2011年12月15日

しったくせぇ(少ししか知りもしないことを全部知っているように見せやがって)JUSAIが人に言われると最も傷つく輪島方言であります。

予想外の好天の中で、じいさんが土手の草刈をていねいにしている。あれって、自分の土地だからだけなのかと思う。能登以外の土地をあんまり見たことがないのだが、全国的にもかなりていねいに手入れ、目入れがされた土地柄なのではないだろうか。畦ぬりもまるで左官の手間賃仕事みたいにていねいだ。若いころはまわりに対する見栄だと思っていたのだが、それだけではない何かを最近感じる。世代が少し若返ってそうしたていねいな仕事ぶりが消えそうだから、なおさらそう思うのかもしれない。
白菜の結球が悪い。種の古いものを使ったからだろうと思ったが、知恵者に聞くと苗の定植の時期がちょっと遅かったのかもと言われた。予定をたててやるのだが、どんどん消えゆく古老たちは自分の時計というか予定表を体に刻んでおり、わざわざカレンダーと相談して種蒔きその他をやっていたのではないのではないかと思う。手編みのかごや、仕事や生活の道具類をおおむね自作でまかなってきた古老たちは生活者の部分と仕事の部分と余暇とがわれわれの世代のようにはっきりと区別されているのではなく、それらが渾然一体となった時間そのものを、己が身体とともに過ごしてきたのではないか。民俗学的調査すら不可能だった一つのフィールドが今消えようとしているのではないか。
ダライラマ14世が絶賛する古代と現代との見事な共存した姿が日本から消えようとしている。そして民俗学的博物館のような復元都市が各所にできることだろう。そこで人はむずかしい配役をせまられるのだろう。
こんなもんつくれやしねえ。

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