2013年1月31日

教育委員会。

うち猫は日向ぼっこ。

野良ネコは日陰を。
明日、輪島市内の中学校統合の勉強会のようなものがあるので、これまでの顛末を整理しようと資料を読み返したのだが、教育委員会側の資料は、市民が疑問に思うだろうことについて、ピックアップ上手なのだが、市民がなぜそのような疑問を持つに至ったのかということについては、まことに鈍感だ。わざとはぐらかしているんだとしたら相当な能力なのだが。
 しかし、自分の疑問の持ち方も、少し甘いな。それに疑問が晴れてほしいと本気で思っていない。子供たちひとりひとりが違うことを考えていて、学校に対する風景も全部違うときているから、なおさらやっかいだ。教育という意志で本来、自由な児童を囲い込むのだから、最初から矛盾をもはらんでいる。
 考えるに、子供は未来そのものだなと思う。そして、もっと考えるに私たち大人は、自分たちの不始末を子供におしつけるのが上手だ。子供たちは必ず大人になって消えてしまうもんだと、高をくくっているのだ。金をかけとけばいい。新しい学校を与えればいい。その後は自分でものを考えろ。だ。
 小さな成功の連続でここまでになった人類は、今や、失敗の悪循環のような自意識に閉じこめられているのだ。そのことに気づかないようにすることが進化することだと。
 

2013年1月29日

佐野明弘 安富歩 対談。同朋新聞658~659号から。

feed わじゅカタル
魂の脱植民地化 前篇1
魂の脱植民地化 前篇2
魂の脱植民地化 前篇3
魂の脱植民地化 後編1
魂の脱植民地化 後編2
魂の脱植民地化 後編3

第1回~第6回のタブをクリックして、東本願寺のサイトに行ってください。スピーカーのサムネイルをクリックすると佐野さんの音声を聞くことができます。↓

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ラジオ放送『東本願寺の時間』 | 東本願寺

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佐野 明弘(石川県 光闡坊)
第1話 今、いのちがあなたを生きている 人間といういのちの相(すがた)  [2007.1.]
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おはようございます。今朝から6回にわたり、ごいっしょにご聴聞の時をいただくことでございます。
「今、いのちがあなたを生きている」宗祖親鸞聖人750回御遠忌を2011年にお迎えするにあたり、このお言葉がテーマとして掲げられました。
「今、いのちがあなたを生きている」この言葉を受けとる私、それはいったいどんないのちを生きているのかと言いますと、それは、「人間」といういのちであります。このことに間違いはないのです。しかしそれでは私自身が人間といういのちを生きて来たと本当に言えるのかと言いますと、実はそのようなことは考えたこともなかったことであります。ただただ私は私はといって今日まで生きて来たのです。自分が人間といういのちを生きているというそのことを受けとったことがなかったのであります。みなさんはどうでしょうか。一日でも人間として生きたといえる日があるでしょうか。いのちが人間といういのちの相(すがた)をとって生きているそれが私だと。人間というのは私のことだと、受けとったことがないのではないでしょうか。このテーマから何かそのようなことを考えさせられることであります。
そこで今回はこのテーマに「人間といういのちの相」というサブテーマをもうけたいと思うのです。このサブテーマはすでに東本願寺が発行している『同朋新聞』等でとりあげられているものですが、私も今回は「今、いのちがあなたを生きている」というテーマから「人間といういのちの相」ということでおはなししたいと思っております。
本願寺第八代の蓮如上人が書かれた白骨の御文の冒頭に「それ、人間の浮生(ふしょう)なる相を」とおっしゃられております。人間といういのちの相を浮生というお言葉でおさえられているのであります。浮生とは浮くと生きると書きますが、水草のように根が地につかず、たしかなよりどころをもたない、そういう存在であるというわけです。思えばこの世の中にたしかなよりどころとなるものは何ひとつなく、人間関係にも苦しみ、結局何もあてにできず、最後にはやはり自分だけが頼りです。しかし、その最後のたのみの自分もまた、何しに生まれて来たのか、どう生きるべきか、どっちを向いて死んでゆけばいいのかそれがわかりません。自分の事でありながらこの自分の生き方、あり方、その根拠となるものがありません。気がついたら放り出されたようにこの世にいて、ここに存在しているというそのことにすら根拠をもっていないのです。さらにいつ果てるとも知れぬはかなき身であります。そして迷いまわり罪を重ねている。この人間といういのちの相を蓮如上人は浮生というお言葉で押さえられているのであります。さらにその人間の浮生なる相とは要するにどういうものかといえば、蓮如上人は御文の最後にそれは「念仏もうすべきものなり」と言われています。人間というもの、それは念仏申すべきものであるとおさえられているのです。
つまり、この人間の身とは、老いたるものも若きものも、男も女も、善人も悪人も、賢いものも愚かなものも、念仏をしているものもそうでないものも、信心があるものも無いものも、教えを聞いているものも聞いていないものも、何教の信者であろうと、喜んでいようがいまいが、およそ一切を問わず、人間である限りすべてのものがはじめから念仏申すべき身として生まれてきているのである、と蓮如上人は言われるのです。
白骨の御文といいますと、真宗門徒の方はみな「われやさき人やさき今日ともしらずあすともしらず」というところばかりうなずいていますが、この最後「念仏もうすべきものなり」というところが大切なのであります。

