2014年4月13日

水と緑を守る市民連絡会は解散してません。

 資本主義は、もっぱら批判されるものとしてあるが、実はわれわれの意識の初期段階からわれわれとともにある。エコというコピーは商品に対するコピーでもあるが、われわれ自身がエコとともに生まれたのである。
 だから素直に正直に金を稼ごうとする行為そのものの欺瞞に気付けくことができない。自然破壊が開発とカテゴライズされ、無自覚に人を傷つけても、痛痒がなかったりする。昨年より、与呂見周辺の植林が刈り出されている。与呂見地区の人達が祖先の木を始末するために個別にやっているものと思っていたが、伐採業者がヒト山幾らで伐採権を買い取り、与呂見じゅうの植林を刈るらしい。たった十数本刈り出すために重機が長年培われてきた風景を一変させる。キャタピラー車が入りさへすればよいコンビニエンスな林道がである。彼らはコスト以上の金になるからと自然破壊などという自覚無く、ビジネスとして今日の流れ作業として重機や大型トラックをオペレートしているに違いない。この怒りを彼らにぶつけてもタコが自分の足を食うようなものだ。
 廃村、限界集落の問題に帰してはならない。心して、許してはならないものを許してはならないと思う。すこしづず、すこしずつ積み上げてきた文化がいとも簡単にくずれる。大型化、精密化し続ける機械システムは千年かかった表土を数秒でなくす。われわれの無自覚化が加速する。AIの言うことをもろ手をあげて信仰する。


こぼれ種(梅干しに不適とされた)だぜ。