2012年6月30日

無題

何をやってもておくれだが
それでも生きていく
何でもやってしまうのだが
それでも生きていく
どうしようもないけど
生きていく
とてもたいせつなようにして
つねにあるものが邪魔なのであるが
それがなければこれもなかった
それがなくてもあったもののうちのひとつには違いないのだが
なぜこのようになってしまったのかが
これには
これにだけは
わからない
だからあるといえるようなそれは
どこにもなくて
だからこそ
ておくれでも
生きていく
何もやらないでいられるような
ておくれはありえない
どうしようもないと
言えているうちは
まだなんでもやってしまうんだ
なぜこのようなかたちでしか
生きていられないのだろう
こたえのないなぜだけが
すくなくとも
50年間続いているのだった

2012年6月29日

タマワリ。(田んぼに行くこと自体タマワリ)

sakata  酒人神社。


昨日、sakataの用水が急激に弱くなっておりました。これは、雨不足のせいではなくて、用水の途中で、水が漏れているせいでした。堰から近いところで、通常ならば側壁側から漏れるのですが、底から漏れていました。応急で、近くに側壁を覆っていた(約10メートル、側壁が漏れやすいので)ビニールシートを押さえるために置いてあった土のう袋で大穴をふさいでおきました。たぶん、水sakataの田んぼには来ていないだろうと思いながら、今日、sakataにやってきました。
おそるおそる、田んぼにやってきました。あのような大穴ふさげるんかいなと思いながらyoromi high wayを走りました。酒人神社にもお願いしました。昨日、十分に水が流れていた用水に突然水が流れていないことの驚きを想像してください。
水は結局来ていました。総延長が約215メートルもある、ほとんどU字溝も敷設されていない、ただ土を掘っただけの用水ですから、漏れや不測の事象に備えて、こまめに点検することが必要不可欠なのだということを痛感しました。微妙なことで、水量が変化しやすい。コンクリートやポリだったら、楽だろうなと思ったりしました。
ほっとして、農道の草むらに座りました。日差しもあたらず、一服こきましたら、ちょうど目の前にお墓があって、南無阿弥陀仏の名号が目に入ってきました。どれだけの人がこの用水をみてきたのかと思い巡らすと、なぜだか、「雨を降らせてください」と手を合わせました。とにかく、雨が無いことには小川の水そのものが涸れてしまうのですから、あらゆる対象に手を合わせてお願いするしかないのですから。
力太郎。
結局草刈機を動かして、用水のまわりの草を刈りました。やるつもりのなかった田んぼまわりも刈りました。で、大穴のあたりを刈ったら、まずまず塞いだと思っていたところが、再びじゃじゃ漏れしています。夕方近くになっていました。でも昨日のようにあせってはおりませんでした。昨日は漏れているとことだけを見て用水全体を想像していましたが、今日はこの眼で用水全体を見てから、問題箇所に立っています。必死でした。どうしたらいいんだと考える隙もなく、足は側壁を踏んでいました。(原始的!)しかしこれが、効果バツグン、余裕をカマシテ小川に降りてできるだけ大きな石を探しました。力太郎みたいなおとぎ話を思い出していました。「あれは実在の人だな」「水をうまく止めてくれるならなんでもするさ」「ムラのみんなも喜んでくれるべ」。
他にも微妙に漏れているところはたくさんありましたが、やはりこの大穴が最大の原因でした。そして、水漏れがほとんど止まると用水を流れる水量が急激に増えました。あとは、刈り取った草を用水から上げたりしながら田んぼまでの道のり(出たあ、みちのり)を歩きました。こんなに雨が降らないのに、こんなに水が流れているのが、ほんとに気持ち良かったです。小さな旅のようなものです。
用水の手入れをしていて、思ったのは、ほとんど江戸時代やもっと前、もしかしたら、弥生時代とちっとも変わらない風景の中にいるみたいということです。その間現代的なものといえば、定時に離陸した能登空港発の飛行機の爆音と、ポチャンとカエルが用水の深いところに飛び込んだ時に感じた文学的な感じ、それとポケットに入ったデジカメだけでした。帰り際軽トラをUターンした時に、ちょうど酒人神社がまっすぐに見えました。お礼を言って、近くの自販機に走りました。缶コーヒーが飲みたかったのでした。
sakata用水



2012年6月28日

コロガシ&ボカシ&手&タマワリ(5)。

  午前中に終える予定の草取り、午後までかかりました。クログアイは姿のシンプルさに比べて、存在感バツグンです。イグサのように一本の茎だけなのに、ひげの薄い人の無精ひげのようないやらしさを感じます。まわりの小さい稲をわざわざ抜いてしまったりします。このように、ひとつの田んぼにかかりっきりになっている間にも、草が少ないとスルーしていた田んぼにもクログアイが、急激に増えそうな田んぼもでてきました。稲が元気なのが救いです。


yoromiTsyouten裏1



ボカシ   3  



ばばなき田んぼ2



ボカシ   5





Sさん田んぼ(谷内)



コロガシました。コナギ多し。


ボカシ   1 (合計2)




四角田

いちばんいい稲を写す。^^;


ボカシ  1.5




Nさん田んぼ



ボカシ  2.5



二度ほど、雨が降りましたが、台風通過時も雨がほとんど降らず、空梅雨傾向です。だんだん心配な水系も出てまいりました。さらに夕方、見にいったsakata4枚田の水源も弱くなりました。水路の途中に川に駄々漏れの部分があり、明日は修復です。yoromiの水系も堰自体の密閉性を増さないと、と思っております。雑草とのたたかいもひと段落として、こうした修復に神経もまわそうと思っております。(まだ、コロガシはしつこく、やろうと思っておりますが)


九州では大雨による被害がすごいとのことですが、20年前ならば、特集を組むほどの気象災害だと思うのですが。全く報道されていないひどい災害があるからでしょうか。金融?原発?
 何十年にもわたって、何百兆円の投資が地方になされているのに土砂崩れがなくならないのはなぜだろうか。水をコントロールする大局的な見取り図がないことに起因するのではないだろうか。ダムだっていくつも作っているじゃないか。日本は国土のほとんどが山なんだから、それくらいの金額じゃ無理というのもわかるし、気象異変というのもわかるのだが。