    2013年1月28日

    勉強会。初日。

     農閑期というより、雪で何もできない僻地ということに甘えて、冬休みだと豪語してきたのですが、老齢による体力低下やピークをむかえつつある子育てでのコストアップなどなどの理由でなかなかのんびりできないなあと思いながら、やっぱり脳みそが熔けそうな時もあったりして、最近テレビでは、ものすごく立派なお父さんが出てきたりして、末娘の手前、もはやダメおやじでごめんねと言う気も失せて、それでも今、このようにしてあるしか手がないのだからと、気をとりなおしながら、生きております。
     さて今日は勉強会であります。先生は佐野さん。(2011年冬の勉強会→)もはやかってに思っているのは、お坊さんから何かを得ようなんて思うのがまちがいのはじまりなんで、お坊さんがいたら、その香りを素直にをかげばよいのだということであります。お坊さんの持っている経験やその他もろもろが、たとえものすごく、価値が高くて有用であっても、そのお坊さん全体を味わうには、かえって、有用であればあるほど、邪魔なものになっているのだということに、思いをはせることこそが、お坊さんに最も敬意をはらうことなんであると思うのです。仏教は本来、不立文字なのであり、どのような偶像もないのだし、当然のことながら集団という志向性はゼロなのであります。ブッダもダルマも当然のごとく、自らが自らの最大にして、最愛の解釈者なのであります。
    なんとなく思うのは、最大の敵のもとでもっとも輝くのがbuddhismもしくは禅なのであります。敵は文字ではなく言語なのです。ご立派なお坊さんですねとご本人に言うことこそが、眼前に立つつるつる頭の人の全存在を否定することなのではないだろうか。
    この経本は、西川家の仏壇の引き出しに入れてあったもので、七尾市常福寺よりと裏書されている。筆跡がばあちゃんかな。わからない。じいちゃんの父ちゃんが能登島から輪島市に来て雑貨屋を開いたのだが、お墓の竿の部分だけが能登島に残っていて、それを輪島に持って来た時にお世話になったのかな。顛末はわからないが、佐野さんの勉強会で役立つことこの上なしです。ずっと仏壇に入っていたせいで線香の香りが染みついているのも、ええ感じなんです。

