2013年12月15日

原発も遺伝子組み換えもTPPも、賛成か反対かで話しはじめるのは止めようじゃないか。

 どの国の良識も決して中立ではない。中立をつきつめるとよくわからなくなる。事実と真実の哲学的探究という側面もある。そのままをそのままと簡単に言わせない傾向を感じる。福島原発から大量の放射性物質が環境に出てきて以来のテレビや新聞など、報道機関のあやしい動きを見れば私のような社会不適応者の鬱を吹き飛ばしてくれるような人類滅亡物語が感じられる。戦争が始まると精神障害者が激減するという。
 地球がどんどん小さくなっていく。宇宙の果ても見えたかのように、整理整頓された形で、自分の人生もそのような傾向におさまっていく。自分とはいったい何なんだろう、とでも考えるか。問いではなく、ある物語にとっての必然的帰結。終わらないというエンディングを迎え続けるわけだ。やはり自分自身を見すぎると何にも見えなくなってしまう。
 人が人になってから、問題が生じたのではなく、問題そのものが人であるとすれば、全てがつながる。私という事実をそのまま知ることができない者としてこの私は生まれたに違いない。ただこれらは私の脳内でおこなわれていたのだろう。私が私になった瞬間を思うと意識が遠のく。
 順番が違うじゃないか。瞬間瞬間の私の連続をつないでいるのは物語である。
 みたいなことを思いはじめて、まだ4,5年しか経っていないのだけれども。
 今までに一度たりとも途切れていないということもセットで考えるべきだったと思う。何が何と連続しているのかは、全くわかりません。(政治や経済の始まりは、体制を担っている人たちが失敗の無意識的隠蔽という形で間接的に、自らの手で見せ始めているじゃないか?そんなもん、政治でも経済でもなんでもないけど)
 
 こんな風に考えると、なんだかほっとする。
味噌うまいんだよなあ。手前味噌だけど。麹づくり今年もはじまります。

2013年12月10日

第6回輪島中学校統合準備委員会。

 6月以来開かれていなかった輪島中学校の統合準備委員会があった。この間、三井中学校に教育委員会がいきなり訪れてスクールバスの要望は受け入れず、既存の民間路線バスを利用すると通告してくる。(この言い方は、きついかもしれんが、あえて教育委員会の仕事ぶりを讃えたつもり)
統合反対の要望と同様に、なんだよ最初から決まっていたのかよという感じである。
 ちいさな会議室に30人ほどがいて、そのうち、保護者は10人もいただろうか。あとは学校の先生に市役所の人のみであった。半年ぶりの開催にもかかわらず、用意されたレジュメは議事進行以外はまったくの白紙。議事にて制服や校歌、通学などが報告されるも、真新しいことはなく、校歌は依頼した作詞者の作品があまりにも幼稚で50年にたえる綿密な準備過程にそぐわず、作曲者の天沼氏に作詞も依頼している段階なのだそうだ。
 小さな会議室には統合決定後すみやかに決定した男女の制服と体操服(コムサデモード)が並ぶ。最後のあいさつにて、某中学校校長先生が、散発的に実施された各小中学校の交流にて、大人と違って子供たちはオープンで適応力があるから安心しましょうみたいな、まさに大人の無関心ぶりを象徴するような意見を述べて会は参会する。所用時間1時間、予定どおり。
 唯一、三井小学校の父兄であり、統合問題をまさに問題としてひきあげてくれた萩野さんが、質問時間にて、この統合委員会はいったい統合問題にどのように関与しているのか、その意味がわからないと、やんわりとやさしく、かつ理論的に言われた。彼がいなかったら、形式だけの会議が何回かやられただけで、新中学校は稼働していたことだろう。
 自分のこととして、自分を勘定からはずして考えるような市民が不在の状態で民主主義的手法だけを進めてしまうと、議論する場所もなく、新しい施策が発表された段階ですべてが決められているということになる。そして施策に対して何も言わないということそのものが、即推進への力となっていく。「決まったもんを、ごちゃごちゃ言うてもね」「なかよおせんかまああ」。とまるで鎌倉時代のまんまのような状態であることが露呈される。
 これらの批判は、私自身に向けられている。誰かが言うとったけど、日本は近代の体をなしていないというのはほんとうだ。

2013年12月8日

ちょっと沈んでおりました。

 参議院での特定秘密保護法案の採決より、鬱に沈んでおります。原因はさまざまに思いつきます。政権が国民の懸念を知りながら法案の成立そのもののために強行採決したこと、長男や次男が徴兵されるような事態に動き出したこと。この両極端の間で法案の具体的中身への思いが介在しております。同時に私個人は、この法案が守ろうとする秘密や秘密を漏洩しようとする者に抵触するほどの意志を持つほどの生活を送っているだろうかということも、もう秘密にはできません。「おまえ、関係ないだろ」と言われているような気がしてならないのです。
 現在の日本国における議員内閣制による行政統治は、システムとして私を含む20才以上の全国民が選んだものということになっている。近いようで、遠い、遠いようで、近い、距離感が実測でも想像でもよくわからない。単なる勉強不足なのかと、今頃になって特定秘密保護法案の修正法案を読んでみても、以外にわかりやすい文章だと思うが、日本国が何をさすのかがそもそもわからない。安倍内閣総理大臣の脳は日本国をどのように認識しているのであろうか。
 あの人の国会答弁をYouTubeにてちらちらみていると、さんざん美しい日本とか、世界の平和とかを連発するのに、具体的に日本国憲法の条文を理解されているかみたいな、個人的意見を問われると必ず、私は総理大臣としてここに座っているのですから、いちいち憲法を論じる立場にはありませんと言う場合が多いのは、ずるいを越えてとんでもない勘違い、あるいはとんでもない無思考を正直に言っちゃっているようで、傘下の大臣たちもそのような人間が多いのではないかと心配になってしまうのです。ようするに責任をまったく意識していない。
 民主主義はいかなる自動的なシステムをも排除するための超主観的な人間の意志がないと成立しないのではないか。私はこう思うがないと、簡単に暴走する多数決による意志決定システムになってしまうのではないか。そのためにたくさんの失敗を重ねつつ、血を流しながら修正してきたシステムなのではないのか。
 そこから抽象された言葉として国、平和などの美しい言葉がある。ちょっと元気に私がなったのは、言葉そのものが放つ美しさであって、鬱をもたらしたものは、システムとしての国を美しく輝かせる責任を誰か突出した頭脳がやってくれるからと責任逃れをしてきたことにやっと気づいた事そのものである。
 政治や経済、世界の歴史を自分のこととして、しっかりと勉強しようという気持ちをかりたててくれた今回の特定秘密保護法案審議の課程に感謝したい。

2013年12月6日

特定秘密保護法案成立。

  昨日、今日と日雇いに行ってきました。よろみ村で呆けて暮していたので、久しぶりに行った金沢は新しく舗装された片側3車線が多く、巨大なモノ売りの店も増え続けているようで、落葉が吹きすさぶ奥能登から来た者にとっては、そこにおるだけで緊張しました。アベノミクス効果は地方にようやくやってきたようです。日雇い先の所長さんも、急激に物が動き出してたいへんなんだそうです。仕事から営業所に帰ると、一時金と書かれたボーナスの明細書が入った封筒を目の前にして社員の方方はうれしそうです。
 ネットでは、特定秘密保護法案の国会採決をめぐって、官僚と経団連のシナリオでただ言われた通りのことを演じる政権与党という陰謀論がクローズアップされています。私自身も、2流私大を出たトリプルA(麻生、甘利、安倍)がわずか1年のうちに、これだけたくさんの仕事をこなせるわけがないと思っていましたから、どのような政策も陰謀論から帰納すれば得心がいくことばかりです。しかし東大法学部はいったいどうしたんだ?何をしているんだ?
 気のせいか、昨日(12月5日)委員会採決された瞬間にネットに沈黙が生まれてきているような気がします。勢いが無いのです。法案に反対する学者さんが言っておりました。この法律は不備でおそまつなほど、効果絶大なのである。人々はますます疑心暗鬼になる。これほど、費用をかけずに国民に政権の力をおよぼせる法律はないのである。そして、とりあえず、景気も何気によさそうだし、まあ安倍も悪いやつじゃないんだから、まあいいんじゃないのおが、合わさって、(テレビでは深夜に保護法案審議を直接担当している委員長(民主党)が何の落ち度もないのに罷免されたのに、あいかわらず、お笑い芸人がトークのために身を粉にしている)システムさへ、ちゃんと稼働しているんなら少々のことはいいじゃんか、みたいな流れに、国民は流れ始めたのではないだろうか。
 一昔まえ、つい10年ほどまえ、小泉いぜんの、政治家たちの愚図がなつかしい。今となっては、アメリカの後ろ盾なしにはものも言えないことを自覚しながらもとぼけ続けていた老獪さがなつかしい。明治維新を経ているにもかかわらず、鎖国的精神を続けようとしていた日本人が懐かしい。
私のように、そのような立派なおじいしゃん、おばあちゃん、おとうさん、おかあさん、おにいさん、おねえさんの元で安心して愚図りまくってきた人間にとって、こんなにも、急激な欧米化は困るんです。
 それにしても、なんであべはあんなにうれしそうなんだろう?

