2012年8月31日

山土を袋詰め。(来年の苗箱用)

JUSAI 123: 山土を干す。(来年の苗箱用)


炎天下、乾燥済みの山土を袋につめる。20㎏/1袋。総量、105袋。ちょっと余るくらいか。暑くて、土煙もうもうで、休みながら、murata住職、gen、itaya,A、ezakiY、私の4人。途中、コーヒー(ホット)とアイスクリームで休憩。夕方前に雨が降るとの予報に、昼過ぎ2時までやる。genさんと少し、田んぼのことについて話す。普通に普通のことをやっているだけだったとの結論。ただ、草(すなわち生物)の発芽条件が確定する時間はほんの一瞬である。その時間を見逃さず、厳戒すべきであると思う。田んぼをやっている自分の面倒を見ることを省いて、田んぼそのものに取り組む、すなわち田んぼにつかわれることが大事。それがタマワリなのである。


ezakiYブログ


murata住職ブログ







その後、ハクサイの定植の続きを。総計で70株。あと、30は苗があるか。十分な量。今年は防虫ネットを張る。夕方、アブが多くてイライラする。のどは渇くし、こいつら、オレがここで急死してもブンブンたかってやがるに違いないと思う。偶然、一匹のアブを生きたままつかむことに成功する。憎悪のかぎり、首をひねってやると。アブは羽を急回転するざまミロ。が許したくなる。指を離すと遠くに逃げていく。恩返しのことを考えるそばから、アブが何匹もやってくる。まさか、あのアブはいねえだろうな。あのアブは。が、あのアブを特定できるわけがない。このアブが特定できるような心を持って稲(生物)に向かうことができればと思う。

ミニ農園日誌(recording12)

2012年8月30日

統合協議会3回目。

統合協議会の3回目に出席。議事進行のシナリオは明確にできていた。統合年次と場所を、採決と言わないまでも、粛々と委員一人一人に述べてもらう。各区長会長、各中学校長みな、基本的に統合と決まったのだから、時間をかけるよりは、できるかぎり、早く決めてしまいたいと。私に回ってきたとき、もはや、私は論理的ではなく、感情的であった。なぜ、そんなに早く統合を開始しなければならないのかが、わからないと半泣きであった。
 当事者たる中学校関係のPTAの方よりも、これから、中学校になる子供を持つPTAの方がたは、おおむね、私と同じ感覚であられたように思った。いよいよ、具体的になると、くすぶった不安は表にどんどん出てくるであろう。誰かが、火をつければ、新校舎に一度も通うことなく卒業してしまうという実情にNOと言いたい人はたくさんいるであろうと思う。仮校舎で3年間をわが末娘も過ごすかもしれない。新校舎が完成してから統合した方がよいと思う。誰かが、火をつければ、そのようになる可能性はまだ残されていると思う。


追記。

ezaki家の断水、原因がわからず、新しい水の道を、nishikawa家より分岐させる。村田住職と、genさん工事する。


私、駐車場の敷地整備のためにむき出しになった路面にバラスを敷く。2トントラック3回分。

2012年8月28日

造成。


車庫の地面を造成終了。能登半島地震の時、災害復旧の速さもユンボの千人力も一因であろう。天変地異に驚き、嘆くひまをつかせなかった。重機のなんという仕事量か。

2012年8月25日

2012年8月24日(金)のツイート履歴


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  • @DalaiLama
    23:18
  • (続)。さんが水を入れておられるのでした。はよ、水をまわしてください。と願う。
    15:16
  • 早朝、朝のお勤めをサボって、タマワリをする。ほぼ、順調に水が入っており、ただちにその水を抜く。あと3枚ほど水が来ない。上の田んぼで、S
    15:14
  • noto空港での仕事が早く終わり、作業員みなで、飛行機の着陸を見る。いいにせよ、わるいにせよ、科学の粋、が空を飛んでくるのはワクワクする。タラップに誘導する作業員の毅然とした立ち姿と合図がカッコよかった。あれは、電光とは比較にならないほど、確実な記号伝達の粋だと思う。
    15:12
  • 久しぶりに日雇い。アルバイトというよりは、わかりやすくて、しっくりする。ヒヤトイ。巨人の星で、飛雄馬がお坊ちゃん学校での面接で、「俺のとおちゃんはにっぽんいちの日雇い人夫です」と。古い話。日雇いってなんかみじめな職業であることを確信したのだった。
    15:09