     と、ここまでが勉強会前に入力したものでした。さて勉強会も終わり、再びテキストに向かっております。信心ということと、礼拝するということ、そして南無阿弥陀仏の名号と、仏の話でした。何か良くなるなどの目的を持った信心でも、浄土に運んでもらえるのだが、その浄土は花の咲かないプラスティックのような花々に囲まれていて、苦は何ひとつないのだが、ものすごく退屈なのだそうだ。ある時、如来がその浄土を護っている弥勒菩薩にそこにたどりついた男のことを尋ねたのだそうだ。「この男は、なんとかしてここを出ようとしております」というような状態なのだそうだ。では、今度は、私が何か、よくなるような志向性でもって信心するようなことは、かえって邪魔になるのですかと尋ねると、佐野さんが答えてくれる。「救いがないということに気付いた時に初めて、仏の方から私という状態にむかって一つの矢印がむかってくる。そのことぐるみのありようが救いなのです」救いのないことが救いなのである。これは論理でも物語でもなく、現実の様をそのまま表したことばであると、私は受け取りました。在るという時の在は現実であり、事実そのもののことなのだと。
     例のごとく、参加者が何かを輪番でしゃべらんといかんかったのですが、その中にyuikaちゃんという可愛らしい中学生がおったのですが、その話がもっとも的を得ていたなあ。
    「ムズかしくて、ワケがわかりませんでした」やっぱり、チュウボウはすげえと思ったのでした。



    2013年1月27日

    水、出ました。

     すみません。きっとわじゅさんが治すだろうぐらいにしか思ってないんですよ。と言うとそれはしょうがないと言われました。

    目印がないと、途方にくれる。この場所を探すのにけっこう時間がかかりました。
     よし、これで水がタンクに入るだろうと思って2回だめでした。で、3回目、やっぱり入らず、あたりは真っ暗になってしまい、とても寒かったです。最もやっかいな、凍結ではないかということになり、湯を沸かしてパイプにかけたり、バーナーで配管をあぶったりして。「明日でいいんじゃないすか」「明日、勉強会やぞ」「…」「とにかくポンプ、もう一回ダメ元でつけて終わるか」
    やっぱり出ないなあとタンクを後に家に帰ろうとしていたら、ごぼっごぼっと音がしました。水がちょろちょと。そして水が出たのでした。
    出るようにつくってあるのだから出てあたりまえなのですが、奇跡のように思います。で、水道をひねると水が出るのがあたりまえのようになります。このくりかえしをもう、何回やっただろうか。

    神事。


    face bookにアップされた「あえのこと」神事の動画を見ていたら、どこぞの外人さんが珠洲市のsumaki地区で行われている、冬の間、田の神様を戸主が自宅にてもてなし続け
    る行事を紹介していた。ユネスコの文字もあり、地球の裏側からやってきた異文化の人たちが、エスニックに東洋を紹介してんだろと思っていた。しかし、外人さんが裃を身につけて、神さまを迎えるシーンとなって、ふと思う。この人どこかで見たことがある。ネイティブなアメリカ英語にだまされていたが、声にも聞き覚えがある。珠洲、すず。そうかキャロラインさんではないか。画面の外人さんが、いきなり知っている人になると動画が一変する。妙に、落ち着いて、静かに正確に奥能登の空気感をうまく出してやがんなあと思ってたんだなぞと言い訳もする。かの外人女性は珠洲に暮らしているのである。(しばらく音信がないので正確な情報はわかりません)
     そんなに親しいという感じではなかったのですが、ハスキー犬を預かったことがありました。ちょうど我が家にもハスキー犬を飼っていたのでした。♂のマルは♀のスカイに大喜びだったなあ。

    読んでいただけますでしょうか。

    読んでいただけますでしょうか2

    自家水道出ていないのでどよーんと落ち込んでおります。こんな時しか水があると言うこと感謝できないのですが。水さへ出るならば、どんなことでもするなんて思っている時の、どんなことでもほどあてにならない、祈りと誓いはないですね。困った時にだけ、出してくる神様の御身にもなってみよと。うーmm。

    訂正  キャロラインさんが裃を身につけてとありますが、羽織を羽織っているのみでした。(戸主しか裃を身につけちゃだめなのでしょうか)

