2012年10月29日

炭焼き1。

午後、新さんがお米の代金をもってきてくれました。とっさに、来月中旬にせまった小学校の炭焼き用の雑木を運ぼうと思いました。新さん快諾にて、さっそく小学校に向かいました。校長先生と教頭先生が待っていてくれて、グラウンドを挟んで、ほぼ、同じ敷地といってよいロケーションにある中学校の校長先生もグラウンドを二トントラックで走る際のコースをナビゲーションしてくれました。新さんと教頭先生との共同作業は、新鮮な風景でありました。
木造平屋の超ナイスな学び舎です。教育員会はこれを博物館にいれようと している。

左は小学校の体育館。中学校グラウンドのはじっこに、炭窯があります。ちなみに、これを作ろうと言ったのは、現在の教育長であります。プンプン。
左より、校長先生 教頭先生 新さん。
炭材はyoromiのnakadaさんが、山から切り出してくれました。
いよいよ、来月17日に火入れであります。素人集団ゆえ、非常に不安であります。ちなみに
平成のゴルフ場建設計画ラッシュの時、三井地区を調べると、150を超える炭焼き窯の跡がみつかりました。日本全国どこもそうでしたでしょう。ガソリンのまだ知らない時代は貴重なエネルギーだったでしょうから。雑木山は20年ほどの単位で再生するとのことですから、一人で20か所を移動してゆけば永遠に炭焼きが可能なのです。しかも、窯の材料、炭材の材料ともに、すぐ目の前にあるのです。

私文書の基本ですな。

日雇いその他で、一週間病院に行っていなかった。久しぶりの病院にて、痛みなく、まあ大丈夫だろうと思いながら、診察を待つ間、病院花だよりを見る。やはり、おもしろい。












お医者さんと面談するまでに、自分の病気やけがの症状に対して、自他からたくさんの情報を得ます。そして、いろいろ不安になったりします。しかし、診察室に入るとなんとも言えない安堵をいたします。完全に開きなおっているのでしょうか。まな板の上のこいみたいな感じになるからでしょうか。もうこの先には何も、誰もいないというあきらめのせいでしょうか。身内でもないのに、必死になって患部を触ってくれているお医者さんへの信頼でしょうか。 (時にははっきりと余命を宣告したりするのでしょう)小指の傷ぐらいで死ぬことは、絶対にないでしょうし。






2012年10月28日

久しぶりの妄想大会。


wajima市PTA研究大会にて、企画委員会委員として会場準備より参加する。一年生で、初めてのPTA活動という言い訳が通用しない局面が多い。他のみなさん、ほとんどが複数年PTA活動をやっているということもあって、テキパキと会場準備をなさるのです。しかし、ここは、当然こうやるみたいな標準というものが、実はあるようでないのではと思いました。標準はワタクシが考えている理想の漸近線みたいなもので、絶対に届かないがゆえに、希望にすらなりうるものなのではないかと。
 jusaiは確かに自意識過剰です。そのことを正当化するためにだけ脳みそを使っているようなところがあるのですが、理想の漸近線は他人の中にあるから届かないという言い方もでき、もしもそうなのならば、普遍というか、普通の事実というのも存在しないということになり、すべては私の脳みその中の妄想ということになる。そのうえで、いったい、新しいことだらけの現象の中で、新しいことを感じるいかなる感覚器官も持っていないということになる。私というペルソナは。
 しかし、こうした分析を自分で無にするようだが、馴れというのは大きいのではないか。思えば馴れを拒否したかったんだな。と自己分析に終始しとりました。今日は。しかし、自意識過剰というのは、ほんとうにすごいものなんですよ。自意識が過剰でない人には、まず、想像できない世界が目の前に広がっているのです。私しか感じられない世界なんですよ。みんなは違うのかな。感じていて、尚、普通っぽく、やってるのかな。聞いてみたいのだが、ますどのような言葉で聞けばいいのかわからないし、言葉の連続というのは、どんどんずれていくんですね。話し手からも、聞き手からも。言葉が通じるということは初手から個人は成立しようがないんじゃないですかね。
しかし、同時に言葉を使えるということは、絶対的に一つのモノでないとありえないですね。絶対的な孤独ですね。
 ということは、心の存在ぬきにしては、コミュニケーションなど不可能なことですね。自己否定なのか、他者への愛なのかはわからないけれども、互いに自分の場を明け渡しあわないと本来ならば会話など成立しませんよね。
 ああ私の存在は、あなたによって気付かれているとわかった時の喜びったらありゃしません。それが悪意であってもです。wajima市の教育行政をつかさどる方々のすぐ隣にて、そのような妄想にあけくれておりました。時折みせる、眠気覚ましの姿勢変更の時など、ああ中学校の統合問題では私は徹底的に反対論者で、あなたたちにとってはとても疎ましい存在ではあるのでしょうが、私たちは、基本的に、同じようなシステムで動く人間なんだと実感できました。最終的な行動が正反対なんだということは、たいしたことではないと思いました。

