それぞれの場で職責が違っていて、その場その場にて、いったい何をどうやればがわからず、おろおろするばかりでした。しかしそんな私はどうでもよく、きちんと行事はこなされていたのだろうと思います。
自分の意見があるかどうかは別として、組織として物事が決っていく過程を決定づけるのは何なのだろうかと思いました。何気ない冗談が話し合いの中で重要な役割を果たしたり、明確な意思を持って考え抜いた自分の意見が全く反映されることがなかったりするのだなあと思いました。正直言ってほんとうにまどろっこしくて、めんどうくさいというのが本音です。
でも授業参観にて、子供たちの後姿を見ていて、涙が出そうになりそうな瞬間がありました。子供たちはあっというまに思春期を向かえ、大人になってしまうのだが、小学校高学年の子供たちが一生懸命にものを考えようとしている姿はまさしく、未来にだけ向かっているのです。大人の責任はとてつもなく重いと思いました。彼らはまさしくかつての私であります。そう考える時、めんどうくさいやまどろっこしいは私にエネルギーを与えてくれます。決して子供好きではないけれども、なんか一つやったらななーと思います。
さて何をやればいいのだろうか。とにかく、自分の身のまわりからはじめるより方法はありません。ひとつひとつ自分がよいと思うことを実行していくより手立てはありません。きれいごとばかりを考えたがる自分を発見させてもらえた貴重な一日でした。子供たち、ほんとにありがとう。
母校の中学校。桜が満開でした。 |
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