    2013年1月25日

    漱石は文豪ではない。

    俳諧というメディアは、なんだか不親切に思える。パクッと私とも言えない私の瞬間を切り取ったかのように、あらゆる説明解釈を容認しているように思える。ということはどのような真実も私に関する限り無いと言明しているようなもんである。それに明治時代の俳人たちは、文字に関するエリートでもあるのだろうから、彼らが解釈を施せばほどこすほどに蕪村の俳句は奥深さを匂わせてくる。集中して読もうとして、まわりが静かだからといって文字面に集中できるわけでもなく、また、その気になれば、テレビがうるさかろうが、ぐぐっと入ってくる。誰も俺が読むことを邪魔なんかしていない。ということがわかる。文字のエリートのすごさは、所有している語彙の量や質ではなくて、文字に対する態度以外にはないのだろう。言葉を持つということがとてつもなく責任を課していたのだろう。以外に漢語の間違いを頻繁に犯していたのではないか。(こんな風に)
     そんなアナログな中、アンドロイドタブレットにて青空文庫の漱石を読んでいる。文字の大きさを変えればたちどころに、行数が変化する。字を大きくすると、やけに漱石の生々しさを感じたりしそうになる。あくまでも気のせいの世界のことを言っているのだから、それってほんとう?って聞かないでほしい。やけに津田はずるいやつだし、延子も。なんてこずるい夫婦だろうかと思う。小林はなんと、か弱い男かと思う。か弱いなんてもんじゃないな。なんとモロい男にしか見えない。だから津田を攻めきることができずにふんとに中途半端極まりない展開だ。吉川のおばはんが、なんとか場を展開させようとしているが果たしてどうだか。漱石は出ることかなわない迷宮に自家中毒していたんじゃないのか。なぜ、人にはFACTとFEELが同時に存在するのかが、数学的に理解できなかったのじゃないか。あの執拗な内面分析とセリフの連続自体が尋常ではない事件だと思う。
     蕪村句集講義にて、正岡子規が言っていた。「蕪村は読めば読むほどおもしろい」漱石もそうだよね。

    2013年1月20日

    feed 輪島市PTA連合会  輪島市PTA広報委員会

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    輪島市PTA連合会  輪島市PTA広報委員会

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    ■25年 1月20日(日) 13:30から

    輪島市文化会館 3Fで 行われた


    「輪島市教育討論会」


    第一部:講演会 「台湾の教育や輪島に来て思ったこと」

      講師 七浦 禎蓮(台湾出身)


    第二部:意見交換会



       










    Mさんはosakaの人だった!

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    1. PTA行事にて、市街地に行く。台北市出身で輪島市に嫁いできたキャリアの女性の講演に続いて、5人編成の小ユニット7個によるフリートークがありました。普通は前もってシナリオを作り、テーマも限定して行われるのが、こうした堅苦しい場での習慣でしたが、リーダーの「何も決めずに、ディスカッションの最中の気付きを大切にしたい」との方針で実施されました。
       何も決めずにということを決めているともいえるが、そんなことを言ったら「それをいっちゃおしまいよ」だと、思う。ひきこもり系には、意識のリハビリ、自分のこだわりを明らかにするなど、非常に効果的なセッションとなりました。自分では、やはり自分の否を肯定できないのだなあと。自分が無意識で肯定している自分の宝はひどく醜く妖しい光を放っているなあと。性格わるいなあと。
       PTAの連合会だから、市内全域の小中学校のPTA役員が結集していて、かなり広域の集合体が輪島市なのだなあと、実感しました。催しの場所が、公的行事の聖地たる文化会館で、図書館もあり、ちょっと寄りました。地域の歴史、奥能登の歴史をしるうえで面白そうな本は、ほとんどありませんでした。古いものとみんなが思っているものは、ほんとうは古くはないのです。せいぜい江戸以後の中央とのバランスを保つための文物を集めたにすぎない本が多い。
       当時のなまなましい人々の暮らしを書き記した文章はないかと探すが、よく考えてみれば、探している自分の鼻息がもっともなまなましいではないかと思う。そうか、自分は歴史的存在として今こうして歩いている。という気付きがうれしかったです。文化会館を出ると夕方、冬にしてはめずらしく、トワイライトな感じでよろしい。自分の目線がパノラマモードだ。と思ったのでした。自分自身がもっとも古いものと直接つながっているのでした。しかもそれは、一瞬でもとぎれたことがないのが驚きです。
       日本においてであろうが、外国においてであろうが、都市であろうが、村であろうがです。



      .
      .

