2012年12月24日

年末年始にて、更新お休みいたします。

 いったい、誰がどのように見ているのかわからないのにもかかわらず、本ブログを続けてきましたが、ここらで、更新をお休みいたします。しばらく、yoromi.netのホームページの整理をいたしたいと思います。私、よろみ村通信のフェチですので、これまでの掲載テキストを並べ替えられるようなシステマチックなページにしたいです。並べ替えの新しい基準も同時に考えたいと思っております。(このまま、ネット活動やめたりして)
 face bookは、nagoyaに暮らす長男がチェックしているみたいなので、ドメスティックな内容に変えて更新するつもりですので、数少ない閲覧者の方々には、ご参照ください。

2012年12月23日

帳簿付けが残っとるわい。

もちつきmiyatakeさんも来た。邑智の里にて、田んぼの暗渠工事の人足として、連日、100キロを越える距離を通勤している。notoに適当な仕事がないのです。yoromi関係でなくても、そうした人はまことに多い。果たして、これは誰のせいなのだろうか。仕方ないですましてきたツケが、いよいよ、隠しきれなくなってきている。
 でも、都会で、おっきな会社がたくさんあるから大丈夫ってわけでもないよね。yoromiから出なくてもいい人の現金収入って、すごく気になるよなあ。いったい、みんなどうしてるんだろう。錬金術だな。きっとお金っちゅうか、通貨っちゅうか、まったくの無価値なものに価値を与える術でも、持ってんのかな。財務省と日本銀行みたいに。
 yoromiの行事は今日が最後じゃないんだ。会計報告なる決算発表がここでもあるんだ。


もちつきの様子はface bookにて。

2012年12月11日

ゲリラ積雪続く。

 雪道は苦手です。ハンドルが制御不能になる、あの感じはたまらないものがあります。ツルツルに凍った、黒光りする下り坂を下る時のことを想像ください。なにものも信じられなくなる。高性能タイヤ?ABS?急ブレーキ禁止?全てのよき事がふっとびます。思いは一つ、無事、平地にたどり着くこと。
 恐怖感覚の違いも感じます。雪を見ても、危険ということに結び付きにくい人もいる。無邪気にジープタイプの車を信仰している人もいる。ちょっとした車の揺れに、車内で怯えまくっている人もいる。地下水のような車もあります。雪のない時には遅いと感じるのだが、雪道だと速く感じる。つまり、雪が降ろうが、雨が降ろうが、道が乾いていようが、常に同じスピードで運転する人。
 しかし、この怖い感じは嫌いではない。怖いものみたさみたいな感じでしょうか。怖く感じない人にはわからない感じでしょう。

もう堪能したよね。温かいところに行きたいよね。左 sumikoさん。 右  yukoさん。
mii小学校のPTA理事、役員会がありました。玄関に、まだ炭が置いてあり、炭焼きはすでに、遠い感じがしますが、炭の黒光りが増しておるように感じました。こうした現物は存在感がすごいです。ちょうど、PCや携帯などのITデバイスの放つ、電磁波の真反対というか。放たれた、エーテルとでも言いたいような見えない波動のおかげで、会に集うた人のオーラが柔らかいように感じます。もちろん、ワタクシの心と目が、すでにエーテルに長いこと覆われておるのですが。ちなみに、インターネットでよく出てくる、イーサネットというワードのイーサはエーテルのことなんだそうです。
mii小学校玄関にデコレートされた炭がありました。

炭焼き行事は、学校と先生がたと、児童と保護者のみなさんが、心を一つにできた、まさにPTA行事のあるべきモデルを提供してくれたように思います。でも成功(最大収量の半分ぐらいでしたが)であったということが大きかったように思います。理事会、役員会にて、次年度の予定が議題になりました。もう終わりに近いという喜びとさみしさを同時に感じました。考えや生活などに、それぞれの違いがあれども、ともに、同じ地球の上で生きているのだと思いました。盛り上がってしまいました。


2012年12月9日

記録。

yoromiから出るのがたいへんな季節になりました。雪が多い中でも、とりわけ、雪が積もりやすいのが、yoromiです。毎年たかをくくっている。今日も、ドーンとバーンとやれば、出られるだろうと車を動かそうとしたら、1メートル先が遠い。
 今年は、日雇い仕事に、準社員のように、毎日出ることになっているので、心配です。ここから出ることさへできれば、積雪量も、ぐんと少なくなりますし、除雪車も、マメに出動するのですが。
 今月半ば過ぎより、麹造り、味噌の仕込み、もちつきなどのスケジュールが始まります。麹づくりなどは、毎年、さて、どうだったかと記録を探すのですが、その記録さへみつからず、ほぼ、どろなわで終わります。本ブログにも日記のようにして、それらの行事があったことが書かれてありますが、こうして、「さて、どのようだったか?」に対する記録はあまりなく、今から読むとどうでもいいような、灌漑や思い入れにあふれていて、なんだかなあであります。それに、おもしろくもなんともないし。ブログそのものに対しても、もうやめようかと、思ったりしております。
 んでも、純粋な記録性を求めると考えると、新たな希望も感じてもおります。ようするに、今は惰性でやっているようなもんです。いやなら、見なきゃええやん、なら即やめんと。