おわび。
 おじいしゃんとなっておりますが、響きがいいのでそのままとしました。

修正。

 19時31分現在、参議院本会議ではまだ採決がおこなわれていませんでした。

2013年12月2日

何をかっこつけてんだよ。おっさん。

 池田信夫とかいう人のブログ記事をフェイスブック上で見る。特定秘密保護法案に賛成の記事である。今回の法案は秘密を守らなければならない人に対する法律であり、巷で大騒ぎされているような普通の市民を弾圧するような法律ではないんだということを、朝日新聞批判をベースに論述されてある。国家をどのようなものとして見るかによって、善悪という主観的な問題に還元するかのような議論をしたくないし、法案の細部の運用を予測できるほどの感覚も薄いくせに、特定秘密保護法案の是非を言うなと言われるかもしれないけれども。
 国家の提出した法案を賛成するということと、反対するということは対等に測られる市民の行為なのだろうか。法治国家における立法府が賛成している法案をそのまま賛成する側が目的達成(法案の成立)のために費やす努力と反対する側の目的達成(廃案)までの労力は同じ基準で測られるだろうか。法案提出の時点でそれを賛成するということは、すでに有利なんではないだろうかということを言いたかったのですが。同様にちょっとそれおかしいんじゃないかなあああと思っただけで反対なんだと言われる者が反対と意思表示する時において、すでにハンディを背負っているのではないかということが言いたかったのです。

追記20131209 
 若者はすでに知っている。12月6日参議院本会議で法案が採決された後、催された会合で女子大生が発言しています。
「賛成か反対の意見を強いるのではない。でも、傍観して自分の意見を言わないことは中立とは言えず、権力に力を与え続ける暴力行為だ」と呼びかけた。
               
 
 ずるいかもしれないけれども、私は構造のことを言いたいのです。大勢の人が反対もしくは懸念を持っている法案に対して、賛成することのカタルシスなんてないんですかね?私もイニシアティブを持った国家の行動に対して異議を唱えるというカタルシスがないこともないですが、この法案に対しては、恣意的な運用を戒める歯止めがシステムとして条文に入れられていないことからみて、廃案にすべきだと思います。賛成する人はようするに、なんらかの恣意的集団で安住されている方なのだろうと思います。いいじゃん、ボロボロとマスコミにしゃべっちゃう大臣なんて。とろい国でいいじゃんか。そんなことで他国から攻撃されたらどうするんだと言うが、戦争は相手の状況を斟酌して行われるものではない。攻撃される時は攻撃されるのである。(違うかな?)Cool Japanの中には、そのようトロさも入っていると思うんだが。

2013年12月1日

責任者出てこい。(人生幸朗・生恵幸子)

 テレビで、バングラディッシュの縫製工場の話をしていた。国のメイン基幹産業である。設計より建て増して5階建てから8階建てに作られたビルが、朝一番に2000台のミシンが一斉に始動した途端に倒壊して従業員が1000人以上死んだのだそうである。(黙祷)。
 バングラディッシュ国内の財界団体(カルテルだと思う)の副会長(実働するポジション)を労働者(従業員でもある)から見れば、悪人に見えるし、副会長からすれば商品を発注する欧米の資本家たちが悪人である。労働者は生活ができないから給料を上げろと言うし、資本家からすれば、欧米の資本家たちの工賃が下がっているのに給料を上げろという労働者は会社を破壊しようとする怪物に見える。立場を変えて見れば、どこにも加害者がいないのであった。
 従業員を労働者に、経営者を資本家に単純に言いかえたせいでもある。カテゴライズされた物語を、いろいろと組み合わせれば、今では私のようにちょっと経済学をかじっただけの者でも容易に世界を分析することができる。
 日本の温厚そうな経営者が登場して、物語ではなく、一つの企業行動が紹介されると、再び資本家は経営者に戻り、労働者は従業員に戻された。この一企業人の温厚そうに見える人柄による。もちろん私の主観によって世界を自分に近づける。ここで問題にしたのは、万国共通のカテゴライズされた用語によって再構成する世界と私の主観によって意思を吹き込まれた人間同士の関係性によって再構成される世界との微妙なズレである。もちろん、主観もすでにカテゴライズされていることは間違いない。あーややこしい。
 家計であれ、企業であれ、自分が出す金銭よりも自分のところに入ってくるそれの方が多くないと明日はない。だから必死である。これはわかる。さて、公会計はだいぶん話が違う。赤字になってもつぶれない。アメリカでつぶれた都市はたくさんあるが、財政危機の国もあるがつぶれない。つぶれようがない団体が確かにあるのは、ものすごく主観的な理由がありそうだ。
 バングラディッシュの国情に戻る。自分が支払う金銭をもっとも少なくできたかに見える欧米の資本家が悪の元締めのように感じられる。番組では顔も声も出さないから尚更イメージが暗く、怖い。ほんとうにそうか。今はやりの陰謀論で言えば、ユダヤの商人に結び付くのだろうが、限られた人間が掌握しているのは金銭であって金銭的価値そのものではない。そして金銭はどのようなものにも価値を見出すことができるから、端折って言えば、金銭は金銭的価値の奴隷なのである。
 金銭と金銭的価値が限りなく相同であると勘違いしている日本は、財政学的に言えば破産団体である。国の借金を国内でまかなっているから大丈夫だと思っている国民の主観によって成立してきたし、これからも成立していくだろう。自国の利益を企業の利益と同じであると思っているのは、はたして議院内閣制により誕生した内閣総理大臣だけであろうか。家計と企業会計と公会計をまったく同じものとみなしている国民性に問題がないのであろうか。
 精神的な側面も持っていた資本主義がシステムとして稼働するということは、ある種の破たんを意味するのではないだろうか。資本主義を現実的に容認すればするほど、資本主義の抽象性が増している。金銭的価値と金銭を同一視し、入った金銭から出した金銭を差し引いた利益が善であるかのような短絡を許しているのはわれわれ一人一人ではないだろうか。私は価値を生み出す責任者のうちの一人だったのである。バングラディッシュのみならず、世界のどこを探しても悪の元締めは出てこないのである。探そうとすればなおのこと、絶対に敵は見えなくなるのである。資本家を倒す労働者という図式よりも、貴族(働かなくてもいい)と民(働かなければならない)という図式の方が今でもバリバリの現役なのです。だれしもが働かなくてもいい方を志向していては、さらにさらに世界の抽象性は増すばかりなのである。文句を言える対象が消え果てて、あたかも責任を背負っているかのような生贄を探すばかりになってしまうのである。
 金銭的労働と金銭的労働でないものをひとくくりにしていますが…。

追記

 暗い青春時代、人生幸朗・生恵幸子がテレビに出てきただけで、死ぬほど笑っておりました。「責任者出てこい」とくだらないことにだけ難癖をつけるのです。

2013年11月30日

とにかく座りなさい。


 座禅体験の行事が終わりました。何がわからないのかがわからないという状態で、はたして、道元禅師に対する懐疑が深まるなどということがありえようか。疑いなど持てようか。いったい何を伝承してきたのかがわかっていないものが何を言っても届かない。

 村田住職が具体的に座禅の方法を教えてから、皆がチーンの合図で座りはじめました。静かで厳かな空間に一瞬にしてなりました。自動的な感じが、伝統っちゅうものを感じさせてくれます。疑いなど感じているひまもありません。けっこう座れるじゃん。そして身体の痛みがそのようなドラマを吹き飛ばしてくれます。はよ終わらんかな。

 座禅を終えて、庫裏にて、談笑しました。村田住職は話すことを入念に準備されていました。メモを見ながら、子供たちやご父兄の反応を見ながら自分のご先祖さまに対してのありがとうとすんませんをそのままあらわしているのが合掌であり、そのような単純な事実を常に忘れていること、何がわからないのかがわからないのだという状態を自動的に感じざるを得ない行いとして座禅などがあるということを知らせてくれました。村田住職はちゃんと衣と袈裟を装着されておられました。

あいかわらず、自分を中心にしてしかこの場を見ない私は、勝手に、三井の地元からやって来られた方々が思うのは、この龍昌寺という寺がわざわざ、金沢から輪島にやってきて、この寺の住職はいったい何をどのように、またなぜ、やっているのかを知りたいと思うんですよとやってしまった。「みなに自己紹介をという前に和樹さん自身の紹介をしてからにしませんか」と。師は「そんなもん、あんまり、どうでもいいじゃないかな」と一蹴されました。

 しかし、子供たちのための行事であることをすっかり忘れておりました。緊張してみなをもてなさないとと思っていたのですが。朝のお勤めに行くと、本堂には座布団がしかれており、庫裏にはストーブのための薪が並んでいました。そして、お勤めの後に和樹さんが「雪が降っとってみんな大変やね」と言いました。私はなんと言ったと思いますか。「みんな三井の人ですから雪には慣れています」です。何の準備もしていないで、自分の準備しかしていない。30分前にIさん母子がよろみ村までやってきました。ほーれ、皆さん勝手にやってくるではないか。さても、Iさんは「寺への入山口と県道からこっちに入ってくるところに人が立っていたほうがいいかもしれませんねえ」そうか、とあわてて、車で県道と市道の交差点にて皆さんを待つ。お父さんが同行できないKさんのご子息を助手席に乗せて本堂に帰る。車中Kくんは理路整然と寺ではみなさんどのようにされているんですか」とあたりまえのことを尋ねられる。ぼけーっと本を読んだりしているだけだとも言えず、考えているふりをしながら、自分でのわけのわからないことをしゃべっている。その醜い姿だけは見せてくれる。何でも素直に聞いてくれるから、Kくんの応対は、ますます私の醜さを浮き彫りにしてくれる。

 
自分のことをも、もてなせない者に他人をもてなせるわけがない。他人をそのまま感じることができない。なんとなく、で行事を終わらせて散会となる。Kくんのお父さんはまだ来ないので二人して庫裏のストーブの前で話す。「さっきの寺の人は今どこにいるんですか?」さっきの寺の人というのはおそらく村田住職のことだろうと思い、さっき座った場所のその奥にふつうに暮らしているよ。場所、ふつう、暮らす自分の話している言葉の正確性を問うているつもりだったが、そんなことをくりかえしているオトナの言葉はひどくわけのわからないものと感じることだろうと思う。何を伝えたいのかが全てじゃないか。一人で問うしかないんだ。この寂しさの真っ暗闇まで行かんといかんのだ。そして窓が開かれるようにして、他人の存在があるのではないか。まだそこまで行ったことがないから、ゼンゼン想像でしかないのだが。
右 村田住職(ブログへ)  左 三井小学校の児童たち。
「12月8日はね、お釈迦さまが悟りを開いた日なんだけれども、そのことを追体験するために、12月1日から8日までずーっと座禅しっぱなしのお坊さんが日本国内に1000人ぐらいはいると思うよ」と知ったかぶりをするとKくん、驚いてくれた。「そんなこと可能なんですか?」「やったことがないからわからないけど、可能なんだよ」


 昨夜、晩御飯の時に、末娘がうれしそうに、「死後の世界ってあるげんよ」と言った時に、これだけは大切だから言っておかないとと思って、「戻ってきて死後の世界を説明しているだけで、その人は結局、まだ死んでいなかったのだから」と言ったとたんに末娘が烈火のごとく怒りました。「うすうすそんなことはわかっていたけれども、こんな時に自分の考えを押し付けているあんたは空気が読めないKYやけーわい」今度は私がキレて「どんな空気や、一生空気を読みながら生きていくんかい」と論点を完全にずらしてしまいました。


落ち着いて考えてみると、私はまだ死んでいないから、死後の世界があるかどうかわからないということを言いたかったんだな。と思いました。でもやはり死後の世界なんてないんだあと断定しているとしか思えない口調だったのだ。それを末娘は怒ったのだった。