2012年6月27日

コロガシ&ボカシ&手。(4)

コロガさずに、ボカシをまくだけですむ田んぼがBESTなのですが、今日は手で草をとりました。Tsyouten裏1は例年、用水の事情で、水がじわじわ入ってしまうのですが、今年はその条件もなくなり、水をコントロールできるようになりました。温い水がたっぷりためられているので、米ぬか撒布による有機酸発生でほとんど草がなくなるだろうなあと思っていたら、逆にコナギをはじめとして、オモダカとクログアイ大発生してしまいました。
 まあ、今日で終わるだろうと高をくくっていたら、終わりきれませんでした。いったん雑草が発生してしまえば、一回それらを取っただけでは、再び三度、発生し続けます。雑草との共存にて、時間稼ぎの間に少しでも、稲が優先的に成長するのように促していくしかありません。久しぶりに何も持たず(コロガシやボカシの袋やその他)素手にてこちら側からあちら側への往復を繰り返します。最初は不要なものを整理整頓するような気持ちよさが勝っていますが、だんだん飽きてきて、おまえら何の権利があってこんなところにいるんだと思うようになります。しまいに腹が減ってきたりして、こんちくしょうとも思わずに暴力的に草をかきとったりします。ようするになぜ、俺の気持ちよさを邪魔するんだという姿勢であります。
 毎年、Tsuuoten裏1は手で入っている。ここの苗は穂が出るまでは姿が美しい。株の増え方もよい方です。やりがいがあります。田んぼのまわりに家が2軒あって、人の声が方々から聞こえてきます。不思議と人の話というのは聞こうとしても、何を話しているのかがわからないものです。でもかなり意識しているので、次第に日本語のように聞こえなくなることがあります。yoromiの女の人はいい意味で言葉が荒っぽくて、流行の「~だぜえ」みたいな感じで相手に相槌をうつときに「おぅ」みたいに返事されます。「能登のととらく」という言葉がありまして、父ちゃん(男)が楽なんです。愛情深い女性が多いのです。田んぼにて、(被害)妄想しながらも、その温もりの中で草を日がな一日取り続けられる喜びもありました。幼子の声も、まだしています。笑うにしても、怒るにしても、何をするにしても全力だ。隣の田んぼにはすぐには追いかけれれないのを知っているような顔をして、アオサギが飯を探している。田んぼの温い水にひたって、手をいれたままでいると、(あるいはクログアイと稲の区別に手間取っていると)ヒルが何匹もくっついていたりと、セミも鳴いておりました。
 幼子がおばあちゃんと散歩しています。「ホタル見に行きたいって」と別な家のおばあちゃんに。
別な家のおばちゃん「へっ、ホタルう。ほんとけ。紙に書いておこう。昨日出たけ。昨日って何日?」
 jusaiも昨日、家の前でホタルを見ました。というわけで、書きました。

こんときは、まだ元気。

まだ元気だな。

sumikoさん。撮影。

コロガシ&ボカシ(3)yoromiにぎわう。

 ご親族の方がyoromiに戻られているようで、諏訪神社のおかりやが開いていて、ご婦人の笑い声がはずんでいました。祭り?午後から入っていた田んぼのわきの家から幼子のかわいらしい声が響いてきます。うすうす感じていたのですが、老人の比率が高いと、静かでおだやかで、安心なのですが、若い世代が欠落していると、社会的な意味ではなく、ムラとして不完全であると思うのです。心理的なことを言いたいのではなくて、むしろ身体に悪いという直感があります。
無条件に幼子の声は未来そのものでした。腹が減って、おまけに予想以上に雑草が多くて、不機嫌だったjusaiの耳にもストレートで入ってきました。使い切っていなかったエネルギーが沸いてきました。あらゆる世代がともに居るというのは、当然のことなのではないでしょうか。


sakata1

やっぱり、水かな。雑草、少なし。


ボカシ   2 病気や倒伏の心配なき田ですので、きもち多め。



sakata2


ここも、。


ボカシ   2.3



sakata3


ここが、もっとも収量、稲の美しさなどがよい田んぼです。
今年も。  
sakata3。しつこいですが、アザミです。花の時期、長いです。


 ボカシ    3   気持ち少なめ。






sakata4

例年、カモが集まりやすく、ちょっと早苗が痛んだりします。今年も。稲のなくなったところに、オモダカが旺盛に活動しておりました。思わず、手で取りました。予定は未定であります。

ボカシ  5  田んぼ手前の、水温ちょっと低いところ、カモにやられたところ中心に、気持ちかなり多めにまきました。

画像左側、中央付近、稲の空白地帯あり。 カモめ。


yoromiTsyouten裏3


さらっとコロガすつもりでしたのに、手で草取りしました。予定は未定。田んぼに入ると、それまでの世界がちょっとひっくりかえります。(少しおおげさか)


ボカシ   3

予定ではもっと田んぼをまわって、ボカシをまくつもりでしたが、今日はここまでで終わりにしました。6月から7月への変わり目は一瞬でも油断していると、たったの一日で田んぼの様子が変わります。わかっていながら、毎年、油断します。あぜで囲まれた田んぼの中で、稲だけ、がんばってくれえと言ってます。


ここから、jusaiの田んぼはじまります。

帰り、参道でkouhuおばあちゃんとハナが散歩してました。アオサギと違って、ハナはカメラから逃げません。









2012年6月25日

コロガシ&ボカシ。(2)

いよいよ、雑草と稲の戦いはピークと思われます。オモダカとクログアイの勢いがすごいです。幸い、稲の方が、優っているところが多く、影響は最低にとどまることと思っています。genさんのまわっていた田んぼはすごかった。水が赤く見え、光を遮り、雑草はほとんどというよりは全く無かった。一回目のコロガシを終えると、手取りはおろか、コロガシすら使っていなかったのではないか。なぜ、他の人だとそうはならないのかを考えても、わからない。考えうるのは水が田んぼごとに、最大量を常に保っていたからということです。赤ちゃんが泣いても、水位を下げるな。みたいな構えを7月後半の落水まで一瞬たりとも崩さなかったのではないかと思います。その上で、水温をできるだで、上げるようにして、水をやりくりしていたのだと思います。なかなか、真似ができません。
 オモダカやックログアイは酸素の供給が経たれても、光が遮られても、そうした条件の方がかえって発芽成長しやすいのです。防ぐには、有機酸を米ぬか散布によって発生させて、発芽や成長を抑えること以外に、お金や物量をかけずにできる方法はないようです。