    2013年1月19日

    明日は今年初の日雇い。

     アンドロイドタブレットでネットを見てばっかしです。便利っちゅうのはきりがないものだなあと思う。電磁場っちゅうのも、かなり身体に影響を及ぼしているのが感じられる。中毒だな。なかなか、離れられない。何かをやった感がないので、探すのだが、なんもないので困ります。時間が経つのがものすごく速くなっているので、なんとか適切な体感に戻したいのだが、PCやタブレットが作動している間は無理なのはわかっている。で、消して台所を掃除して、ダイコンを洗い、漬物の準備をし始めると、気分も身体も動いているのがうれしい。ダイコンの種まきは去年の9月9日だったなあ。米こうじは去年の12月20日に麹むろから出したなあとか、いろいろ思い出したりもできて、時間の長さもほんの少しは感じることができるのもうれしい。
     冬用の薪は貯金のような感じで思っているのだが、どんどんなくなっていくのも、なんだか気持がいい。探せば、いいものって結構あるもんだ。と思う。
    思わず、TV画面を撮っちまった。積み木みたいな箱はおそらく10トンコンテナだ。広大な敷地に整然と並んでいるのだ。中国のスケールはちょっと日本とケタが違うな。

    2013年1月16日

    有志集まる。

    キツネの足跡とのこと。(わじゅカタルを見よ)。


    イノシシの足跡がそっちん家にまで行ってるよ。とezakiYさんが言っていたのだが。
    中学校の統合、ちょっとおかしいんじゃねえのと思う人が集まるのはhaginoアトリエ。お弟子さんのようなたたずまいのオカジイと呼ばれている青年がいつもいる。haginoさんはkanazawa工大の講師もしていて、2007年の能登半島沖地震(もう風化しちゃいましたね)の時に壊れたwajima市街地の土蔵修復に夢中になって奥さんに苦言を呈されるほど現場も好きなようで、なおも、こうして有志をコーディネートする時間も捻出されます。jusaiが考えて何かを言ったりすると、抽象的だとふつうに分析をしてくれて、彼に言われるとああそうかと素直に思えます。東大に入る人のノートが美しいという内容の本がありましたが、そのとおりかと思わせるほど、彼のスケジュール帳はきれいです。ちらっとのぞくだけで、わかりやすさ満載。若い頃は、そうしたわかりやすさに抵抗しているようなところがありましたが、単なる抵抗でしたね。
     帰宅して妻にそう言うと、目の前の小さな水たまりを大海と見ようとしていると言われました。ただジャンプして向こうに行けばいいのに。俺ってhaginoさんと合わないねと言うと、としちゃんと合う人がいるのかな?と言われました。しかし、99パーセント自分の否を認められたとして、最後のそれがなかなか、すべてを認めることを拒むのであった。もしかしたら、この自意識ではすべての否を認めることは無理なんじゃないかと思える。自浄作用がないのはこの私も同じだと思える。いったいこの私は何を守ろうとしているのだろうか。守られているのはいったい何者なのだろうか。うまく言えると最高に嬉しいんだけれども。