老いるということの素晴らしさについて

岡林信康がテレビに出ておった。67才。1971年の日比谷野音でのコンサートを最後に姿をファンの前から消す。当時は音楽を自分の道具だと思っていたが、今は音楽の道具として自分がある。と言っている。このような逆転は自分にはなかなか訪れない。一生このままかもしれない。

2013年11月29日

参禅体験。

JUSAI 123 : おじさんが、まず体験したいよ。
薪は拾ってきてタダなんだが、ストーブはスウェーデン製で21万円。


 明日は、三井小学校5,6年生の学年行事としての坐禅体験が、よろみ村の龍昌寺にて行われます。全員が来れば、児童が15人、ご父兄を加えて20数名と思われます。これまで龍昌寺には全国津々浦々からご客人が見えておられましたが、地元の輪島市から、このように大人数の方が来られるのはそうなかったことと思います。しかも、よろみ村という理想郷へやってくるのではなく、坐禅という仏教の中では、だれにでも知られている行を体験するために大人への入り口に立つ子供たちがおしかけるのです。

 村田住職はいつも、こうした参禅体験の際、自らの側からだけ一方的に話すことのできない方ですので、今回も車座になって子供たちやご父兄との双方向の語らいをされることでしょう。できれば、私としては、一方的に村田住職のお話を聞いてみたい気がしております。ご父兄も、まさか自分が坐禅のことや仏教のことを話すなんて思ってもいないような気がします。

 私もそうですが、禅僧に対しては、その悟った状態を私たちにもわかるように表現してほしいと、みなさん思ってらっしゃるのではないでしょうか。違うかな。もしかしたら、明日30分ほど坐って悟ってしまうやつが出ないとも言えないし、なんともわかりやすすぎる形ゆえに、いかようにも解釈させてくれる自由さが、結局、最後の最後に究極の不自由さをもたらす可能性を持っていると、坐禅に対して思考しているわけです。とにかく、坐れと言う道元禅師に対する懐疑が年々、深くなっていく私です。

 輪島からほとんど出たことのない私が、暮しているよろみ村をどこにも比較するところのない、新しい村と思いこもうとしてきたのですが、実は生まれ育ったところ、すなわち、ものごころがついたところ、すなわち、自意識が生まれる前に身体がすでに生まれていたところから一歩も出ていないコンプレックスの裏返しが、そのようなユートピア観を生んだのは間違いないようです。坐禅や仏教とは、そのような屈折の中でイメージを私に与えてくれていたのです。それらの解釈を洗練させることがいつしか、仏の教えと流れを一つにすると思っているのです。今でも!。そして、どのような思考も、つまりはあらゆる言葉を費やしても、必ず失敗するとわかっていても、直ちに止められないのが私なのです。

 私は私をすら代表できない

 私は力をこめるほど私が私から遠ざかっていく

 あからさまに、つねにそこにおるではないか

 私が。

 

2013年11月27日

臆病を選ぶ。

 私の親世代以上は、戦争体験があり、戦場体験もあった。戦争の恐ろしさを知っていた祖父の話はいつ、聞いてもおとぎ話のようだった。中身は残酷なのに聞いているこちらの方が想像できないことだからかな。いつもふつうの日常の上で残酷なことは限定されていたからかな。かなりリアルな戦争映画を見ていると、残酷な出来事のわきで揺れている木々や草花を不思議に思ったりした。戦争は経験したものでないと、その残酷さがわからないのだと思う。どこかで、中枢神経をやられた麻薬中毒の人の精神状態を想像してしまう。いきなり前と後の状況が変わってしまうことが、まったくわからない。まさか。まさか、。こうなるとは思わなかったと思うに違いないのである。
これからは公然と秘密をつくるとする法律が衆議院を通過しただけで、邪悪な国家妄想ふくらみ過ぎと言われてもいい。とにかく、日本が戦争にまきこまれないように、戦争を起こさないように、アメリカの手伝いで戦争をしなくてもいいように、へらへらと金だけ出すばかな国と揶揄されようが、とにかく戦争だけはやらないんだと言い続けるように。祈りたい。
 
福島原発のこと、気象のこと、地震のこと、中国のこと、韓国のこと、考えることがたくさんありすぎて頭がついていきません。

2013年11月26日

絶対王朝。

古本屋の殴り書き: 文字は絶対王朝から生まれる/『白川静の世界 漢字のものがたり』別冊太陽


 日中戦争時の大本営や、現在の福島原発への対応を考えると、絶対王朝が無いことが想像できる。白川氏はそのことを深く理解されていたのでしょう。意図的なのでしょうか、いつのまにかなのでしょうか。
 朝からテレビのワイドショーを見続けていても、特定秘密保護法案を採決するという緊張のかけらもない日常で、昼を過ぎてもミヤネ屋の冒頭でNHKのアナウンサーのゴシップをとりあげており、夕方に採決を強行するのに違いないと思っていると、ふとネットを見れば、すでに午前中に委員会採決が行なわれていたらしいことに気づいたのは午後を半ばをすぎていた。
 今頃になって、自民党の法案を読んでいる。秘密指定者は何が秘密かも知られてはならない。ひょんなことで漏らしても罰せられる。また、秘密を保持するにたる資格を得た者も同様である。自衛隊法に同様の秘密保持規定があるらしい。万単位の秘密がすでにあったらしい。開示された1件の秘密を除いて、永遠にそれを知ることができない。それそのものが抽象されたもの、記号化された象徴、伝説、噂、など、限りなくそれそのものに似た情報ならば、無限に知ることができる。
 絶対王朝は必ず、秘密を持つ。秘密そのものが王朝であるということも成立する。秘密を確実に守る方法は秘密を持つ者を殺すことである。血を見ないように秘密が共有される空間自体を拡げるという方法もあるが、瞬間的な漏洩の危機を絶えず持つ。秘密そのものが王権である。そのような歴史のない民族の中の、抽象的議員内閣の長に秘密のなんたるかはわからない。せいぜいが、おじいさんの時代の幼稚な世界の断片ぐらいか。安倍と毛沢東の名前を量りにかけよ。比すべくもない。秘密を保持するにたる意識を持てるのか!
 二世議員の幼稚な集団がなぜに、かように、急ぐのか。あきらかに、反対もしくは疑念を持った国民がほとんどである。そして、テレビはなぜに、かくも静かなのか。わかっているくせに、知らないふりをしてきたのは、そもそものハジマリからか。

2013年11月23日

奥さんがあまりにもかわいそう。

一昨日、へんな映画を見た。
タイトルを忘れた。プラムと栗とじゃなくて、うーむ。バイオリニストが惰性でいっしょになった奥さんから大切なバイオリンを壊されて、食を断って8日目で死ぬ。主人公の夢が時系列でフラッシュされる。中身が、実らぬ恋に、師匠との決別まで、それから、、、忘れた。

 映画がひさしぶりということもあって、最初はえらく感動していた。それは、死を決心している主人公の夢は夢そのもので、美貌の恋人と結ばれたにも関わらず岳父の反対で結婚できなかったという妄想に近い夢をだらだらと流し続けている絶望的な映画だと感動していたのでした。しかし待てよ、夢はもしかしたら実話なのかな?急に陳腐そのものの映画になってしまうではないか。どちらなんだろうか。主人公はひょっとしたら、バイオリンも弾けないのではないかという期待は俺の嫉妬に転じてしまうではないか。

 主人公は死神に会ってしまうのだが(死神に会ったものは死ななければならない)、医学で快癒してしまうと完璧なんだけどなと思っていた。にも拘わらず、どうも、死に枕で見ている夢は現実にあったこととしか思えない形でエンディングロールが流れているではないか。映画の公式サイトなどを見ると、やはり夢は実際にあったことらしい。

いや、主人公は、ものごころついた時から、自分はふつうの人間と違う特殊な才能を持たされた人であるという考えが抜けず、現実に裏切られ続けてきたにもかかわらず、死神に出会っても、その考えが抜けなかったということを、妄想の断片をただ、時系列で並べるだけで描き切った新しい映画だと思いたい。未来の名作は過去の誤読であるといったインテリがおったではないか。

作中、主人公はほとんどタバコを吸っていたのだった。子供が2人、奥さんはパートで数学の先生をしていて、奥さんは死ぬほど主人公を好きなのに、バイオリンを壊された時、言うんだ。
「忘れない」「僕は一度でも、君を愛したことがない」奥さんが好物のチキンのプラム煮を作って仲直りしようとしても許さない。布団に横たわるだけ。思い出したタイトルはチキンとプラムでした。

最近、映画も見なくなったのは、現実が映画よりもドラマティックだからだろう。現実と夢は同じ根を持つのだろう。ならば、自分という主人公ほどおもしろいものがあるわけがないではないか。なおかつ、自分と同じ者を血眼になって探しながら。


追記。

 親力セミナーという催事が文化会館にてありました。河井小学校と門前中学校の児童生徒諸君のパフォーマンス以外は、おもしろくなかったです。学校統合まで4カ月しかないことを、市民や当の生徒諸君に啓蒙したいと言っている、あんたらがもっとも大変なんだろうがと思う。校歌も校章も決まっておらず、スクールバスの要求を見事に蹴って路線バス会社との交渉も佳境で、そんな中、会場前に女子生徒の制服だけがぶら下がっている惨状をどうすんだ。
 吉岡教育長の最後のしめの御言葉がすごかった。
「生徒諸君の脳みそをひまにさせないようにする」「そしたらいじめなんかしているひまがないんだ」
公の舞台で、こんなおもしろい話をしてくれる展開はめったに見られるもんじゃない。

2013年11月20日

他人事のように語っております。

  特定秘密保護法案が今週中に衆議院で可決されることが避けられたらしい。遅すぎるマスコミ関係者が一斉に文句を言い始めたことが大きかったのだろうか。平成のはじめ、いわゆる市民団体の事務局長として実務をしていた頃があった。(文字にするとなんかかっこいい)いやいやさせられた事ゆえ、それほどの被害性を感じていなかったゴルフ場建設に反対するというスタンスなれば、さらに当時の輪島市議会議員であったS議員(共産党)の実務能力に頼り切ったということもあって、わたしには全体がなんのこっちゃわからなかった。基本的に実働しているのは共産党のかたがたと、よろみ村の住人、及び(わたしのような)よろみ村シンパシーや止むに止まれず滞在していた方などであるのは明らかであったのですが、役所と議会の様子、建設主体(ゼネコンなど)の相関関係が全く見えず、(S市議の再三にわたるレクチュアが理解できなかった)。
 議会に提出した請願書が否決されたのだったか、継続審議になったのだったかは忘れたのだが、何か動きがあった日、朝日新聞の記者から電話があった。「まずい…」とにかくわたしがウーmmとかすんmmとか発していたら、向こうが「今はこれこれこういう状況ですよね」。と見事に反対運動の顛末を鳥瞰したのに感心しながらそうですと言っただけだったのでした。電話を置いてから落ち着いて考えてみると誘導尋問のような。でも国会議員や、専門家と言われる人たちもおんなじなんじゃねえか。物語を構成する力の比べ合いだな。