ばばなき田んぼ1


ボカシ   4

ちょっと棒立ちの様子。ここの用水が細いのです。明日堰をやりかえよう。


銀座田1


ボカシ   1.3

去年よりはコナギ少ないです。


銀座田2


ボカシ  0.7





神社前田1



ボカシ    1.5




神社前田2



ボカシ   1.5





Tsyouten裏1をコロガそうと思ったのですが、あまりにクログアイが多いので、落水して明日固めて、土の中に埋め込もうと思います。






Tsyoutenura 2



全面コロガシ。



ボカシ   2


クログアイのデカイの。




ばばなき田んぼ2向い。


ほとんど草がありません。川側にクロフアイ発生地帯あり。


ボカシ   4






2012年6月24日

公演会。in Wajima

 PTA活動にて、講演会に行く。親力で決まる子供の将来。うーmm。つらい。50を越えてなおも、自分はいったいどうしたらいいのかわからない者にとってはストレートすぎる演題でした。聞いているふりをして、200人を越える観衆に、一人立ち向かう方の話し方を研究しようと思いました。あがり症のjusaiにとっては神業にも近い行為なのです。
話を聞いてしまっていましたから、話し手が一枚上手でした。何百回も講演を重ねると、おそらく自分はこんなにうまく話しをしたなどという感慨はないのでしょう。それに、重大な集団的勘違いに気づいたものにとっては、その勘違いの要点を簡潔に伝えたいという強烈な熱意も生まれているのでしょう。親野智可等(おやの ちから)さんにはそれがあったように思います。話し方のマニュアルなんぞなかった。教育を大上段に語る場合に、容易に陥りやすい、権力への迎合もなく、かといって、在野で、がんばって、がんばらないでおこうみたいないい加減なスタンスもなかったように思いました。子供に対する教育の重みを臨床的に痛感せざるを得ない、教師としての現場を土台にされた方ですから、臨床例(すなわち実際の教育現場)を素直に研究しようという決意のようなものも感じました。
中庸というのはむずかしい。客観という主観からしか客観が見えないようにして、あらゆる事象を私という主観で見ることはできない。限られた空間を限定してはじめられた事象しかわからない。すばらしい話は話手と聴き手のどちらにもない。面白かったなあ、あの人の話はでは、まだ、話は話手の中にとどまっている。面白い話を聞きたいというjusaiには面白い話など決して近寄ってこないのだ。かろうじて、残っているのは途切れ途切れのフレーズだった。
「真実はシンプル、やるかやらないか」
「あきらめて目をつぶる」
「意味不明な言葉で怒る。たとえばばびぶべぼん」

午後から田んぼに入ろうと思っていたのだが、実家によって、父と話をする。父の父はいつも言っていたフレーズがあった。「この辺の海の沖合に平家の落人の船が嵐を回避するためにやってきて、その中の書記官がこの地を気に入って、そのままこの地に住みついたのがわれわれ、左伝家の先祖なんだ。(jusaiは25才まで左伝という姓だった)屋号が文衛門なのはそのためなんだ」
これは幼き頃jusaiも聞いた。父はそんなもん、うそっぱちのでたらめだと言う。そこで、jusaiは言う。「あんたは理科系だからそんなことを言うけど、俺は信じてる」「ほら、叔父さんが調べた江戸時代後半のご先祖さまの話、ほら、一人でお寺巡りをした女の人が持っていたっていう小さな観音様の像、まだじいちゃんの家の倉庫にあるでしょう。あれ、見れないかな。それに左伝って春秋左氏伝の略なんでしょ。あれって、漢だったかナントカだったか中国の古い時代の戦争の歴史の記録なんでしょ。平家は源氏に敗れて命からがらこんなとこまで逃げてきたんでしょ。きっと奥能登の各地に平家の正確な歴史を残すために奥能登の各地に暗号というか、文字にしない記号が眠っている場所があるげんて。父ちゃんが先祖代々の口伝を受け取らなかったせいで、孫の俺に隔世伝達されてんて。父ちゃん、長男としてあるまじき人生を歩んできてんて」
絶対に文字にしない記号の存在を想像して妄想は止まらなくなってしまいました。jusaiが大好きな本の著者たちはみな共通してこのような妄想に一生を捧げた人が多い。ソシュールや折口信夫、それに中上健次。妄想だから正しいかどうかはわかりませんが。
諏訪神社の真向かいの山にアオサギの巣がある。神社前田に入っていると彼らが神様の侍従のような気がしてくる。(画像中央にアオサギが集落を見下ろしている。

はずれのどん詰りの駅故に、シベリアに向かう。今は廃線となり機関車は来ない。
なんだかすごく疲れた一日でした。

追記

講演会会場の上にある大ホールにて、輪島市主催による「がれき受け入れの説明会」が開かれていたことをニュースで知る。全市民に対する説明会とめいを打っていたようですが、同会場ではなんの看板もそれらしい、デモンストレーションも皆無でした。疲れ倍増。

2012年6月23日

コロガシ&ボカシ。(1)

ボカシ肥料を散布、始めました。雑草の多いところ以外は、コロガシなしで、ただ、まきます。どの田んぼもいよいよ、オモダカとクログアイが出そうです。米ぬかだけでも、かなりの窒素成分で、今年は少なめから不散布という感じでいこうと思っています。yoromiがやりはじめて、まだ新しい田んぼは多めにまこうと思っています。地力の弱い田んぼはもちろん、多めです。




神社前田2、3


田んぼに入りました。思ったより、オモダカ目立ちます。コロガシだけではと、手で取りました。しかし、稲が優っており、一安心でした。


ボカシ   米30キロ袋  2弱。





Sさん田んぼ(自宅前)


思ったより、コナギ多し。地力弱いため、稲に若干影響あり。



ボカシ    6袋。






Sさん田んぼ(谷内)


