つ子の魂の中のふるさとは停止したままです。舗装されていない道に根雪の冬。信号が初めてついた場所や初めての三階建ての建物をわざわざ見に行ったふるさとが標準となっている。全国展開されているスーパーや電気屋に行く自分に強烈な違和感がある。恥ずかしい。今は無き鉄道駅のホームの行き先表示の向こう側にはシベリアと書いてあったのは決して、冗談ではなかったのだと、今なら本気で思う。端っこ。日本の裏側で、しかも半島の突端の終着駅。暗くて寒いのはお天気なのか住民の心性なのかあいまいなまま中年となってしまった身からすれば、情報とマニュアルだけが光のようにおしよせてきていて、あたかもずうっと昔からこういう暮らしをしてきましたみたいな顔をして方言の駆逐されたレジや受付のマニュアルを必死になって笑いをこらえながら待つのはちょっと苦手です。なんだか恥ずかしい。
でも、日本の産業資本はあなどれない。コンビニの日本的発展は官民町内会一体となってもはや日本文化の一端を担いはじめているのではないだろうか。土日に息をついていた債務者に猶予を与えず、ほぼ全ての公共料金の滞納を支払えるようになっているのではないか。よく知らんけど。
けっこう好きです。簡易~器。買ってしまった。 |
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