2013年11月17日

あんた頭が悪いからと脳が言う。

『妄想と詩は違う』

脳が腫れているような気がする

使いすぎてはいない

なにか不都合なことが生じているようだ

あるいは生じようとしている

あるいは生じてしまっている

ようだ

使われ方がおかしいと信号を送ってくる

自己は自己否定できないのだ

妄想が詩を書けないように

脳が秘密を持てないように








まだまだ秘密がございます。(恥ずかしくて言えません)

 
小春日和。やさしい言葉。
7年前の能登沖地震(震度6強)で動いてしまった屋根の母屋瓦を治すために屋根に登る。毎年の積雪でずれてしまうようになったのです。春まっさきにやらないといけないのに、もうすぐ時雨れ始める今になって、やっとです。高いところが苦手なので、愚図っていたのでした。家を見上げるとのたうっている甍が気になるのですが、太陽が出ていないと瓦が滑るしとか、言い訳をしていたのですが、もう一つ屋根に登るふんぎりをつけるために、重要な点があるのです。それは、よろみ村に人がいないということです。オドオドを見られるのがいやということもありますが、ただただ、怖いという状況において、平地で動いていたり、喋っていたりするそれらの動きがより増幅して見聞されてしまうのです。こんなに危険な目にあっているのに、なんとも平地で安心しきって生きている様を見ると、高いところに置かれた状況がより一層、クリアーに感じるのです。
 とりわけ怖いのは梯子から足を離して屋根に上がる瞬間です。帰りも怖い。梯子にいざって近づいて、立って、梯子に足をかけて、そして、体を反転させる時がなんとも言えず怖いです。だいぶん慣れましたが、それでも、怖い時に思うのは、なんと平地で安穏とボケーっとしているのかということです。高いところと、へびがダメだから自給生活者にはなれんなあ。それに不器用で釘も満足に打てない(特に4寸釘以上)。一人ではまず、自給生活をできない男なのであります。無芸、大食、人畜有害。高い志も無く、無難に人生を終われたらよしと思っているし、身体が遺伝的に丈夫で(胃痛の経験がない)、寝つきの時と集団生活以外の時はまことに熟睡できるし。(夢も覚えていない)いやなことからは逃げ続けているし。人の文句を言うのは上手だが、自分をきらいきらいと言いつつも、自分にまともに反抗したこともなし。煙草をバカバカ吸うし、真夏はわざわざ、ビールを買いに行くし。まともな定職を持ったことがなく、奥さんのパートで食べさせてもらっているヒモのくせに、奥さんをいたわるどころか、結婚初期から中期まで、DV夫だったし。
………。もうやめます。キリがない。ほんとにダメなことを、こうしてわかっているのなら、なぜすぐに今にでもやめないのか。屋根の母屋瓦と同じくらいにしか、思っていないんだ。いや母屋はすごく大事なところなんだけれども。
完全に真っすぐなんてムリ。これでいいと自分に言い聞かせる。

2013年11月10日

私はネット中毒です。

 newyork timesの記事で安倍内閣の秘密保護法成立への拙速さを牽制していた。原発事故しかり、モンサントなどの巨大多国籍企業による遺伝子組み換え種の問題しかり、TPPによるアメリカ主導の新自由主義勢力のグローバル化という究極的な地球のローカル化といい、全ての問題に世界という定義付けを成す主体、すなわち最終責任者がいないことという共通点を感じている私にとって、英語を原典で読むという行為が新鮮だった。(もちろん、定義付けを行い、最終責任を負っていると思っている者はいる)。
 (インターネットのブラウジング技術の真新しさを感じた日でもあった。原典のわからない単語やイディオムを右クリック選択すると、即座に翻訳があらわれ機械仕掛けにもかかわらず、発音までしてくれるサイトがあるのであった。長文でもOK)
 しかし、英語というのは客観説明に適した言語だと思う。通時的な歴史が現在使われている文法に何の影響も及ぼしていないかのように見える。もちろん新聞社の構成と校閲を重ねた末のテキストであるからという理由もあるのだが。そして、これだけ地球上に蔓延した言語であることの理由にはキリスト教の存在も否定できないのではあろうが。
 屈折語と分類されるように単語の語順がすこぶる文法的なせいで、絵柄としてというか、イメージとして単語の並びを見ることができ、一つ一つの単語の意味を介することなく書き手たるI(わたし)の書きたいことが感じられるような気がしたのでした。日本語ではじめて知った漢語を英語の和訳から再認識できるような期待が感じられて、しかも、発音ボタンをクリックすると、生々しい女性の肉声(もちろん機械)のアナウンスが何度でもくりかえして聴けるという喜びもあるのである。(どうして即座に任意の英文を朗読できるのだろうか)(すけべ)偏差値75で、英文和訳の名手とよばれた高校生の時代を思い出しました。
 

PS 日雇いポツポツと行っております。

2013年11月8日

雪がくる前に(ほぼ)完成。

JUSAI 123 : 車庫作り。

あんまり手伝っていなかったけれども、そこにあるから車を入れている。駐車場はずーっと前からそこにあるかのように立っておりまする。

2013年11月1日

飛んで火に入るエホバの方々。

ズルズルとしていたら、エホバの人たちがやってきた。神様の話かよと居留守をつかおうと思ったけど、けっこうそういう話は好きなので会う。マスクにめがねのおばちゃんと、女子大生のようなかわいいねえちゃんがいる。今日の神様の話は何から始まるんだと待っていると、パンフレットを取り出して、死んだ人に会えると聖書には書いてあるのですが、あなたはどう思いますかと来た。
 生前に知っていた人となら、私の頭の中でいつでも会えます。でもそれはあくまでも私の想像上のその人ですから、今目の前にいるあなたとここでこうして神様の話をしているかのように思えますが、私はあなたとほんとうに会っているのかと疑問に思うことがあります。
 また始まった。が、止まらない。メガネ越しの目に向かって、べらべらとしゃべっている。人格神として、五体が人のような姿の神様のイメージが強烈すぎて、聖書に入ることができないんです。あなたは何を信じてらっしゃる。と尋ねれれて、そのように言い訳を入れてから、私の中にあるであろうむずむずしたわからないこのこれを信じています。きっといつの日にか、私なりの言葉でこのむずむずを解き明かすことができるという可能性を信じています。なんにも、知らないくせに、キリストであろうとマホメットであろうと、お釈迦様であろうと、マザーテレサであろうと、達磨さんであろうと、ダライラマであろうと、かの人たちはきっと解き明かしたのでしょうが、それらの言葉は皆彼らの言葉にとどまっているのであろうから、ワタシ自身の言葉でそれらを翻訳できる日がきっとくるのだと思っています。メガネの方の影に隠れるようにして立っていた女性が一歩踏み出してきて、顔を見せてワタシの話を聞こうとしはじめるのを、いいことにして、何かうまくこの話をエンディングに持っていこうと思う。喋れば喋るほど、彼女は近づいてくる。メガネの女性も負けじと興奮してくる。まさかこのように自分たちの話に相槌をうってくれるような状況に少し驚いている。
 あなたたちのように、信仰を持つことを決心された方たちの知識とワタシのようにズルズルとしている者が読む聖書の知識とはゼンゼン違うんでしょうね。
 いつものように謙遜でつまりは自己韜晦でしめくくろうとするワタシにメガネの女性がマスク越しに言う。あなたのように、自分の思考のイメージの中だけでグルグルと堂々巡りをしている状態から見る神様と聖書に書かれた神は違うんです。このように言われる。後ろの彼女に向かって、聖書のもっとも古い言葉は何語で書いてあったんですか。「初期はヘブライ語で後半はギリシャ語です」。はじめにことばがあったと書かれてあったと思うが、それゆえに言葉が止まらない。言葉の止まらなさを人は人自身の永遠ととりちがえてしまう。
 このような話し合いは、相手に優しくしよう、相手とつながろうと思う限り、ゴールが見えないのであった。どんどん一人になっていくのであった。神はいつでも、必要な言葉だけをあらゆる人の形をとって届けてくれる。メガネとマスク越しの目が光っていた。「また会いましょう」ありがとうございました。

2013年7月29日

無題。(至上の理解者は最悪の誤解をしている!)