驚きました。油断してました。コナギ大発生。地力の弱さに比して、稲大きく影響減らしてくれるのを期待。


ボカシ    1袋まいたところで、ストップ。コロガシてからに。





tajiri田んぼ

隣の休耕田に入水して、その水を利用させてもらっている。とても温い水。


ボカシ  2   面積に対して多めにまきました。





ばなき田んぼ2


ボカシ    1

ついに、玄米保冷庫買いました。

2012年6月22日

指導者研修会。in Kanazawa

浅野川。下流に向かって。ここにも水がある。

研修会会場のホテルN航。この近くに古い古い辰巳用水が流れておりました。用水が好きです。直前まで奥能登の小さな川で途方にくれていた者が、30年前の麻のジャケットを着てロボットのようにして歩いている姿を想像してください。(喫煙所前から撮影)注。喫煙所は鉄塊のような思いドアの中、全くホテルマンのサービス(思いやり)の届かないスペースとして自立しておりました。一枚の油絵が慈悲のようにして掛けてあり、愛想のよいホテルマンのあんちゃんに誰の何という絵なんですと聞いても、へらへら笑っておりました。注。ホテルマンのあんちゃんは、客の些細な迷いをも見逃すまいという姿勢が存分にうかがえました。このような職業もあるのだなあと思いました。あれはなにマンなのだろうか。

約700人のPTAの方々。このうち100人くらいはPTA会長^^;
 kanazawaにゆきました。石川県PTA連合会による、よりよきPTA活動の指導者としての自覚とテクニックを学ぶという場です。yoromi出発直前まで、N水系の取水口の堰に水がたまらないで、小川にて途方にくれていました。ただ、小川を二枚の分厚い板で堰止める以外に何か独自の操作でもあるんかいなと困っていると、視野に人影が映り、声が届いてきます。Nばあちゃんでした。「それそれ、ほらそこの出口にあるカゴ(葉っぱなどをフィルタリングするためにかぶせてある)に葉っぱ、つまっとる、せい。それ、とるまっし(まっしは強い要請を和らげるための当地に語尾における方言)
取ると見事に出口から用水に向けて強い濁流が田んぼに向かって流れていきました)このまま一生一滴の水も流れてこないんではないかという思いもあっさりとながれてゆきました)葉っぱのせいかもとは思っていたのですが、こんなに影響を与えていたとは思いませんでした。小さな一手間がその年一年の田んぼの風景と収穫量に多大な影響を及ぼすことは何度も経験していたのですが。
kanazawaはjusaiにとって、コンプレックスの場所です。日本の縮図のようにして、一極集中の県都として君臨しており、jusai幼かりし頃、kanazawaへ家族ドライブするなんぞという行為は相当の緊張をもたらしたものです。その反動として、いまだに岐阜の田舎武士をmaeda様として、全面的にあがめておる田舎ものめ、おれらnotoはユーラシア大陸の大部をしめる中国文明との融和によって、きみたちに徳川体制というモダンなイデオロギーを産み出す素地を与えているんだ、などと、強がったりしております。石川県公衆浴場組合(ヨクジョウですぞ)理事として、何度も参勤交代のようにして、金沢にある事務所の会議に参加した折、いつも感じるのは石川県は基本的に地域(この言葉は大嫌いだ)を加賀、能登、金沢と三分割して、催し等を均等に配分するという建前がありながら、議事進行は圧倒的物量を誇る金沢地区の人たちがほとんどイニシアチブを握ってしまい、加賀は金沢よりも関西にちょっと近いぶん、はるかに遠い能登などはただ、追随するどころか、首をちょっとかしげるだけなのであった。うーmm。こうして気づいたが、こりゃただの被害妄想に近いなあ。しかし、田舎者のコンプレックスは、こうした相手側の無自覚に対して、いっそう、妄想はつのるのであった。
研修会にて、二つの学校が自分たちのPTA活動の様子をプレゼンテーションされたのですが、700人近い参加者の間で名刺交換会ゲームがあり、三枚の名刺を持って、知らない人と名刺をやりとりしました。jusaiはきれいな中年女性とやりとりしました。金沢周辺の学校の方で、つい、三時間ほど前まで、こぎたない作業服で、小川で下を向いて、困っていた自分が見えます。が、聞けば女性も奥能登のご出身の方で、何と思い込みの激しい男かとしなだれました。同時に、tokyo在住中も薄々、思っていたのですが、jusaiのような激しい田舎者のコンプレックスが巨大都市の属性の大部分を形作っているのではないかということを裏打ちいたしました。都市市民は、ほんとにただの普通なんではないか。(しかしその普通さに対してもコンプレックスの矢を放つのですが)
さて、今回の指導者!研修会の総括を。
PTAとは、ようするに、ただの保護者会なのだと思う。しかし、教育委員会の属性があいまいなのが、戦後の教育だけは財政やあらゆる社会的カテゴライズから独立させたいという形而上学的発想によることと同様にPTAも子供を神聖化しようとする思いからスタートしたのだろうと思う。(TPPのように記号的な外来語の羅列が好きなのか)
そうした倫理を伴った行政的区画から倫理だけが形骸化して、制度だけが残り、はては、PTA活動をうまく維持するノウハウをやっきになって探すという完全なる逆転現象の海を保護者たちは、ただ唯一自分の子供のためにという現実を頼りに、ほぼ消極的に活動しているのだろうと考える。三時間近くの会議の間中、ただの一度も、今子供たちの様子が垣間見られなかったのである。危険から子供たちを守ることに精一杯で、危険そのものをなくすというベクトルがまったく無いのである。


自家用車で行ったので、会場のすぐ近くにある村田住職の甥であるtatsumi ryoukou住職が守っておられる、kousei寺に車を止めさせていただきました。すぐ、帰ろうと思っていたのですが、ryoukouさんを見たら、しゃべりたくなって、(jusaiは心身疲れるほど、雄弁になるのです)ベラベラとたくさんしゃべらさせていただきました。住職の目が届きまくっているお寺さんの本堂や庫裏にて、ベラベラとしゃべりながら、はて、俺はいったい何を言いたいんだろうという思いがよぎります。そしてこうして回想しながら書いていて気づいたのですが、何が問題なのかを知るためにしゃべっているんであって、問題が明確にあって、それをそのまま表現しようとしているのではないのだということです。そして、問題はそれに近づこうと思えば思うほど、遠ざかります。そして、そうした自意識の正体こそが、形骸化した形而上学なのだと。そうしたエコ、もとい、エゴを、どんなエゴでも拡散させてくれるのが、本堂であり寺域なのだと。住職のエゴがもしあるとするならば、ただちにそうした肉声をせき止めてしまうであろうことは、容易に想像されます。

