2011年5月15日

夏目漱石より

其他只修辞と云ふ様な事を巧くやれば文章家だともてはやすが、其れも大したもの

でない、文章と云ふものは、畢竟物でも人間でも其れを如何に解釈するかゞ現はれ
るもの、即ちこれが文章である、その解釈は人によりて違ひ、又合することもあろ

うが、兎に角、その解釈の方法が、巧く出来れば巧い文章である、此の解釈とは広

い言葉だが、物の解釈は色々出来る、例えば暑さ寒さは寒暖計で解釈できる(中略)

其れで総て其の解釈の為具合、自分を解釈する、人を解釈する、天地を解釈する工

合が文章になって現はれる、その解釈に於て人と一風違ふた文章家となる理由で、

解釈が人より深ければ勝れたる文章家になられる、で文章は字を知るよりは寧ろ物

を観察することに帰着する、其れから又物を如何に感ずるかに帰着する。

 この感じとか、観察とかを巧く養成すれば、巧い文章家が出来る、其れだから言

文一致、雅俗折衷などゝ云ふは、抑も末の話だ、(中略)

観察と云ふことを云ふたが(中略)物を観察すると云ふ事は日本人の中には余程発

達していないと思ふ。(中略)で、平生心がけて世の中を明瞭に見ると云ふことが

文章家に必要であるまいか、(中略)

実は目前にあるつまらない器物も悉く材料であったのである。

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