おれはなんで、スーツにネクタイで、こんなところにいるんだ。wajima文化kaikan。


リハーサル。一回経験しとくとぜんぜん違う。



ほんとうはこの列の中にいないといけなかった。だあれも教えてくれない。

kawai小PTA会長のsakashita氏。やはり統合問題に疑念を抱いておられます。wajimaのネイティブなんですか?どこですか。とネイティブどうしでローカルな話題。漆芸研修所の先生でもあり、塗師屋さんでもあります。wajima市の未来のために、ふだんづかいのおわんの良さを全世界に啓蒙してくださいとお願いしました。ほしたら、観光客もどばっと来ますって。
他のフロアーでは謡いの発表会やバザーのようなものもあり、厨房を無理やり食堂に変更していただきました。おいしそうなおそばですなあ。と言ったら汁と昆布のきざんだものをサービスしてくれました。wajimaのお母さんたちは、とてもファンキーなのです。
会も終盤。



あとかたづけ。

 統合問題では、賛成、反対を問わず、行政の手続きの進め方に疑念を持っておられる方が多いということは自明なことのようです。すなわち、賛成反対を素直に考えることができないプレゼンテーションのなされ方がされているのです。ようするに本気で新しい学校をつくるという理想に燃えたペルソナが一人としていないということなのです。
 どうせ妄想なのならば、全国的な標準からほど遠い、まったく新しい学校をつくるいい機会なのだと思う。松稜、上野台、三井の3中学校を消滅させてまで、つくる新しい学校なんだから、すっげえ夢のある話なんじゃないか。と思う。どうせ金をかけるなら、じっくり時間をかけてコミュニケーションをとってからでも遅くないんじゃないか。すでに河井、鳳至、三井小学校の有志はつながりはじめてるのだし、差別問題をはじめとする、これまで言語化を避けてきた問題が、ちゃんと問題として俎上に乗る、いいチャンスだと思う。

2012年10月27日

他人の家まわりをきれいにする。

ミョウガ。

ミョウガ。
Kばあちゃんに草刈りを頼まれていたので、小一時間で終わると思い、行くと、頼みごとが次から次に出てきた。結局、一日いっしょにいた。「気の毒なあ」と何べんも言われる。お礼は秋ミョウガの新芽と自宅近くに移植する根っこでした。お金どうすると鋭い質問が来たので、条件反射的にいらんって。と言う。最初から時間いくらだと決まっていたら、ぜんぜん気持が違う。お金っちゅうのは、本当にわかりやすいものだ。わかりやすすぎるな。