多くの方々が浅野川の氾濫によって命を落とされたそうです。

本源山 廣誓寺。http://www.kouseiji.net/ryusyou寺からやってくると、いっそう寺域が綺麗に見えます。
自分のことを精一杯心配することだけが、真にそれらの個体同士をつなげざるをえないと思うのです。

2012年6月21日

環境影響調査評価書。

sakata4枚田。ゴルフ場計画予定地(グリーンピア カントリークラブ)方向を望む。なぜか知らないが、アザミ野と呼びたい。アザミが何かをうったえてきているのかもしれない。アザミはほんとうに目立つんだ。しつこいけれども。何なんだ?
sakata地区は、アザミがやけに目立つ。コウゾリナに関してはほんとうにこの名前なのかと半信半疑でる。スイバやイタドリなど、名前を知っているものを中心にして田の道を歩いている。名前の知らないものや小さくて隠れているものなどは、ほとんど気づかない。植物をはじめとする生物にして、この有様だからアゼ際のここの傾斜は何と呼ぶ、林道でも農道でもない休耕田のここらへんはどのように名指せば、誰にでもパッとわかるのだろうと考えると途方もないくらいのリストが出来上がるなどと命名しながら歩くと、三歩歩いただけでその意図を忘れ去る。田んぼの中を見ても、繁茂すると明らかに稲の生育に影響を与えるものはたいがい名前を知っているが、改めて見ると、結構知らない草が多い。
平成初期の頃、sakata地区に二つのゴルフ場計画があって、反対運動の事務局長をやったことがある。村田住職に三ヶ月ぐらいの電話番やからと言われていやいややっていた。一万人の署名を集め、許認可の主体であった行政当局と交渉をし、共産党や社会党の議員たちと連絡会を結成し、その他もろもろのことを2年ぐらいやったのかな。その時の新聞チラシやその他の記録一切はなくなったのだが、(残したくなかったのだ)一つだけ残したものがある。二つの業者による環境アセスメントの報告書である。小難しい専門用語だらけであったのと、推進側のお手盛りの影が嫌で、ほとんど目を通したことがなかったのだが、見てみると、結構精密な報告がなされている。とりわけ、当地の降水量などの気象データや動植物の実地調査による確認個体数の一覧など、具体的な名前が網羅されている。環境に対して若干の影響を及ぼすが、ただちに健康に影響がないという論旨で徹底されてはいるが、忠実に当地を実測したことが伺える。(コウゾリナの記述が無いのだが。うーmm。)
yoromi high wayの途中に青色の大きな看板が今でも遺跡のようにして、林道の入口においてある。丁寧にムラを維持しているにもかかわらず、どうしてこのような異物を放置してあるのだろうといつも思う。いっそのこと記念に持って帰ろうと、軽トラに乗せてしまおうという衝動にかられることもある。文言はいつまで経っても忘れない。「我々に雲や霞を食べて生きていけというのか」当時は市街地に住んでいたjusaiも今は計画地の隣ムラに住んでいる。背広を着た開発業者にそそのかされたのかもしれないが、きっとこの文言は切実な意味を持って村人に迫ったことと思う。
 雲や霞をもって生きれればという錬金術を日々考えている。膨大な枯れ草や落ち葉がただちにお金にならないものかと思う。ゴルフ場の会員権はもはや紙くずに近いが、ほんもののお金もそれに近いのではないかと思ったりする。神学的な位置という点ではjusaiの考えるお金の方が、ほんもののお金よりもリアルなのではないだろうかと強がっている。カラスやアオサギは笑ってバカにするのだけれども。


画像中央 カモ(ガンカモ目ガンカモ科カルガモ種)が8羽逃げていきました。yoromi田んぼ街道yamagishi田。


















追記。

1 ゴルフ場反対運動の第一の反対理由は飲み水の上流に多量の農薬肥料散布を伴う施設を建設することへの懸念と広葉樹伐採による洪水渇水の危険性であったのだが、ぶっちゃけ、そんなに心配はしていなかった。しかし、今冷静にアセスメント資料を読んでいて、無性に市街地の上水道は大丈夫なんだろうかと真剣に思いました。現在の農薬は毒性がかなり緩和されたということらしいのだが、微量成分でも毒性のある物質があるということは事実であろうと思われる。ただちに健康に影響がないという言い方はとても気味の悪い言葉遣いだと思う。
自分が当事者であった時(市街地に住んでいて上水道を利用)はだいじょうぶだと思いたがっていたのかもしれない。当事者ではなくなった時(自家水道)、冷静に事態を見ることができるのか?

2 稲の生育状況について

現在、本葉4枚目から5枚目出ている。一次分けつ(株別れ)が出始めている模様。(アセスメントに影響されちゃいました)

2012年6月20日

タマワリ。

いくばくかの金にはなっているが、今日のタマワリが直接金になっているという感覚はなく、台風の残り風が吹くさびしいムラを軽自動車が行く。コナギとのタタカイは峠を越えようとしている。秋草と村人が呼ぶオモダカやクログアイが目立つようになってきた。が、全体的に稲が他の植物より一歩先に育っている。(田んぼだから当たり前ですが)んでも、草が多いところは多いです。(当たり前ですが)
 そいういえば、例のコウゾリナほんとうにどこにでもあって、自宅近くにもありました。sakataやyoromi high wayでもけっこうあります。それでもやはりsakata4枚田はアザミ田んぼと名づけたいくらい目立ちます。他の草より目立っている。争っているのだろうか。生き物は争うことによって、質を高めないと種としての存続は無いのだろうか。イヤ、同じ種でも、それぞれの個体同士間で異種間よりもさらに苛酷な争いが不可避なのだろうか。(個体という感覚はヒトにしかないのかな)突然変異は遺伝しないというから、むしろヒト以外の意識を持たないと言われる生物の方が、個体感覚は強いのではなかろうかとも思います。個体感覚が強いと、かえって固有名を必要としませんし、当然のことながら他者すら必要ありません。原理的に言って、そうした個体は個体そのものであって、周囲の環境と全くの対等であることでしょう。すなわちワタシがココにいるという感覚だけが鮮明であろうと思います。説明や描写をする必要がありませんでしょう。
 台風一過、本来ならば、深水のために注水をしたい田んぼが何枚かあったのですが、これから再び雨も予想されるような今日の日に、洪水予防のために用水を止めた場所を開けるのは気が引けます。実際、空はどんよりと曇っており、天気予報も雨となっている。まっいいか。
 このようなムラの常識からぬけられないヒトにとって、周囲の環境は経済的であり、歴史的であり、気象学的でもあり、今目の前にある田んぼに水が貯まるには相当な段取りが必要になってくるのでありました。
 にもかかわらず、実際に手をくだすことといえば、田んぼから泥をすくって、アゼに塗ったりすることぐらいなのでした。消費増税法案や、電力の問題などで飛び交っている何兆円という単位とはあまりにも違いすぎる自分の仕事に情けなくなってくるのでありました。(そうではない価値などといっても、見えません)
ばばなき田んぼ1。

