2012年9月27日

イノシシと遭遇(;゚Д゚)!。

さびしい。yoshizaki/subayayoikouenn.
日雇い、運ぶ物がなくて、臨時休業となる。ちと、くやしくて、さびいいのだ、。が、現場における物という感じはきらいではないのです。ということで、yoromiに戻っておるので、更新す。

9月24日
      早朝、末娘をバス停まで送って、農道を下ると猪に遭遇。林の光線の具合か、黒光りしたドーベルマンのように見えた。何がおこったのか、わからないままズルズルの軽トラを進めると、牙がありああ、猪だと思う。足が長くて、重心が高い。こちらに向かってくるという威圧感は無かった。が、存在する次元の違いが迫ってくる。おれの先入観、知識、その他もろもろの物がなに一つ役に立たない。デジカメを持って、逃げた丘を見上げるも姿なし。一日中、猪のことを考えておったが、夜、奥さんに電話して初めて、末娘のことを心配したのであった。でも、あのような怖いものがいるということは、自分の新しい、もしくは忘れ果てた感覚を呼び覚ますような気もする。どっぺりと安心安全な環境の中で自意識だけを肥大させてきた私のようなものにとっては特に有難い存在なのではないかと。

9月25日
      PTAの役員会が18時半からあるので、仕事は早退。炭焼きの日程等、をキメる。炭焼きはPTAの行事を超えているので、来年からはやめたらどうでしょうと提案す。言い訳がましく、炭焼き自体はすばらしいもので、mii地区には炭釜跡が150以上もあるくらい、普通のことなのです。生徒諸君が一週間学校を休んで、火とともにあるならば、これほどすばらいい体験はないと思うのですが、と言う。来年のPTAに前年の会長がこんな提案をされていたと是非お伝えくださいと。役員会終了後、お母さんからhaginoさんに電話してくれと言うので、帰宅後に電話をすると、中学校統合に関して、市街地のkawai小学校とfugeshi小学校の各PTAと連携を模索してはどうかという提案をうける。私も同感ですと言った。

9月26日
      お米が無い。んで、明日は休みとなる。急遽帰宅す。電話すると、子供たちにミスタードーナツでも買ってきたらと言われ、ちょうど、半額セールをやっていると義母さんから言われ、行ってみると、女子高生がもさっと集まっている。気後れして、マクドナルドのドライブスルーに切り替える。対応してくれたのが、男子高校生でちょっとがっかりした。hakuiの富山県に向かう街道はこうしたファーストフードの店がほぼある。電気屋やコンビニ、ないものはないのではと思うくらい乱立している。そこをすぎるとすぐになんの灯もない農道が縦横無尽に走っているのだ。

9月27日
      午前中眠ってしまった。午後から田んぼの草刈に向かう。出発前、murata住職と遭遇。keikoさんとmarioの細君であるchiakiさんと若い女性がいた。お米を買いに来てくれたのだった。若い女性はなんでも、jusaiのよろみ村通信の文章がよかったと言われているらしい。ほめられもせず、苦にもされないことを目標にしているのだが(ウソです)ほめられると、ふんとにうれしい。がなぜか、無愛想さが増すのはなんでか。通信やらブログやら、いつもなんの反応もないので、時々、苦しくなるのだが、かといって、なにかにと言われるのもめんどくさいとも思っている。じこちゅうの典型ですな。
4俵お買い上げ。ありがとうございます。

左 mae yuiさん。  右 chiakiさん。

私なんて、、、、、

murataです。
T商店裏 左2 右1。

同上。

秋たつや 何におどろく 陰陽師  (与謝蕪村)

秋来ぬと 合点させたる 嚔かな (与謝蕪村)


2012年9月23日

しばらく更新やすみます。

明日からミタビ、hakuiにゆきます。ラストウイーク、どのようなエンディングがあるでしょうか。

この土地のかみさまへ。

神社前田3~2。
そこにおられるかみさまはなにも手出しをされない。いっしょうけんめいやっていれば、助けてくださると思っているうちは、まだいっしょうけんめいではなかった。だれもなんにも手出しされないということは、とっても冷たいようでいて、あったかいのかもしれない。手出しがいつだって優しいとは限らないもの。われはただ見るもの、そのようなものは、なかなかない。
 もうすぐ稲刈りだ。この季節はちょうど、秋がとつぜんやってきたようにして、あの暑さを遠くに懐かしむ。寂しい季節に田んぼをまわりながら、稲穂の数を数えている。もっといっしょうけんめいにやればよかったと後悔を数える。来年こそはただ、いっしょうけんめいになろうと思う。毎年くりかえすことだ。
 Heaven helps those who helps themselves.
なぜだか、忘れない一節だ。田んぼさまに見放されないような自分を見てみたい。来年。