2012年10月24日

新車庫作り。

JUSAI 123: 車庫作り。世代交代。枯葉よ。

 大乗起信論を携帯している。ちらちらと読む。気に入った部分だけを読む。なるほど、そうかと思う。すべては幻影であると。だが、要点は、最初に書かれてある。信を起こさせるために書かれてあると。本を閉じて、次に本を開くまでの間、そのことを忘れる。それはすばらしいことだと思う。また、信を起こすことが一番なんだと思う。それを何度もくりかえす。同じことをくりかえしているという奇跡よ。私は断言する。決して、この私は信を起こすことはできないんだと。もしかしたら、それは可能なのかもしれないと思えること。何度もくりかえされる、同じことの間にあるほんものの、ほんものほんものよ。
 禁煙している。もしかしたら止められるかもしれないと念じながら続けている。この私という意識も止められるかもしれないという意味も込めて、念じると、止められるかもしれないという念仏は効く。

2012年10月22日

無常です。

一人、村の古老がなくなられました。隣家も病院に入っておられます。yoromi角田に車いすの古老が佇んでおられました。
 
yoromi田んぼ街道。
小指、順調に回復。ホメオスタシスすごい。予想外の抜糸。幸い、全く、無痛。鼻歌で実家によると、留守。母、自作のポシェットの修理を頼んでいた。修理というより、全く違うバッグに変わっていた。ほんとに気に入っていたのに。もうあの形をかつぐことがなくなった。いきなりのお別れ。くどいようだが、ほんとに気に入っていた。


病院の花だよりを盗撮してまいりました。おもしろいのです。中身そのものもすばらしいのです。が、私がとても、気に入ったのは中身たる花への作成者の愛情そのものです。いかに、私(のあなた)がそれを気に入っているかということが、(あなたの)私をして読ませるのです。愛はだれも所有することができないのですね。人に読んでもらいたいものがあるのですね。それそのものに素直なんですね。
























2012年10月21日

稲ワラ。干し。

よい、秋晴れでした。空たかく、空気澄んでます。紅葉も始まってます。このような乾いた感じも、もうすぐ、消えます。北陸特有の時雨の季節が迫ってます。一気に暗く、長い冬です。惜しむような気になります。これまでは、長く閉ざされる感じが好きだったのですが。

義母さんに頼まれたワラ。

秋深し。

稲ワラは他の草とは格が違う。

ごっさかぶり。itayaA。
とても平和な田園風景でした。ポカポカと温かった。


2012年10月20日

車庫作り。

新駐車場作り始まる。Nさんが、保存されていた製材を提供してくださいました。純yoromi産の松です。雪で倒れた細めの松しか知らなかったので、重たくて、太い梁が、まさか松だとは思いませんでした。指をかばいつつ、genさんもいて、なんとか運びました。栗の材木も見に行きました。敷地から直接、裏山に伸びる林道なので、ふだん、まず入ることはできない。ていねいに、かといって、そういうことを微塵も感じさせない佇まいの中を登りました。ほんとにきれいにしてるねと、genさん。yoromiにかぎらず、mii地区は全体が手入れ、目入れされたていねいな佇まいです。なにより、どうだ、みたいな感じがしないのです。そういう心性が世界農業遺産なのかな。
 ニュースなどでは、世界がたいへんそうだが、そうした世界よりも、もっともっと広い場所で、十二分に自力で暮らせるご先祖さまとの、直接のつながりがあるのです。たかが、不景気ぐらいなどなんともないのです。そうした笑顔にあふれております。
 おまえらの薄汚れて不安な目で、こっちを限界集落だとか、言ってるんじゃねえよ。もう、手遅れなjusaiですが、そのような暮らし方を少しでも、村の古老たちから、盗み見をしようと思うのだ。遠くのことよりも、近い場所を世界として暮らしていきたい。

ほしい人が見たらよだれを流す?松。

何年も寝かした材です。

重い。
ほんの40年ほど前まで、米と炭と林業、その他で、かなりのお金を得ていたという。ほとんど出稼ぎしなくても、子供をなんとか一人前にできたのだという。そうした事実も、やがては、古老たちが消えることによって、おとぎ話のようになっていくのだ。村は消えていくのだ。原子力村のような不安な目をした連中のつくる無責任そのもののmuraだけは放射線や放射能の消滅と同じぐらい長持ちするのだ。
 いつまでもyoromimuraなんぞと、俺も言い続けることだろう。