    2013年1月15日

    Noto半島の古地図。

    平成と昭和の大合併以前の能登半島の地図を見ていると落ち着く。まだ村がほとんどで、要所にポツンと町がかろうじてある。町以上の属性は、どんどん抽象性が増していく。意識の上でしか存在できないような砂上の楼閣である。国や世界なんていうものにたどり着く。まつりごとではなくて、政治を必要とする。
     與呂見と重々しい名前が奥能登のほぼど真ん中に書いてある。往時はゆりかごから墓場まであらゆる世代がそろっていて、小学校の分校まであった。今はどうだろう。一番若い人で70才をこえていて、祭りのみこしも神社を出ない。そしてjusaiが言うようなyoromi村なんてのも。あるようでない。ないようである。妄想上のものだから、常に定義付けをしないと消えてしまう。そして区切られ、隔絶されながらも、足下には確かに地面がある。大地などというしゃれたものじゃない。チベット民族まぼろしの王国シャンバラのように解脱の後にあるような神秘でもない。
     誰に区切られずとも確かにある村は、もはや無く。また、これからたどり着く小さな点もなく。ただここに立っているしかないことに無常の寂しさと永遠の矢印を見つけてうれしいんだと思う。
    げんさんの薪山。垂直、水平きちんと出ている。

    昭和11年ごろの尋常小学校の教科書についていた。

    追記。

     用事で町に行ったら、コミュニティバスが走っていた。胴体には永井豪のマンガがデカデカと描かれてあった。jusaiが小学校低学年のころ、ハレンチ学園が全盛で、同級生や先輩たちと永井豪って輪島出身なんやてな。と、ひそひそ話していた。なぜ今頃になって美術館やら輪島市のIDに使うのだろう。なぜ、当時、支援しなかっとたのだろうか。やっぱりハレンチだぞ、バスが。

     

    2013年1月14日

    復活されました。

    JUSAI 123: 女性blogger去る。から


    ぬまゆのブログ(THE FINAL)へ。

    近況。

    From Evernote:

    ミニ農園日誌

    Clipped from: http://d.hatena.ne.jp/recording12/

    2013年01月14日

    太平洋側に雪、こちらは晴れ間あり風なし。

     いかに、人も物も車も飛行機も、あらゆるものが、ぎりぎりでやっているというのがわかります。失礼ながらあの程度の積雪で、マヒしている。マヒしたところばっかり探して映したのでもあろうが。インフレターゲットを設定したから、その分たいへんだ。
     日雇いにも行かずに、家でぶらぶらしているのにもかかわらず、薪ストーブの前で発泡酒ではなくビールを飲んでいるのは、なぜだろうか。成人式で着飾った女性が笑顔でたいへんですと言っている。同じ年の長女はアルバイトか?かたわらで、お父さんが傘をさして自分のはげ頭を濡らしている。父は80を超えて母は75を超えて、次男を下宿させてくれている。末娘が小学校から書き初めを持ち帰っていた。習い事をしている同級生に伍して、金賞だ。
     ようするに、家族のみなの、ある種犠牲があるからということも言える。で、私はそのような余裕の時間の中で、いったい何を考えているのか。漬物用のダイコンの掘り残しはないかということと、漠然と中学校の統合問題に対して、自分はいったい何をどう考えたらいいものかということぐらいなのであった。