わずかな距離が遠くなる。車がただの鉄のかたまりになる。

司馬遷が、二番目に思い罰を受けながら、その辱めを容認したがために、現代人が漢字文明の歴史をある程度まで正確に読むことができる。ドリフターズは高木ブーが、自分の無芸さを容認したがために、歴史的な芸能人になった。生物はいいものだけで交配していくと、種が消滅するのだそうだ。ダメな個体をたまに掛け合わせると種として、ものすごく安定するのだそうだ。
 わかりやすいノートづくりをしたいと思っております。

ずぼっと沈む。歩くのにも気を張る季節のはじまり。

 

2012年12月6日

炭。

From Evernote:

成道会 - Wikipedia

Clipped from: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E9%81%93%E4%BC%9A
イットカンに入れて、一番いい場所で焼かれた炭。

炭焼き行事、最後の仕事である炭だしを行いました。11月18日に炭窯にコナラの木をいれて、当日正午に薪を焚きはじめて、炭窯を完全に塞いだのが、同24日15時30分。その後、炭窯の漏れの修復を3日ほど続けました。その間、約8日。炭窯を中心に児童や保護者、そして先生方が集いました。炭窯の中の状態を想像する手立てはエントツから出る煙の色や匂いや温度だけでした。どのような炭が、どれくらいできているのかを、各人が想像しながら日は過ぎて、今日の炭だしの日を迎えました。(炭だしの様子はこちらをご覧ください)
 小学校の玄関に並べられた炭は独自の存在感を放っています。もちろんjusaiから見た存在感であります。そうあるようにして、した結果としてあります。もっとエントツの通りをよくしていれば、もっと細いコナラならよかったのに、もっと、もっとこうすればよかったのになどと考えます。が、炭はものいわず、そうなるように、そうなって、あります。

asami先生へ。

 今日のブログが楽しみですなんぞと言われたので、なんにも書けなくなってしまいました。^^
一番に先生に報告しようと思っていたのですが、そんなことは不要でした。先生の姿を見た時にわれ知らず、涙しそうになってしまいました。ほんとうにお世話になりました。11日に小学校の理事会があるのですが、おそらく、その場にて、この炭窯で、炭を焼くことを断念せねばならないムードになっております。(伏せ焼きやドラム缶にての炭焼きは続行されます)私自身、このような行事はとても貴重な体験をもたらしてくれることに疑いはないのですが、迷っていることをご理解ください。


kakida先生へ。

 今日の画像をウエブアルバムにアップしましたので、ダウンロードして使ってください。炭焼きのお礼の文章、うまくまとめてください。最初から最後まで見守っておられたのですから、それをそのまましたためてください。お願いします。(いろいろ、ごちゃごちゃ言ってすみませんでした)


この時期、日本にても、数多くのお坊さんが、座りっぱなしでおられます。その姿は炭焼き中の炭窯を想像するように、中がどうなっているのかわかりません。ちょっと違うか。


炭だしから帰るとyoromiはうっすら雪化粧。

成道会じょうどうえ)とは、釈迦成道(悟りを開いた事)を記念して行われる法要(行事)のことである。
日本では、釈迦は臘月(旧暦12月)の8日に成道したと伝承されているので、成道会を臘八会(ろうはちえ)とも称し、この日に法要が行われる。
南伝仏教では、ウェーサク祭として、5月の満月の日に仏誕会涅槃会と共に行われている。

臘八接心 [編集]

禅宗僧堂では、成道を記念して旧暦12月1日から8日にかけて昼夜を通して接心する修行が実施されている。この間は睡眠も結跏趺坐したまま執る。これは「臘八接心」(ろうはちせっしん/ろうはつせっしん)或いは「臘八大接心」(ろうはちおおぜっしん/ろうはつだいせっしん)と呼ばれる。


追記

 wajima市PTA連合会の理事会あり。企画委員会による、教育討論会の素案が発表されました。委員長のsadamiさんは、これまでの自分の思考がそれでいいのかという疑いも大切であるとおっしゃいました。討論もテーマを決めずに自由な気付きを大切にしたいから、あえて、前もって決めたくないと。ゆっくりと静かに、低い声でおっしゃいます。が、段取りが大切と、おっしゃる方もいらっしゃるわけでして、そんなもん、適当でいいじゃんと思っている私は、沈黙の間につきささりたくなって、「ゲストのnanauraさんは、そもそも外国人でらっしゃるのですから、否が応でもその存在に対して何かを思うことはたやすいことと思われますし、みなさん立派な大人なのですから前もって準備しなくても、話のとっかかりをつくることは容易だろうと思います」と言ったのだった。