ばばなき田んぼ2向い。コナギどころか草自体が皆無なのだ。

sakata3.。

saakta4。

sakata2,1を望む。アザミの花はほんとに目立つんだ。

2012年6月18日

台風ドストライクで当地に来そう。

yoromi地区とsakata地区はおおむね、田んぼまわりの雑草の風景は違わない。山を一つ隔ててはいるが、山というよりは丘のようなもので、気候風土、村落の様子もあまり違わないように見える。
 ただ、それぞれの地区にしか見られない草がある。

sakata地区は、アザミ。yoromi地区は名前がわからないのだが、菊のような黄色い花を咲かすコウゾリナと言うんだろうか。推測するに、yoromiの人はアザミのギザギザした葉っぱが嫌いで、sakataの人はカミソリ菜の意味を持つコウゾリナが嫌いだから、それぞれをそれぞれの地区の人が徹底的に草刈をしたのか。(jusaiの見る田んぼに限ってのことだから、どうだかわからない)一回一回の草刈でも、同じようなことが千年単位でなされると植生と呼べるレベルの違いとなって現れたりしないものなのだろうか。
yoromiTsyoten裏2。

sakata4枚田。
天然の遷移ではなくて、人為的選択による風景の相違みたいな感じがあるのではないかと想像しました。我々は容易に原生を見ることができないのではないか。
 ならば、田んぼなど、相当に不自然なことのように思われる。同時に、そのような連続が千年単位でなされてきたことは人為を越えて、文明を越えて、自然の中に溶け込んでいるフィールドとしての田んぼを浮かび上がらせるように感じる。だから宮沢賢治は日照りの夏にオロオロとアゼをまわっていたものと想像できる。

2012年6月16日

カエルの合唱。(喜び)

雨ふりました。
注。動画機能の故障ではありません。暗闇を撮りました。
水出ました。

 原因(構造)不明ですが、原因(物質)は去りました。

2012年6月15日

まだ、水が出ないんだ。

 水道の蛇口をひねれば、水が出るということのありがたさを、水が出ているうちは忘れてしまう。毎回、断水するたびに(蛇口をひねっても水が出ない)一瞬にして、なんとありがたかったことかと思う。しかし、水が再び出たとたんに、ありがたいなあという気持ちも再び消えてしまう。そのことを何度くりかえしてきたのだろう。
 断水もたいがいは原因箇所がだいたいわかるので、すぐに復旧するから、ありがたさの気持ちに気づく暇もなくふつうの状態に戻る。
 水っちゅうのはなんとありがたいものかと思わせてくれるのはいいのだが、洗濯ものや茶碗などの洗い物が貯まる一方で、家が荒む。気持ちも荒む。今回の断水は水が出るしか手がないようなシチュエーションにもかかわらず、水が出ないので、なおさら、荒んだ想像力を土台にして具合の悪い箇所を考えるしか手がない。だが、jusaiはそこらへんの配管がどうなっているのかわからない。yoromiに入りたての頃に村田住職から聞いたとは思うのだが、そんなもん、住職さへ知っていれば、住職がやってくれるんだから、真剣には聞いていないし、覚えられない。自家水道は前にも言ったが、源水から家の蛇口までの道のり(出たあ、ミチノリ)を知っている人がある日突然いなくなったら、残された者は途方にくれざるをえないのである。そういうことを強く思う。聞いておかなければならないことを聞き、なおかつ、記録しておかねばならない。自分で苦労してつけた道のりではないばかりに、いざ一人その道を歩む時、とんでもないほどの絶望感にとらわれることになるのだった。
 田んぼの用水もそうだな。あきらかに道のりの全体を知っている者が見ていてくれることの上に乗っかって、タマワリする田んぼができていることを痛感します。徐々にではなく、急激にムラ全体を見る古老が消えてしまう不安感にさいなまれることの多い、jusaiなのです。

なんとか、燻炭鎮火できました。出来上がりに素手をいれると、まだ熱を持っているのですが、大丈夫だろうと思います。火もあなどれず、残りの四大元素たる、地と風もそうした基礎的要素のもとにあるのだから、揺れるようにしてある不安感も又、自然のことなのであると思いたい。と思います。

yoromi high way。 ただの谷内ではなく、Kばあちゃんの畑です。

輪島特産 トビウオ(wajimaの人はアゴとよぶ) 刺身でも天ぷらでも、日干ししてダシにしてもグンバツ(ふるっ)です。

2012年6月14日

どこが、おかしいんだ。

 水道が止まった。おそらく、いつもの場所の具合が悪いのだろうと思いながら、水道の源からチェックを始める。ホーレ見ろ。取水口の一番最初に葉っぱが引っかかって、蓋をしているではないか。それで、空気が混入してしまったから水流が弱くなっていたのだ。と思いながら、原因物質を取り除き、水道の各所にあるポイントの空気抜きを下流に向かってやっていく。よーしこれで、オーケーだと思う。だが、ポンプの稼動音がしない。はて、機械が壊れてしまったのか。と思う。
 そこにいきなり飛び込んできたのが、昨日のsobakiri jinとのお米の籾摺りだった。「ブレーカーが落ちてしまうのを防ぐためにポンプを止めたのだった」自分の思い込みをチェックしていたのだった。最初から機械のスイッチを入れれば済んだのだった。
 手前味噌ながら、上水道に頼っていないというのは、すごいことだなあと思いました。ここらへんの人たちはずうーっと水道を自力で守ってきたのだなあ。田んぼの用水だってそうではないか。しかし、今ではわざわざ下流に流れた川の水を再びポンプアップした上水道を利用されている家もある。うーmm。お上のやることは、よくわからない。
sakata3 