    東京などの積雪のニュースに、ちょっとざまみろって思う。
    漬物用ダイコン積雪は60センチくらい。


    ハクサイをいれたギョーザ、美味。

    2013年1月10日

    新年会。

    erikoさんの血縁に、酒が入ると激変する人がいる。それほど、極端ではないが、私もその傾向がある。haginoさんのコーディネートで中学校統合を憂う有志が集まって呑んだのだが、説教というか、啓蒙というか、偉そうに人に語ろうとするみたいだ。末娘が言う。父ちゃんって、うざくなって、人にわけのわからないことを言うよね」「ほんとは、なんにもしゃべりたくないんだけど、沈黙がいやだから、しゃべるん」そもそも、すでに、偉そうですな。宿題でもないのに、文章を作るって行為じたいが、そのような性向を助長させているような気がする。
     nakauraさん、聞いてくれてありがとうございました。komukai女史、聞いてくれてありがとうございました。PTAから直接的には引退ですが、いつまでも、意識のある限り地域のお母さんでいてください。komukai女史もわかってくれたのだが、行政の諮問的な委員会がいろいろありますけど、本来、その場で話しているうちに出てくる方向がベターだと思いました。同様に、私っていったい今何を考えているのだろうという根源的な問いは、他者と何か(何でもいいから)をやりとりしていることと同時進行でしか、発生しないのだと思いました。問いが生じるのと、他者が現れるのは同時であろうか?わからないけれども、自分が何を考えたがっているのかは、うすうすわかるが、自分が今何を考えているかと考えること自体が、もはや、原始人とは根本的に違う次元に立たされているのだなあとも思ったのでした。
     むずかしく考えるつもりはないのだが、考えようとして考えられる人がいるとしたら、そいつは病気だと思う。また、思ったように話せる人がいるとしたら、そいつはあまりにも健全すぎると思う。
    自分の考えていることを傍観できる人がいるとしたら、そいつは絶対に私自身だ。自分の考えたことをそのまま口に出す以外に、人類を苦境から救う方法はないと思うんだ。

    2013年1月8日

    精進するんだ。

    久しぶりに読経をしました。わしの声に合わせてくれと懇願されているのにもかかわらず、いまだに合いません。第三者に尋ねてもそうなのだから、合っていないのは間違いないのだろう。この期におよんで、私はまだ、他人を疑っている。村田住職はわしの声が聞こえるでしょう。それじゃ合うわけがないとおっしゃいます。私もそう思うから、聞こえないようにと自分の声を調整しようとする。自分の声だと意識した時点で、もはや客観も絶対もなくなります。俺の大脳で聞きうるリズムとスピードを私の大脳を通した他者に強要しはじめます。ようするに、まったく合わないということ自体がわからなくなる。
     だが、問題は少しもややこしくないし、複雑でもない。ただ、それぞれがそれぞれのスピードを持って、尚且つみんなして、それを合わせようとしているということだ。音楽演奏に造詣のあるあーちゃんが言うとったな。「合わせようとした時点で合ってない」問題がとてもシンプルゆえに、とてつもなく簡単なひと手間で好い故に、今現在の私には、とてつもなく難しい。
     ということが今日、わかった。私の心と素直に出会おうとしないこの私がいけないんだ。仏道がどうちゃらとか、言語がどうちゃらとか、私とはどうちゃらとかなんぞ、その次でよかったんだ。

     追記
     げんさんは、さりげなく、音痴は許されるけど、リズム感は、みたいなことを言っていた。村田住職の木魚に照準を充てようとすると、村田住職のくせのある「森のくまさん」を思い出す。住職にしかできない、(まねできない)リズムなんだ。読経中、ほとんど声が聞こえないけいこさんは「合ってるわよ」と小さく笑う。謎は深まるばかりだが、謎を謎として放置することもありだな。
    どぶろく。甘酒に…。甘い。若い。これから。

    2013年1月7日

    あけましておめでとうございます。

     ドメスティックの意味もわからず、ただ個人的なこと、家の中のことみたいな感じで、FBで更新をしてきました。あいかわらず、言葉の意味はわからないのですが、自分の身のまわりのことだと我流をやっておりました。しかし、自分という輪郭をつかめるものならば、もっとも外に向かわざるをえないような出来事だけでできあがっているような気もして、また逆に世界やみんなのことを思うこと自体が世界から遠ざかる行為であるような気もしてきて、自分という場は、どのような輪郭をも許すようでいて、どのような輪郭をも拒否するものだと痛感しました。
    yoromi諏訪神社前。



    itayaさんと遭遇。ezaki家にやってきた子犬を見てきた。(かわいいの好き)
    私は頭だけで自分という場をつくっているわけではない。というあたりまえのことが受け入れられそうなんです。出会いですね。人はそういう風につくられている。のかな。私はどのようにも変化するんだな。思い込みを一瞬でも笑えたらいいんだけれども。明日から学校始ります。松も開ける。朝の読経と坐禅に出始めようかと思っております。