 あいかわらず、わけのわからないことを書いている。自分に正直であれと思うほど、アタマに浮かぶわけのわからない文章を許してしまう。意味の生じない文章を書く力がほしい。天邪鬼であってはならないが、言語そのものを感じたい。言語が記号であるということをスタート地点とするならば、言語そのものを説明することは不可能である。しかし、破綻した文章、すなわち絶望的な文章は、それが言語ではないというただ一点により、言語そのものを間接的に説明することができる。色も匂いも重さもないその場所をあらわすためには、言語で言語を説明しようとする行いよりは、悪くないし、間違ってもいないと。それそのものはあるのならば、ないのではない。などと言っても、どうにもならない。
 先日、BS放送で、どこかの民放局が1956年産のコメディー映画をやっていて、たまたま見た。くっだらねえと悪態をつきながら、なんかの溜飲を下げていると、ほんの2分も経たないうちに映画にのめりこんでしまった。ストーリーが完璧ゆえに、くっだらねえプロットが逆に人の生活そのものを描き出すのに有効であることがわかる。人を笑わせるためには今現在ある人の至高の標準的生活そのものを壊さなければならない。そして何より、普通の生活を骨の髄まで知り尽くしていなければならない。やはり一瞬でも意識が壊れたことの無いものには喜劇など到底不可能であることがわかる。さすが、目に見えない原子力発電にエネルギーのほとんどを頼ることを決定した国家だと思う。それに大好きなデリダやソシュールもネイティブとしての言語はフランス語だったのではないのかしら。(あんまり細かいこと言わないでください)明治維新政府は近代の国体をフランス人に真似たらしいのもわかる。自分の言語が音声的に世界一であると確信していることもここでは清々しい。
 ソシュールに関しては、今このおれさまが、言葉をしゃべっているということ気付くことのきっかけを作ったスゴイ人だと思っている。ソシュール自身はいま、私が言葉を話していることに気づいたとき失神も絶望もしなかったのだろうか。ソシュールの以前にもたくさんの人が気づいたではあろうが、そのことを説明できるそれこそ言語を持つまでになんという長い年月を費やしたことだろうか。今では、言葉を話すから人間であるという転倒が平気で行われていることを誰も不思議とは思わないのはなぜであろうか。彼自身は著作を残さず、沈黙してこの世界を去ったと言われているが、彼の沈黙が現在の(現在よりもちょっと昔か)構造主義と呼ばれる磁場を作ったのは自明の理である。
 田んぼで稲を育てようとしても、畑で野菜をどしどしこしらえようとしても、あるいはよき父としてなどとは言わないが、普通の家庭を築こうとしても、何かを始めようとするときに必ず、去来する寂しくて無力で虚無な感じ。そうした癖が私の意識にはあって、しかも、このことをまず説明してからではないと何事も始めてはならないと思っていた。が、これは今となって見れば、たんなるグズでのろまでこざかしい言い訳にしか過ぎないとは思う。再び、が、ミタビしかし、わたくしという一個の特殊現象をそもそも社会的言語にて説明するという間違いに気づくためにはとても、有効な遅延行為であったと思う。今50才を越えて、大脳の生理学的年齢も古くなり、記憶力、思考力などの能力も衰えて、しかもスタートラインでのぼたんのかけ違えに気づいたことは、わたくしという個人的現象にとっては何の意味がなくとも、社会的には非常に有効な検体となりうるのは間違いのないことであると思う。(犯罪者が明確に正義を輪郭づけるように)
 われわれは物語を脱して小説世界を維持できるかが、晩年の中上健次のとらわれだったように思う。文学者はそもそも破綻しているがゆえに世界を求めざるを得ないのだと。日本の俳諧には何かまだわれわれの知らない魅力があるように思える。否、日本語そのものにわれわれネイティブがネイティブであるがゆえに気付くことのできない磁場があるように思える。音声(的)言語だけをランガージュとするソシュール、書かれたものの中にエクリチュールを発見したデリダ、その両者ともによだれを垂らさんばかりに日本の書物を手に取るに違いない。

日雇いに 明日も行けと 暦言う

2013年7月18日

読書感想文。蕪村句集。

 久しぶりに本を手に取り読む。蕪村句集。明治のスター俳人たちの解説がすこぶる面白い会話体をとっているのを読むと明日にさしつかえると、太字になった句のみを追う。月並みという批評が再三入るようではあるが、子規の言わんとしたように、数学的に五七五の17文字の組み合わせには限りがあるであろう。
 が結構長く続いていて、今も尚、この詩形に魅せられている人は多い。想像するにまったく同音同意義の二つの句も、読む人によってまったく違うテキストと感じるのではないか。わたくしが今日思うことは、製作者の視野に絶望がかぶさっているのかどうかが分岐点であるということ。その絶望は他の誰でもない文字をつらねた製作者自身のものでなければならない。自己が自己に対面する時、このような感情をまず一番に感じないものは作句をしても意味がない。
 そして、詠ずるだけでは不完全な形体でもある。必ず書かなければならない。伝わるのはその時、その場所での感情そのものではなく、彼自身が出会った自分自身の絶望そのものなのである。もはや、時間が彼なのであり、場所が彼自身なのであるのだから。その時、その場所で立っていた自分自身、その全体を過不足ゼロで納めることができる!そして詠ずることができるならば最高だ。
 長く、伝承されてきたものは、こうした形式そのものが書かれたという事実そのものなのかもしれないのである。技術的に申すならば、助詞に厖大な責任が課せられていることがわかる。レトリックに限りなく近いが、そうではない。一語一語の倒置やあり得ない終止形など、技ではなく、わたくしの今のこの思いを形にするという義務が課せられた、出来上がった形からわたくしが表現されてしまう、いかなる知識や新規な感覚もここではまったく関係が無い心そのものが、それぞれの孤独な場所で形作られる形式に、技術など入り込むわけがないではないか。
 絶望を希望に転倒させるためにあるのではなく、絶望を絶望のままに書きとどめることができるのだと思う。まったく知らなかった自分が発見されるのである。あるいは、見ていなかった。あるいは気付かないふりをしていた自分。
 今さらながら、語彙を増やすよりは、助詞の力を感じながら、ネイティブとしての日本語を客観的に見て行けたらと思う。

日雇いに 明日も行けと 暦言う

2013年6月26日

中学校準備委員会第3回。

通学委員会にて、三井地区の要望書を正式に上程しました。後は教育委員会や財政課などの部局にて、審査検討となります。新しい学校に対する力の入れ方が近日中に判明することと思います。詳細な要望を甘えととるか、切実な願いと見るかの問題であります。三井地区から中学校が消滅することの重さを、考えてほしいと願います。
 まずは、スクールバスになるかどうかであります。

2013年6月23日

三井地区の意思決定へ。輪島中学校開校にむけて。

三井地区の要望をまとめた素案を、小中学校の全保護者に配布いたしました。アンケート形式にて、新たな要望が無い場合は、素案が正式なものとなります。スクールバスと路線バスの融合的進化形として、バスが広い三井地区を巡回するという可能性が開けたように思います。なによりも、人口減少や過疎を容認しつつ、地方公共団体として生き残りをはかるという大きなビジョンが無くてはならないものとして急浮上するのではないか、という希望にjusai123の胸は躍りつつあります。こんな場所で暮したいと思う見ず知らずの人が出てくるのではないか?

新中学校への通学方法に関する要望について。

2013年6月20日

新中学校への通学方法についての話し合い2回目。

三井公民館にて、該当小中学校の保護者と先生、教育委員会から2名、合わせて、18人ほどが集り、通学方法について話し合いました。参加した保護者が少なかったのですが、開校までに1年を切ったというタイムリミットの関係で、この会合での意見を三井地区の保護者などの基本的意見とするということで合意いたしました。すぐに、萩野さんがレジュメを起こし、学校経由にて全保護者に今日合意した案件を周知し、来る26日の第3回中学校準備委員会に諮ることといたしました。

 合意された案件の概要は、
             1 路線バスではなく、三井地区専用のスクールバスを準備する。
               三井地区をnigyo,yoromi方面と、uchiya,ichinosaka方面に分け、
               2台のバスを用意し、できる限り各生徒自宅まで送迎する。

             2 新中学校側の乗降場所は輪島市役所にする。

             3 詳細は今後も三井地区にて協議する。
                                          でした。

萩野さんが作った三井地区の0歳児までの、年代別分布によれば、2013年現在の小学3年生以下の年代が3~4人となります。その際の地域循環バスへの変更なども含め、長期的なビジョンを持って、新しい住人がワクワクするような施策を期待したいとの意見も出されました。全国的に学校統廃合が増える現在における、先鞭を切るような場所になればよいと思います。「なんかラクそうな場所だな」みたいなのがjusai123のイメージです。(自分で自分の首をしめながら生きているという事情は、ちょっと置いてですが、それは又別な問題です)。
 つくづく、しゃべるのは難しいなと思いました。自分では理解しているつもりというのが、実は聞く側にとって障害になっているのかもしれんと思いました。ほんとに言いたいことは、そんなにたくさんあるものではない。と思った次第です。萩野さんに、またわかりにくい西川節が始まったとよく言われますが、その意味がちょっとわかったような気がする。かたくなに自分の思いがあると思っている!。そして常に正しい!。と思っている。それは思っているだけなんだ。

 

2013年5月30日

バスケットマン&中学校準備委員会第2回。

1 インターハイ予選at kaga。

 バスケットマンの次男坊のインターハイ予選を夫婦して見に行ったのだった。次男坊は少し自意識強めゆえか、今までに一度もプレイを見せてくれなかったのだった。長男もバスケットマンだったが、彼は恥ずかしいけれどまあいいか、で観戦を許してくれたものだったが、次男坊は絶対に許してくれない雰囲気があった。
 しかし、知らない間に父の想像する彼ではなくなっているのかもしれない。最後の試合ぐらい、見せてくれとお願いすると、試合日程をメールしてくれた。(試合前日ではあったが)せっかくだからと細君も誘ってkanazawaの少し先hakkusan市までドライブしました。
 目立たぬようにと思っていたのだが、興奮してしまい、一人で頑張れ、絶対勝て、と絶叫してしまった。次男坊に目がいってしまうのはしょうがないのですが、チーム全体を応援しようと思いました。目の前に若い子供たちが私の大好きなwajimaと染められたユニフォームを着て一丸となって相手よりも多くのゴールを決めようと集中している様があるのです。ここでのwajimaは高校の名前でもあるし、地方公共団体の名前でもあるし、古くからの倭の島でもある。それだけたではない、今現在、寝起きし飯を食べ遊び学んでいる地球上の一点、昨日も立っていたし、明日も立っているであろう空想上の場所でもあるのです。
 試合は惜しくも負けました。3点差。残念でした。試合後次男坊とことばを交わしたいと思ったのですが、いやがるだろうなと思い、体育館の玄関脇のロビーで血圧を計っていると、目の前の階段から次男坊とゲームメークをしていたchihara君、それにバイプレーヤーのyachi君の3人が降りてきました。思わず、写真を撮らしてくれと近寄りました。「あの応援やめて」と冷静に言われました。他の二人がいや、あの応援はオッケーですと言って次男坊を笑ってたしなめてくれました。次男坊も笑っていたので、まあいいかですまされそうだと安心をしました。(今現在、恥ずかしさがこみ上げてきていますが)3人の写真を撮ると、「お父さんと二人で」と促してくれ、それに乗じて次男坊と肩をくんで写真に収まりました。「いいゲームを見せてくれてありがとう」と握手をしました。最後に次男坊も手を出してくれました。父親になって初めて、私は次男坊の保護者としての父親であるのだと強く思いました。
mattou sougou undoukouen。絶叫していてあせってスナップしました。wajima高校生写っておりません。バスケットマン3人の写真は私の秘蔵写真となりました。