sakata4

神社前田2
さて、午前中の燻炭づくりを終えて、昼飯を食べようと蛇口をひねると水があんまり出ていない。もしかしたら、ほんとうにポンプが壊れたのかもという疑念がよぎる。あわてて、貯水タンクを見に行くと上のも下のも、どちらにも水は蓄えられている。新たな疑念をどのポイントに合わせるかがわからない。いったいどこがおかしいんだあと天を仰ぐ。上から下へ流れざるを得ない水が流れてこない。原因がわからない。困った。いったいどこが、詰まっているんだあ。見えない。

2012年6月13日

タマワリ。(2)

 午前中より神社前田をコロガシはじめる。道路側の一部にクログアイが多かったのですが、半分手前ぐらいまで行くと、ほぼ無くなり、またコナギ等の雑草も目立たなかったので、そこで、切り上げました。あとは、ばばなき田んぼ2の半分をコロガシました。後の田んぼはこのまま様子見といたしました。用水量、十分にて、天候も温かで、あとは梅雨が適当な時期に適当な量だけ降りさえすれば、オーケーです。などと調子いいことを考えています。
sobakiri jinと二人して、タマワリしていて、午後からは燻炭にて、籾殻を燻しはじめる予定だったのですが、昼飯後にsobakiri jinがレギュラーコーヒーをいれるグッズを持ってきていて、雑談にも話がはずみ、玄米が切れたこともあり、燻炭の火入れはやめて、籾摺りだけをやりました。なんやかんやで、明日秩父に戻るgenさんとの雑談にもあいなり、なんだか、のんびりとしたafternoonでした。
jusaiは19時よりPTAの緊急会合があり、市内にある三つの中学校の統合問題の話のために若干緊張していました。これは、独断的な教育委員会、というよりは教育長の手法自体に大きな問題を感じていたからです。ええかっこしいのwajima市民的な思考法なのか、経費節減のための統合ではなく、少人数のクラスしか編成できない学校の弊害を問題としています。大きな学校の方が、切磋琢磨されて、テストの点数もとい、学力が上昇し、自律的な大人になれるのだそうです。理念を言うのならば、もっと精密に言ってほしい。いや、もともと教育者であったのならば、もっときれいごと、壮大なことを言ってほしい。どうせ、こんな会合など、株式会社のしゃんしゃん総会じゃないけど、なんの議論もなしに決められた結論が導く陳腐なストーリーの仲間に入らんといかんのだろうなあと思いながら会場に入りました。んでも言いたいことは言っておかんとなあというか、なんかひとつ言っとかなならんなあと思って、聞きました。「統合はもう決まっているんですか」と。もともと、この会自体がPTAの懇談の場に過ぎませんから言いやすかったのですが。(もっとデカい場だったら、レジュメを投げ捨てて、泣いて帰るぐらいしかできないのですが。)
ところが、予想外の発言というのさらなる、予想外の発言を呼ぶのだなあと思いました。統合に関わる小中学校の関係者のみなさんも、それぞれ自分の思いというのがあって、それを話される。なぜだか、心地よい雑談の場(と言ったら失礼ですが)となりました。個人的には大反対だと言明するjusaiのような者もおれば、ワタシは基本的には賛成なんですけど、為政者側の手法が稚拙すぎるという方もおられ、高揚してしまって、「とにもかくにも、ビジョンが全くなく、又新校舎の用地やスクールバスなどの計画等も出ていない状態では、雑談しかできない」と言ってしまいました。どうも自分の中でストーリーが始まってしまうと、それを止める者がいないjusai自身なのでした。
なんのことはない、誰に命令されたわけでもないのに、陳腐なストーリーを描き続けているのはワタシ自身なのだった。なによりも、そこに子供がいない。
「そんなにあわてて、いっしょにならんでもいいがいね。たのむわいね」と言いたいjusaiです。へなまな能登半島にはそうしたあいまいな表現がよく似合うなあと強く思ったのでした。又、特定の結論を見出さないこうした、雑談は、確かに話が進みませんが、なんかエエなあと思ったのでした。しかし、どうにも、PTAという組織や教育委員会という組織がどういった組織なのかを考えるのにいっぱいいっぱいで、(要するに、自分の陳腐なストーリーをもっとよくしようとばかり考えている)肝心の子供たちのことを考える余裕がないのでありました。唯一ウチの娘が何年生の時に新しい学校に移るのかなと紙に年表を書いて数えるときだけ、子供のことを考えているのでありました。

2012年6月11日

タマワリ。(1)

荒起こし&草刈に始まる田んぼサイクル、田植え&米ぬか散布、コロガシと進んで来ましたが、4度目のサイクル、タマワリであります。といっても、やはりコロガシて、米ぬかをほんの少しづつ散布しただけですが、すでに活着した早苗も大きくなっており、田んぼの水位や苗の観察、はたまた雑草の監視(!)、与呂見の古老たちの評価など目の前でやっている仕事以外にも神経と頭を使って田んぼをまわる時期にやってまいりました。田んぼに入って見るのと、外から見るのではかなり違います。やはり、田んぼに入るとただ、田んぼをコロガシているだけでも、たくさんの情報が入ってくるのです。いっしょにまわっている仲間から、早苗自身から、雑草から、などなどなど。これからの降水量も心配ですし、晴れたり曇ったりしているような今日のような日は、その陰影の違いによっても早苗の様子、すなわち田んぼの様子も違って見えます。
sakataの方から、yoromiばばなき田、銀座田、神社前田ともに、思ったより(外から見ている)より、コナギの早苗は少なかったです。その分、オモダカやクログアイは多かったのですが。夕方、神社前田3にて、genさん。「サボる口実としてなんだけど、あんまりコナギの少ないところをコロガすと発芽できない深いところにある種をわざわざ、発芽しやすい表面に持ってきてしまうからなあ」ただ、一生懸命力をゴシゴシこめて、コロガシをすればするほど、本来の目的とは正反対の効果をもたらすことがあるんだ。がんばらないで、サボったほうが、最前の場合があるんだ。と痛感した次第です。うーmm。
で、最後のSさん田んぼ(自宅前)では、心配なところだけを3人でコロガシました。(今日のメンバーはgenさん、sobakiri jinさん、jusai)

