白菜の結球が悪い。種の古いものを使ったからだろうと思ったが、知恵者に聞くと苗の定植の時期がちょっと遅かったのかもと言われた。予定をたててやるのだが、どんどん消えゆく古老たちは自分の時計というか予定表を体に刻んでおり、わざわざカレンダーと相談して種蒔きその他をやっていたのではないのではないかと思う。手編みのかごや、仕事や生活の道具類をおおむね自作でまかなってきた古老たちは生活者の部分と仕事の部分と余暇とがわれわれの世代のようにはっきりと区別されているのではなく、それらが渾然一体となった時間そのものを、己が身体とともに過ごしてきたのではないか。民俗学的調査すら不可能だった一つのフィールドが今消えようとしているのではないか。
ダライラマ14世が絶賛する古代と現代との見事な共存した姿が日本から消えようとしている。そして民俗学的博物館のような復元都市が各所にできることだろう。そこで人はむずかしい配役をせまられるのだろう。
こんなもんつくれやしねえ。 |
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