2012年9月22日

9・15~9・22。

人はじじいではなく、おそらくロストジェネレーションと呼ばれる30代であろう、。高度成長の恩恵をこうむった世代と違って、過去の歴史とまっすぐにつながっているのだろう。ロストと呼ばれるが悪いことだけじゃなかったんだと思う。我が聖地、吉崎次場弥生公園にて。
わたくしの日々の経験は、どんどんカレンダーの時間にとってかわられます。記憶はわたくしの経験の中にあるはずなのですが、もはやわたくし自身を超えて、わたくしの全体の一部に組み込まれてしまった。その蓄積を見るという経験はわたくしには不可能なのでした。たくさんの時間軸をわたくしの経験は持っているのであろうか。一つの統一したわたくしを維持するためには、なんという無数の見えないカラクリを経験しているのであろうか。ある一つのカラクリは他のあらゆるカラクリとなんのかかわりも持たない。にもかかわらず、わたくしはわたくしのことをわたくしと呼んで一つのものと思っている。自分自身はなんちゅう、みえない働きを休みなしで行なっていることであろうか。

9・15  運動会。
子供たちを前にして、もしかしたら挨拶せねばならないのかと緊張していたのですが、そんなプログラムは無かった。

9・18  ふたたび、hakuiにて日雇い。末娘が連休を利用して単泊している。居間のTV前に蒲団を      敷いてクネクネしている。じじばばと血がつながっているんだ、こいつは。リラックスしやが
      って。


9・19  teion倉庫に無肥料・無農薬米入庫。住所を見ればなんと岳父宅とおんなじではないか。      寄宿している部屋から見える、まだ刈っていないあの田んぼは、もしかしたら。
hakui市農協は、あの奇跡のリンゴの木村氏を迎えて勉強会もしている。あなどれない。
     やり手の職員watari氏に尋ねると苗作りから完全に無農薬・無肥料であるとのこと。しかも
     除草にチェーンを使っているという。やるー。いつしか邑智の田んぼ地帯がそうした無肥料
     無農薬の田んぼになればかっこいいと思っていたのだが、すでに萌芽は始まっていた。
見事なわざで一日で4600袋もの米を一人で運んだyamamotoさん。
毎年、飛来する白鳥も、気多大社の尊も、折口先生も、そしてわたくしも喜ぶのである。

9・21  wajima市にて中学校統合協議会第4回のために早引けする。学校の名前をどうするか
     という議題だった。やけくそのわたくしは、wajima中学校がええというじじいどもに腹が立ち
     wajima中学校というのはもはや、過去の異物であり、ただの思い出に過ぎない。そんな名     前をつけることは先人たちを冒涜するものであると言った。怒りにまかせて、wajimaという 
     名前は全国的に有名かもしれんが、それがどうしたんですかと言ってやった。名前より中
     身です。しかも名はたいをあらわすのだから、そんなに安易にwajimaという地名におんぶ
     するのはいかんと。その後、何を言ったか思い出せない。わたくしを含めて、こんな能天気
なじじばばで、wajima市の将来は暗い。まったく暗い。根がない。hakui市にはあると思う。
teion倉庫の日は暮れて。
火事じゃないよ。田んぼだよ。

yoromi田んぼ街道。しかし、なんにもねえところだ。

こんなに風に草の生えている田んぼは、なかなかねえな。takashima田。
こんなにゆっくりは歩けません。わたくしも、もうちょっとすればおんなじです、なんて言ったが、存在する次元が違うって。

蕪村句集講義(全3冊)を注文する。ついでに、大乗起信論も。ちょっと金が入るとはすわになるのだ。一万円なり。
明日はこえくみせんといかんなあ。


2012年9月9日

タマワリ。

4日に、けっこう雨ふったよう。
sakata3

sakata4


yoromi babanaki mukai

yoromi babanaki tanbo

神社田3

神社田2

yoromi 田んぼ街道。

2012年9月7日

が、一日はどんどん過ぎていく。

家を離れて慣れた仕事場で仕事をして、岳父宅にて朝夕とごちそうされていると、このまま家族全員でここで世話になって、あとはオレがどこかに仕事をみつけて暮らすのもいいなあと思う。
中notoから奥notoへの帰路、どんどんひっそりとしてきて、yoromiにちかづくと、なんちゅうところに住んでいるのかと思う。世間的なと呼ばれるふつうの暮らしから私にとっていまだに特殊な暮らしという意識がぬけない場所に戻ってみると、そのどちらにも住めない自分を感じる。

2012年9月2日

明日からhakuiに行きます。

日雇いで、まるまるひと月、倉庫に張り付きます。奥さんの実家から見える距離にあるので、いつも無理を言って、寄宿させてもらいます。今年もなんとか、ご両親からお許しが出ました。


仕事ぶりは


  与呂見村通信へ。  毎日、これのくりかえしです。肉体はこの頃よりはるかに衰えましたが。


奥さんの実家から


  与呂見村通信 NO58。


訂正。  低温倉庫の温度は10度を越えています。

訂正。  正三角形なわけがありません。

2012年9月1日

一日座禅。

メディテーションの習慣程度のスタンスで座ることが多いです。が、そうした意味づけが別な意味づけに覆われます。ですが、基本的にはメディテーションの習慣でしか入れません。しょうがないです。とにかく、座ることが大事だと思うので、自分をだましてでも、できる限り、本堂に向かいたいです。できるだけ、数多く、と思っています。だんだん、好きになっていく。ように感じています。
 ryushou寺は強制がないので、いいなあと思います。