左 genさん  右 sobakiri jinさん。  sakata4 にて。

手前 アオミドロ? 光を遮断してコナギの発芽を抑えてくれている。sakata3 にて。

草だらけのところ、Tのばあちゃんが3,4年前まで耕作されておられました。右の田んぼは神社前田3。


 追記
  
  米ぬか散布量。

  sakata1  0.4
    
    salata2   0.6

    sakata3  1.5

    sakata4  1.5


   ばばなき田 2

 銀座田1   1

 銀座田2   0.3

 神社前田3 1

 Sさん田んぼ(自宅前) 2.5

2012年6月10日

コロガシからタマワリ(田まわり)へ。





sakata4枚の状況が気になりつつ、yoromi田んぼ街道を下る。(水は上から下へ)明日から村田住職が不在にて、jusaiが田んぼを見る。(すなわち水を見る)不思議なもので、4月の水入れ以来、自分がマワルものと思ってやっていた時と、村田住職が見ると決まった時と、再びワタシが見る時と、同じ田んぼながらに見え方がガラリと変わる。決して、ワタシの田んぼなどと積極的に思うわけではないのだが、水を見るということは、どうしても、この1区画がワタシのものとなる。責任を持つということか。(ヘッセ。「1区画に責任を持つ」)アナタにまかせるわけにはいかなくなる。つまりワタシが現されるわけだ。ピアノ田の排水口から少し田の温い水が漏れているのを塞ぐ。

コロガシはお休み。ワタシは休みなし。

早苗  うるち81枚  モチ5枚 計86枚余る。これらは根が張った土として重宝する。
使わなかった早苗はアゼが低く、弱い箇所を補強するため、ばばなき田2とピアノ田向いとTsyouten裏1に使用。


記事を見る限りは、連日田んぼだけをやっているかのようです。いったん、田んぼに早苗が植えられた限りは、そのことが頭にあるのは当然でありますから、その意味では田んぼとともに生活しているという意味において、連日田んぼをやっていると言ってもいい。

2012年6月9日

休みました。

暗いわ。  ヤマボウシの花。
そういえば、kobayashiRさんは昨日、まだ水を入れていなかったような気がする。あれは、儀式のようなものだったのか。予想に反して、夜中から雨が降りました。日照りを心配していたのだ。夜中に雨音に目を覚ますぐらい。合羽を着てやろうと思っていたのに、だんだん、休もうかな。っと思い始めたのだった。昨日一回目のコロガシは済んだんだ。いいやんか。と思いながら、掃除後の雑巾をしぼっていたら、genさんがトイレから出てきて、腹が決まったんだ。休み、休み。
 なんだこの嬉しさは。田んぼはきらいじゃないんだ。なんだこの爽やかさは。あれもやろうこれもやろうとウキウキする。別に田んぼがきらいなわけじゃないんだ。(しつこい)みんながきらいなわけじゃないんだ。

コロガシ。(4)

 5月15日に雨が降って以来、雨がありません。http://jusai123.blogspot.jp/2012/05/6.html
右の小川からホースを引っ張って。高いところから低いところに水を流す。左上のほうにおられます。m( __ __ )m
それでも基本的に水量は足りていたのですが、心配になってきました。konayashiRさんが、苗田街道にある(勝手にいれてしまいました)自分の田んぼに小川から直接、長いホースにて水を入れる準備をはじめました。yoromiの田んぼがほぼ独占しているにもかかわらず、長いホースやジョイントなどをリアカーhttp://jusai123.blogspot.jp/2011/06/blog-post.htmlにて何度も400mほどの道のりを往復されました。すんませんです。(そんなんですむか。)
yoromi田んぼ街道の水回りをやっている、村田住職もシックハックされています。yoromi old villageの方はまだなんとか大丈夫ですが、大分用水が少なくなってきました。予報では雨マークみたいですが、なんとかお願い致したい。

ピアノ田上

米ぬか   1
genさん「この田んぼは米ぬかが効いたんだなあ。コナギが全然ないぞ」


takashima田

米ぬか   4


kobayashiR田(yoromi田んぼ街道)


米ぬか   4


ryushou寺前デカ田

米ぬか   3.5


kobayashiR田1(苗田街道)


米ぬか   3.5



kobayashiR田2(苗田街道)

米ぬか   3.5


苗田


米ぬか    1.2


追記


1   勉強会田んぼ、ずいぶん緑が濃くなってきました。


2   いよいよ、いろんな草が勢いを増してきました。田んぼの中も、特に最初に田植えをした田んぼの方はヽ(`~´)ノ アブナイ!!。

ひる。ヒル。蛭。
3   おまけ。










2012年6月7日

コロガシ。(3)

yoromiNさん田


genさんが、この田んぼいいなあと言いました。

米ぬか  3
old yoromi villageを後に。


Kばあちゃん田

米ぬか  3.5
オモダカの早苗。ホームセンターに売ってます。

カーブミラー田

米ぬか   3


茶色くなって.。o○ ○o。.。

角田

米ぬか  2



yamagishi田

米ぬか    3.5
アオサギの抜け毛。

nakatani田(小)

米ぬか   1.5


nakatani田(大)

米ぬか   3.5
イボ草。収穫時大変なことになります。




ピアノ田

米ぬか   3

手前  クログアイ。   奥  稲。

ピアノ田向い


米ぬか   2.5


ただ、田んぼを歩いているだけなので、飽きちゃいました。コロガシ終了後、sakata4枚田に行きました。yoromi high wayの帰路、いかにも写してえーんみたいな山ツツジがありました。アザミもそうでした。花って目を引くようになっている。にしても、やっぱり、カモの入った後の田んぼを見ると、腹が立つのであった。腹も減ったのであった。

一つ一つ色が違うんだ。

一つ一つ形が違うんだ。