2 中学校開校準備委員会 第2回。at noto。

 無料になった能登里山海道をwajimaに向かいました。いつものことながら、人や自動車の数とスピードがどんどん遅くなっていくのがわかります。wajima市街地をゆっくりと車間距離をあけて並ぶ車列の中で、思いました。kaga地区の子供たちと同じ土俵では、文武ともにもう勝てないのではないかと。都会の人たちと同じ政治システムを容認していては、子供たちだけではなく、大人が、否、大人の方こそ、ふるさとを維持できなくなるのではないか。情報量だけは都会と同じになっているが故に、かえって不自然な場所を作ってしまうのではないか。深く、冷静に、緻密に探し出せば膨大な文化遺産があるのに違いなく、その多くが金銭的価値に移行しにくいというだけで、もはやどのようなセンサーや最先端の道具を使っても探し出せない場所にもぐってしまうのではないか。少しぐらい貧乏でもゆっくりと、優しく暮らせる場所を自らの手で作り出すことは可能であると思うのです。そのための背骨として膨大な文化遺産が再び息吹き始めるのです。今現在も生きているものとして、生活として、多くの山や川や能登半島を取り囲む海とともに。
 何よりもその先鞭となる人間こそが、wajima市に生まれ、これから思春期を迎え、大人に飛翔するであろう13才以下の子供たちなのです。そして彼らの輪郭を縁取る要因としての教育があり、教育を行う場所としての学びやがあるのです。校歌や制服や細部の通学経路は2番目の議題であるのです。何よりも真っ先に準備しなければならないものは、私たち大人の思いなのです。今現在加齢を重ねている大人たちのふるさとをどうしたいのかという理念でもあり、具体的な目標であると思うのです。思考だけで(机上のアイディア)発展を目指す都市に肩を並べて競えるのは、優しい思い、強い信念、ほんとうに危機的なふるさとを次世代に渡そうとする遠いまなざししかないのです。
 グローバリゼーションという究極のローカリズムを生み育てるのは、愚直な思いという超個人的な、今ここに私は生きているという認識以外にはないと思うのです。そこにしか世界は育たないのです。似て非なるグローバリズムは、この視点が無いと、一信教的なイデオロギーに一瞬にして堕するのです。
 ほんとうに高校生たちは可愛らしかった。そんな彼らもほんの少し前まではお母さんにまとわりつき、ほんの少し先で大人になっているのである。一瞬も止まらないで動いているのである。
畳に、座布団では、ちと話しがat homeになりすぎるぞ。

2013年5月28日

新中学校の開校に関する説明会及び意見交換会。

教育委員会主催で、三井地区限定の会であります。制服や校歌などの案件よりも、輪島市街地から最大で17㎞も離れている生徒(私の末娘!)が存在する通り、遠距離通学の問題がほとんどの話題でした。教育委員会の誠意は感じます。既存の路線バスを負担ゼロで(当面5年)利用するのか、1年生から3年生まで合わせて、35人(平成26年度)いるので、三井地区専用バスを運行するのかということに問題は収斂しました。
 その際、私も思いましたが、三井地区の保護者の総意はムリとしても、今日のこの会合に参加している保護者の総意ぐらいは決定してもいいのではないかとの意見が出ましたが、大きな声で引っ張る保護者がいないので、あいまいな状態(また今度)に戻りました。路線バスの増便があるかないか、愛のりバスというバスで末娘が通っているのですが、これは小学校のスクールバスと、廃止された路線バスの融合したもので、このバスの増便と距離の増加、とりわけ、生徒の帰宅に都合のよい増便があるかないかによっても、どちらがいいかは変わっていきます。
 この愛のりバスは、末娘にいろいろお菓子をくれたりしてかまってくれるお年寄りが結構いらして、親としてもyoromiの誰それさんが元気であることや、誰それさんはちょっと元気が無いとかの情報が手に入ったりして、なんだかほんわかとしたイイ感じだなんです。保護者の方々としても、現在、三井地区内の限定運行である、この愛のりバスを輪島市街にまで延伸することが最大公約数的な提案だと思うのだが。代々三井在住の人の中には、そのような少数で固まっていることを忌避したい方が少なからずいらっしゃって、ここでも、ベストな解決が無いか。根なし草の私としては村社会の解放は、このような忌避では逆効果だと思う。
 何よりも、三井地区は面積が広く、かててくわえて、生徒一人一人の部活選択などのライフスタイルの違いなどが出てきて、とても、全体の総意が生まれにくい問題であることだけは、はっきりとしたような気がしました。時間は限られているけれども、じっくりと決めていこうということだけは、教育委員会、保護者双方の見解は一致したと思います。

あいかわらず、かっこつけて、「素晴らしい学校なのならば、少々の問題は我慢する覚悟があります」なんて言ってしまった。でもそう思う。素晴らしいの中身がはっきりと見えないのだが。

幼苗はちょっと徒長してしまいました。5月早々寒くて苗が大きくならないから水を深くして背丈だけ大きくしようとしてしまったのです。そんなことしなくてもよかったのにと。ここ10日間の好天を予想できなかったのでした。いや予想できるかどうかではないな。浅い水で、背丈だけ伸びればいいだろうという発想を許しているということが一番の問題だな。小さくてもじっくりとずんぐりとした強い稲に育ってほしいというビジョンが全く無いんだ。田植えのしやすさと、苗の育ちを同列にかんがえていることがおかしいんだな。

 

2013年5月15日

こかせてください。

ryushou寺前デカ田の裏山に道があります。5年ほど前に炭窯がつくられました。→わじゅカタル
古い言葉が知りたいと思っています。違うかもしれんが、日本だけなんではないか、たった200年前の日本語がわからないのは。書き言葉という特殊性があるのかもしれないが、それでも辞書を引いても読めないのは大変なことと思うのです。
 よく考えれば、古い言葉は自分にとっての他物として封印されているがゆえに、現行の意識がどうにかこうにか、古い書かれたモノを認識できるようになるということは、他文明では考えられないような出来事をもたらすのではないかという淡い希望です。なぜ、唐突にこのように言うかと言えば、yoromiのような僻村にて、連日田んぼに入っていると風景を描写しようとすると、あまり使えるような言葉がなく、(かえって、測量、土木系の専門用語が機能せざるを得ないという気がします)もしかしたら、長い文章を重ねることなく、たったの一語で目の前の瞬間を書きとめることができるのではないかと思えるのです。(かろうじて、芥川龍之介の中期の伝記的作品にその名残があるような気がします)
 小学校から漢文をはじめとする難しい勉強をしておけばと思ったりします。良かれと思ってという明治時代の官僚の方々の努力がかえって、自分自身を表現する時に、その行為を阻害する働きをしていると思うのです。われわれ、現在に生きる者は明治時代以前を博物学的にとらえるより手立てが無いのです。
 古い言葉は消えてしまってはいない。無用の長物としての厖大な古書を、今一度、じっくりと味わってみたい。
itayaAさん、朝の読経後、くりの窓を拭いておられます。

2013年5月9日

田んぼに神秘など、断じて無い!。そして田んぼは普通の風景なのである。

10年以上前に亡くなった shinjiさんの詩に、おれのものはみんなのもの(どうにでもなれ)、みんなのものはおれのもの(おれをやるぞ)というのが、あって、すきなのです。
 田んぼに入っていると、所有がどうであれ、その田んぼをやっている人のものに、田んぼはなります。同時にそのことを感じる自分は、所有欲としての自分のという発想が遠くなります。相互依存性というか、縁起というか。自分単独では自分自身は成立しないと思うのです。田んぼが政治経済的な仕組みの中に取り込まれ、あまつさえ、通貨としての役割を近代まで担ってきたという意味を入れると尚更、複雑になりそうですが、ここからは想像ですが、やはり稲作に限らず、野にあった植物を、人為的に囲ったフィールドで育て、年々の積み重ねによって、よいものだけが、今残っているのは、間違いないことと思うので、自分のという感じは、そんなに古くからある感じじゃないなと。もちろん、角度を変えてみると、ちゃんと稲を結実させるという責任の上では、どうしても自分のという修飾はつかざるを得ない行為として農事はあるのですが。
 今現在の政治経済も、もとを辿れば田んぼに帰するのは事実です。にもかかわらず、ですが与呂見地区のような僻村(いい意味で、です)では田んぼの貸し借りに関しては、(貨幣)経済の仕組みの外にある行為としてあります。むろん、農地の貸借に関する法律も遠いものとしてあります。そのように、すきに田んぼをやらせてもらえることを、どんなに感謝しても感謝しきれないでおります。
 話があっちゃこっちゃいっちゃいました。何が言いたいか。うーmm。田んぼは見るのもやるのもええなあと言う感じです。疲れていやになったりもします。でもなんと、これまでの、とにもかくにもの日本の歴史をすべて埋め込んで目の前にあるのだなあと感じております。植物の生育という純粋生理学的問題もあって、いっしょうけんめい、考えていきたいと思っております。いや違うな。
水は高いところから低いところに流れるみたいなことを、ついついわすれて小難しいことを考えているうちに、10年もの長きにわたって、水が田んぼに入ってしまうのを、まあいいかですましてきてしまった田んぼがありまして、誰かが、その水を簡単に止めてくれました。おそらくsさんでしょう。水口の少し奥にもう一つ水口があったのです。つまりは、ふたをもう一つの水口にもすればよかっただけのことでした。kakosaki gatariが皆から、その言い方はないだろうと怒られ、たしなめられてきた言葉がありまして、それは「そんなもの、考えればわかるだろ」と「それがどうしたってい言うんですか?」です。もはや誰も怒ってくれなくなったのですが、田んぼをはじめとして、私の関わる全ての事柄がふつうに、ふつうにやればいいんだよと、優しく促してくれているのだと思います。田んぼに神秘など、断じて無い!。そして田んぼは普通の風景なのである。


プレビュー

第1回 中学校開校準備委員会。

 新しい中学校にむけた上記委員会の中の通学安全委員になりました。末娘が通う予定だった中学校の所在地が3つの中学校の中で一つだけ、離れているために、通学の問題は大切な問題なのです。特段の配慮がされることは間違いないようです。
 誰かが、通学距離のもっとも長い人は、という質問を受けて、nishikawaさんの御子息で、17㎞ですと紹介された時、いろいろ考えていたけれども、ぶっちゃけ、我が子がいちばん心配だったのだなあとわかりました。で、新しい学校で、「もっとも遠いところから通う女」なんだなあと思ったら、申し訳ないけれども、腹をかかえて一人で笑ってしまいました。
 教育委員会の方が、ちらっと、通学の完全無償化をめざしています。でも市長や議会が…と言ったので、ちょっと腹が立って、かりそめにも、新しい学校を初めてみんなして作ろうとしている時に3000円(通学バスなどの自己負担上限額)ぽっちの金をケチろうとする方がいらっしゃるんですか。と言ってしまった。やっぱりキレたんだな。ちっとも変わっちゃいねえ。おれ様は。大人になれよ、もうじいさんなんだから。とは思うのだが。チンピラPTAだ。

ジャージがコムサ・デ・モードで、校歌がアンジェラ アキの返事待ちで、いいことばっかりが議題に上っておりましたが。
かっこつけるわけじゃないけど、いい学校になるんなら、少々の痛みなんか我慢できるんだ。このいいというのは人によっていろいろだろうけれども、ものすごく簡単なような気がするんだ。

2013年5月7日

正法眼蔵勉強会。3日目~4日目。(?)

 夢を見ているような時間でありました。正法眼蔵の勉強会のことであります。tokyo ginzaにあるギャラリーバー kajimaのkajima makishiさんを通じて知り合った方々が一斉にyoromiに来られます。よい意味でも悪い意味でもなく、yoromiが彼らが帰られるまで乗っ取られます。そして彼らも酒を呑み、タバコを吸い、それはまるでギャラリーバーkajimaそのものがこちらにワープしたようでもあります。違うのは彼らは早朝より坐禅をくみ、経をとなえることから一日が始まるということです。宿坊に泊まり、生活そのものでもあり、旅でもあり、ある種のセッションでもあります。三日連続していわば、議論もすれば、それぞれの今を語り合ったり、うっすらと中心テーマが浮かびあがってもきます。村田住職の「正法眼蔵」現成公案の講義が中心であることは当然なのですが、村田住職はそのテキストがテキスト自体を無に帰するものとしてあると言います。ただ、間違いなくそのテキストが無ければ、この勉強会も無いことも言うまでもありません。
 私の夢はそうして今も続いております。勉強会ではたくさんのことを聞きました。見ました。それらを整理しようにも、なかなかできません。同時に整理しようとする、そのことが、私が夢から覚めることを阻んでいるように思えます。私が生きているということを言葉にすること自体が私自身を一つの物語に閉じ込めているのではないのか。堂々めぐりはそのようにして、そこで起こっている。ただ堂々めぐりをしているポイントが、もしも一瞬でも見えたとしたら、事態はほんの少しづつ変わってきている。そして、今というポイントが微細な変化の数々を現実たらしめていることがわかる。一つたりとも同じことを繰り返すことができないのだと教えてくれる。
 彼らが帰った後の寂しさときたらありません。再び私のyoromiが私の目の前でさびしく広がっています。ほんとうに夢のような時間をありがとうございました。ここで改めて、yoromiに来られた方々の一人一人に心からお礼を申し上げます。私が夢から覚めた時、みなさんは私にとってほんとうの実在として、他者として私の存在と呼応していただけるものと確信をしております。yoromiは暮している私たちからしても謎の定義不能の場所であり続けてほしいと、願っております。


追記。

arimaさんへ。

 コメント機能、今一度試してみてください。こちらでも触ってみますから。

2013年5月5日

正法眼蔵勉強会2日目。

 よいライブを見たすぐ後の感想もだいぶん時間が経ってしまった後の感想でもない、感想を書きたい。murata住職の話よりも、murata住職の話す場がキラキラと輝いているように思えた瞬間がありました。話の内容に興奮したのではなく、そこに必死になって自分自身の今を話している人がいるという喜びです。もちろん、たくさんの言葉を教えてもらいました。murata住職以外にも、たくさんの、それぞれの今を聴かせてもらいました。つぶさにメモだけは、それぞれの名前とともに書いてあるので、明日最終日が終わってから整理整頓をして紹介したいです。あしからず。今日はここまでで。

温くなって葉物がいっせいに芽ぶきました。どの畝がどの野菜かわからなくなってしまいました。いずれはわかります。

2013年5月4日

正法眼蔵勉強会1日目。

miyuki masanari。トップバッター。「にっちもさっちもいかない私」
誰かが演壇に立ち、それを聞くというスタイルは、どのような趣旨の会であれみながマジメにならざるを得ない。マジメというのは従来の意味のそれとはちょっと違って、もっと深いものがあると思う。そして演壇に立つものの全部があからさまになるのである。話を聞く人の解釈により、それらはいかようにも広がっていく。演壇に立つものは、そのような意図を持っていなくとも、自身の倫理を越えた倫理が突き立てられているのだ。今、あなたの口から出ている言葉は、ほんとうにあなた自身が語っているのかと。あいまいなムードや空気をすくい取っているだけなのならば、あなたはただの幽霊だ。ロボットにもなりきれていない霞みのようなものだ。
 演壇に立っているものは、自らに責められながら自らを探し、自らを語るのだ。自らを絶望に駆りたてるのだ。そのことに耐えうるかではなく、そのことを受け入れられるかが、あなたがそこに立っている理由なのだ。

左 sumikoF 右 itayaA。どうもです。

2013年5月3日

正法眼蔵勉強会。前夜祭。

 人の言うことを聞くことは困難であるというより、不可能であるということから、人の言うことを聞くことは始まる。ということをinekoさんから教えてもらった。masanariさんはどんなに反省してもあなたには人の言うことを聞くことができない。と教えてもらった。以前なら、泣いて逃げ帰るのだが、聞きたかったんだ。誰かがいつも言ってくれていたのに、まだ、言ってくれる人がいるんだ。やっとわかった。erikoさんはずーっとこのことを言い続けていたんだ。(更新、5月4日2時)聞くということから始まるのが仏典の読解でも、理解でも解釈でもない、まずもって枢要な行為である読むという行為である。

2013年5月2日

接心(摂心)でした。

昨日は接心にて、一日座っておりました。眠ったり、いろんなことを思ったり、足の痛みを我慢したりしましたが、よくよく見るとほぼ同じかっこうをしているのがおかしかったです。一回、一回、のセッションみたいな感じでなんとか最後までいきました。genさんも座っておられました。咳払い、げっぷ、唾を飲む、うめき、屁など全く聞こえませんでした。genさんは暇さえあれば、座りたいみたいです。titibuの実家に帰っていることが多いのですが、yoromiにいないとわかっているのに、本堂の扉をあけると、もしかしたらとgenさんの座布団の方に意識を向けてしまいます。失礼ながら、いてもいなくても、もしかしたら座っているのではないかと思わせてくれる人です。本堂中央に木彫りの座僧が置いてありますが、失礼ながら、それと全く違わないと思ったりします。(この人、kyotoの某観光有名臨済宗寺院に10年もおったんです)
 私の方は、まるでロダンの考える人のモノマネのようだなと思います。それでも、今のところ誰も座るなという人がいないので、これからも、できるだけ座りたいなあと思います。こんなゆるゆるでいいんかいと思いますが、残念ながら、このような感じしか耐えられないと思います。わたしは。(まわりを見渡せばmurata住職をはじめとして、すげー人ばっかりなんだが)

2013年4月30日

こんな行為はダメだったのだろうか。

JUSAI 123 : やすむぞ←クリック

東日本大震災から、わずか2ヶ月でした。2年以上経って見返してみると笑えない記事でした。まず、考えたのがセシウムなどの放射線が微量でも来ていたのに違いないことですが、そのことだけではありません。不気味なという感じは正直思ったのですが、原発問題、福島第一原発事故の問題など、賛成反対、脱原発、反原発、中間派、無関心(を装う)なという風に細かく分かれて、影に日向に議論、中傷合戦などがなされている現在、「なんだか気持ちが悪い」「得体の知れない気分になります」とは言いにくい雰囲気が醸成されていることに気づきます。
 今でも、そのように思っています。世間では放射線の話はおろか、東日本震災自体のことが、メインで話されることがなくなりました。かろうじて、経済的な側面から報道などはされていますが。私のこの行為と記事自体は傲慢そのものですが、自分の思ったことをそのまま、というスタンスを貫こう(んなおおげさな)ということが記事更新を続けるモティベーションの一つには違いないのですから、どうか、そのようなわがままをお許しください。私は他人の意見を聴きにくいタイプの人間(構造的にヒトの意識は他人の言うことを聴けないのだと思ってたりします)ですが、私のわがままは、どのような他人の意見をもまずは聴くということが、不可欠であるということは忘れないつもりであります。(ヒトの言うことが聴けないから自意識という空間が育ってしまったと、今でも思っております)
 放射線のことを人類はまだ、あまり知らないのではないかという疑い(確信)があります。ならば私は声を大にして言いたい。思いつく限りの最悪の事態を基準に考えるべきだと。人類は人類のことを、まだあまり知らないし、経験も膨大な歴史記録のわりには、それほど豊富ではないと、もっともっと謙遜せよと、私という人類の一つに言いたい。くどいようだが、自分自身に、どのような意見も、必ず1回は聴けと強く言いたい。聞いたか?jusai123!ほんとうに不気味なこと、気持ち悪いことに対する感覚器官を自愛せよ!?

nakada本家さんの田んぼ。歴代家系の薫陶か、美しい仕事をさりげなくされます。小さな耕運機で。

私は意識の上にある普遍でもあるが、自意識を一般意識と混同するというあやまちに気づいたところで、止まってしまっている。再び、意識は自意識に語りかけなければならない。「なあ聴いてくれるか?」というところから。(わけのわからないところに、久々に行ってしまいました)(^0_0^)

2013年4月29日

イバラの道。



sakataの堰を止めて、yoromiばばなき田んぼの堰も組んだ。小川の草刈りをしていると引っかかる。イバラの道に。引っかけているとしか思えない。悪意に満ちたトゲだ。ブヨも調子こいて、たかりやがる。でも彼らも同じ地球に住んでやがる。ひと冬過ぎて乾いた用水を流れ始める水も生き物のように見える。それぞれに地上の条件を選びとりながら。


氏神さま。sakata。


濡れ落ち葉。去年の全て!


yoromiばばなき田んぼ。今年も。

2013年4月28日

いよいよ、本田(サッカーではない)へ。

 先日、hakui,nanaoと周遊した帰りにsakataを通って氏神さまに今年も田んぼをよろしくお願いしますとあいさつをしてきた。鳥居をくぐらずに道端に車を止めて柏手をうっただけなので、届いていないかもしれない。でもこっちはちょっと安心できました。神社のことは何にも知らないのだけれども、まずはあいさつをしなければと思ったのだった。よき気候にめぐまれて水に不自由することのないように、又、元気に稲が育ちますようにということをお願いしているわけなのだが、もしかしたら、自分を越えたところで何世代にもわたって為されてきた田んぼ仕事とのつながりも感じたわけで、ご先祖さまと言う時に、何百人のお百姓さんがいるだろうけれども、ただ田んぼに関わったという無名の人達という意味に感じるんだ。一つひとつの手間、その時の気候、そして一人ひとりの、実在した人たちのそれぞれの、厖大な思いへの想像。そして時代状況も。全部ふくめて積み重なっているであろう時間のすべてがどこかにあるに違いないと想像する。その結果としての今。芽ぶこうとしている無数の生き物への思いです。ジンベエザメのような大きさから、小さなブヨに至るまで、なんとたくさんであることかと。
 明日はsakataの用水路に水を流し始めようと思います。

お米の精髄。ドブロク。田んぼ仕事の後は一際うまいのです。(不思議)

2013年4月26日

自意識に過剰などあるだろうか?

父の兄弟が金でもめているらしい。あの人格者ぞろいの兄弟がけんかをしている。美しい思い出が、また一つ消えた。悲しんでいるわけではない。いらぬものが消えたという喜びがないわけではないから。父は長男として明確に他の兄弟と区別して育てられたにもかかわらず、家そのものを守るという感覚が無い人で、(genさんは理科系の人なんだねえと言っていた)ほぼ、妻(私の母)の婿のような生活をしてきた。長男としての責務を果たさなかったから家が消えようとしているんだ。でもよく考えると私の今のやくざな暮しが可能なのも、父がそのように守るべき家など無いんだと言葉ではなく実践として教えてくれていたからなのだが。そうだよオヤジ、兄弟げんかなんだぞ。あなたは今、実践してきたことを言葉でもって姉や弟妹たちに投げかけてみるべきだ。おれたちは同じ父と母から生まれ、育てられてきたんだと。
 夜、wajimaの街を歩いていると、私の記憶どおりの街が、実は現実にはなかったことがわかる。それでも、やはり目の前にはいまだにwajimaの街並みがある。そして、三度、wajimaの街は無いことに行きつく。そして、四度、あらわれるのであった。

シンクロニシティか。別な伯父さんが定期健診でmii地区唯一の病院にminazukiのワカメを預けてくれたのを取りに行く。寡黙な元小学校校長で、海散歩を今でも黙々と続けているそうだ。minazukiは父の生まれ育ったところである。兄弟姉妹たちが生まれ育ったところである。

とれたて。

レシピも添えてくれた。小量でまずは試せと、簡潔に書かれてあります。(嬉)(涙)

2013年4月25日

平成25年度M小学校PTA総会。&懇親会。

歩いていける。

懇親会場へ。

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oosakaの伯父さんに会う。折口信夫の生誕の地ゆえか、日本の歴史(認識)の話で盛り上がる。伯父さんは浪速の商家に婿入りしてもまれたビジネスマンでもあったのだが、今古事記を読んでいるという。神武天皇の前の天皇の名前を父も知っているので、おかしいと思い、もしかして学校で学んだの?と尋ねると二人して「そう」とハモったのだった。明治維新政府(薩長土肥)によるねつ造(急造)の歴史とそれ以前から連綿と続く歴史との違いに思いを馳せたのだった。しかし、今もなお、続いている歴史ゆえに、微妙な認識の違いにも気付く。今、現在が把握できないのと同じぐらい過去は難しいのだ。そして未来も同様に。「わしは商売人やからな」(すでにネイティブoosaka弁)いえいえ、商売人というのは今ではほめ言葉なんです。エコ(ノミカル)なんです。と自分では標準語だと思っている魂のこもっていない日本語で答えたのだった。



2013年4月20日

ボソボソと。平成25年度、PTA役員会。第1回。

 PTAの役員会があり、haginoさんを副会長に加えることを提案したが、規則を変えると混乱してしまうのでダメと言われる。しつこく、規則を変えることを議案として、総会に上程してもらえないかと、ぼそぼそと言っていると、あるお母さんに怒られた。まただ。もっとうまく、話を持っていけばよかったのだろうか。もっと笑顔で前向きに言えばよかったのだろうか。どうしてこのような時に切れないんだろうか。いつも、小さなことに切れているのに、こんな大事な時に、なぜ本気にならないんだ。規則を守るためにPTAがあるわけではないんだ。でもすんませんと、提案を取り下げたのだった。守ろうとしているのは自分の体裁だけだ。なかよくしんかまあと、言われるとガックリしているのに、俺の中にも、しっかりと、なかよくしんかまあが、根付いている。
 前もって、役員の方がたには電話で言っておいたのだが…。了承されていると思っていたのだが、教頭先生が規則は変えられないの一点張りだ。変えようという議案ぐらい出してもいいんではないか。永遠に規則は変えられないということなのか。憲法よりも重いものなのか。
 しかし問題は、私が本気になっていないということなんだ。そのような者が、ボソボソと、無愛想で理想論ばかりしゃべっていたから、思わず、怒ってしまったのだろう。お母さんが別のお母さんに今から、晩御飯つくらんといかんのだろうと言っているのを聞いていると、いまどきのお母さんは、分単位、秒単位のスケジュールで家事と仕事をこなしているということがわかる。そんな時にトシヨリが、ボソボソときれいごとを並べているのが我慢ならなかったに違いない。だから、全然怒られても腹が立たなかった。別なお母さんは環境委員として、田んぼ、ビオトープ、炭焼き、などの自然環境と学校の敷地内の環境がうまくシンクロしあうような統一感ある行事を創造できたらいいですねと、意見が一致もしたのだ。(きれいごとが拒否されたわけじゃなかった)教頭先生は、教育委員会のスパイなんじゃねえかって思うぐらいだ。なんでこんなにみんな忙しいのに、世の中、いや、それぞれの家庭はよくならないのかとも思うが、それらのことよりも、半世紀以上も生きてきて、本気になるものが何一つないという事実に愕然としたんだ。で、何か本気になるものはねえかと、子どものようにきょろきょろしているんだ。自分にこもっていることが、わかる。出るのは簡単だ。自分でありさえすればよい。そんな簡単なことをサボって、周りの世話になりながら、ここまで生きてきたんだ。

冬越しのコマツナ。

同じく、ハクサイ。菜の花にchange。

電話で根回しをしていた時に、wajima弁になっていた。相手に自分の意思が伝わり安い感じがする。ようするに「なかよおせんかまあ」だ。個人ということを隠ぺいし、民主主義を規則どおりに運用すればするほど、ムード(空気)が王様になっていくんだ。私のズルさは、そのことに気付いておきながら、そのことを、そのまま言わなかったことである。言わないどころか、方言をわざと使っていると気付いていながら、方言を道具として利用したことである。つまり、強きを助けて、弱きをくじいているのだ。わかっていながら、仲間はずれになることがいやだから、怒るべきところで怒らないのだ。いまだに、個人(personペルソナ)が、まったくわからないのだ。理解すればするほど、わからなくなってくるのだ。


2013年4月15日

よかれと思ったのだが。

先日の新車庫づくりにて、ユンボがあったので、水はけがよくなるだろうと思って、深い溝を掘った。すでにあった溝につなげたのだが、新しい溝の方が深くて水が排水されなかった。そこまではよい。ところが水がどんどん深くなっていくではないか。そして減る気配がない。あちゃちゃ。どうも、西川ミニ農園もいつもより湿っている。あちゃちゃ。
 kawabataさんが草刈り機の修理においでたので、なにげなく聞いてみると、とんでもないことをやらかしたみたいだ。どうも水の新しい道をつくってしまったらしい。よかれと思ってやったことが、逆になってしまった。田んぼを長くやってきて、このざまだ。水のことを知らないのであった。ただ、穴を掘ってしまったのだった。水はけをよくするためには二重三重の仕事が必要になってしまった。これでは墓穴も掘れないではないか。
 こうして、実際の自然の重さをリアルに感じることができるのだ。一手間一手間ごとに自分がどういうところに立っているのかが、少しづつわかっていくのだな。負け惜しみや強がりのようでもあるが、どのような失敗にも無駄なんか無いんだな。

2013年4月13日

いっしょうけんめいなどと言うレベルを越えて。

野良仕事ほどセンスを問われるものは無いと思われる。試験の答案用紙のように標準的なアクションがあるわけではなく、数学のように絶対的に正しいと思われる答えも無い。右と左だけではなく、上下などの方向が加わる3次元の壮大な宇宙が舞台だ。
 器用なだけでは美しくない。仕事ぶりは。否、たとえば田んぼの畦塗りなどは結果が出ると同時にその過程の美醜もばれやすい。この観点からすれば、わたくしなどは仕事ぶり、すこぶる無様にて、結果は見事に美しくない。
 だが、このような者が絶望的なわけではない。苗代の長い畦を触っていると、土質や雑草たちの種類の違いによって、スムーズに仕事が進む場合と、もう泣いて帰りたくなるほど足腰に負担をかけてくる状況が交互に反復する。そして、太陽のあるなし、風のあるなし、現れる野生動物たちの種類によっても感情というか自意識は一瞬ごとに変化する。かてて、加えて奥さんとの小さな(だが夫婦間の問題としては小さくない!)けんかのことを回想したりして、まことにドラマティックで忙しい。田んぼ仕事では単調な反復が多いので、(というかほとんどが単調な反復だ)基本的にトランスしやすいことはしやすいのだが、それを越えて喜びも又、現れやすいのだ。
 目の前の一つ一つの手間をしっかりとし続ける。朝から晩までと考えると、まことに嫌になることの多い野良仕事だが、そうしたことを考える自分をまずはほっぽり出すことができれば、これほどダイナミックな仕事はないんではないか。むろん、自分をほっぽり出すなんぞ考えたらできやしない。が、可能なのである。と言うより、誕生以来、常にワタクシたちは自分なんぞというものを持ったことなど1秒も無いのである。出会う人やモノなしには自分なんぞ、事実として無い!
 秋まで無数の行程が控えていて、ウンザリもするのだ。しかし、秋は無いのだ。なぜならば、ひと手間ごとに刻んだ時間が秋なのであり、私ですら、一秒でも留まることができない時間なのだから。

苗箱摩天楼2013。880枚。種まき終了。

左 murata住職 中 sobakiri jin 右 gen。苗代田2013


tokyoの個展から帰宅。ひさしぶりです。fukuda sumikoさん。