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  • RT @lmn800: 【必読】これはすごい!@yamamoto_1934 がれきの広域処理の問題点が全て見えてくる!「新潟県知事が環境大臣に宛てた"がれき広域処理"に関する再質問全文」http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-1935.html
    23:24
  • RT @DalaiLama: Once your mind is calm and full of love, there is no room for hatred or fear. Others will trust you because of your open ...
    23:18

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雨が降ったのか?

日雇い仕事の帰り、anamizu町あたりで雨が降った。大規模農道に入ると、小ぶりになり、ここだけ降ったんだと思う。が、sakataの田んぼでは、なにやら、道が濡れており、用水量も太い。これは、anamizuの比ではない、雨量だったのだなと考える。そして、yoromi田んぼにかけつける。まずはbabanaki田んぼ。やっぱり降ったんだ。かなりだぞ。しめしめ。とまだ、水の入っていなかった神社前田んぼに来る。あれっ。土は確かに湿っているが、さほどではない。

いったいどれだけの雨が降ったのだ。と思いながら、神社前田の用水のもとに行く。と、堰がはずされているではないか。そんなに降ったのか。と?を抱えながら、道の濡れ具合を観察しながら、yoromi村に帰る。うん。地面に水たまりあり。畑の土も湿っているのが、運転席からでも確認できる。誰かに聞きたい。itayaさんがいたので、尋ねる。「けっこう降ったんやね?」itayaさんは覚えていないのか、降るには降ったけど、うんうん。まあまあ降った。

どんだけ降ったんだ。この地に。こんなローカルな情報はネットでもあがってはいまい。さて、神社前田の用水の堰はいったい誰が、何のために。???わからん。

ここにいなかったものは、ここでどんだけ雨が降ったのかがわからんのであった。まっ、いいか。

2012年8月24日

駐車場をつくる。

教科書に対すると、とたんに小さくなってしまうmorishitaさん。
駐車場を新たに作る。当初、土木会社に普通に頼むつもりだったのだが、十数万円を払うのがおしくて、morishitaさんに頼むことになった。氏は長年、左官職人というベースにとどまらないセンスと経験をあらゆる現場仕事において積んできたのだ。にもかかわらず、中学校しか出ていないと自嘲気味になるのは、漢字を知らないということをはじめとする、いわゆる、高学歴たちの知識を前にしてである。が、彼が本当に、コンプレックスを感じるのは本来的なインテリジェンスに対して、現場で育てあげた自らの頭脳活動が反応してしまうのであろうと推測する。彼に限らず、現場で仕事ができる人ほど、そのようなコンプレックスを、表層的なただの知識家にまで適用してしまう。そうした純粋さがある。と思う。何気ない街やムラの風景はそんな彼らのような徹底的な実務家たちの手によっている。あれっと寸時も感じないのはスゴイと思う。決して、彼らは芸術をできないのである。いいわけをしない代わりに、彼らはミスをごまかすのがとてもうまい。ほとんど、というか、現場にてクライアントにごめんなさいを言ったことは無いと思う。そして、だんだんミスすらできなくなってしまう体になってしまうのだろう。絶対は職人さんの五感にあり。以外に簡単に宗教にだまされてしまうのは、第六感を素直に使うからなのだろうか。

水平をキメる。左 村田住職。  右 morishitaさん。この二人は互いの言うことを聞かない。が、仕事は進む。オトナだ。水平をキメるのはもちろん、水平自身。




2012年8月23日

雨が降る。


 思いがけず、雨が急に降った。sakataにだけ降ったのかと思うほど、自分の願いが通じたのかと思うほど、遠方には、青空があった。絶対に不可能なことが可能なのかと思えた一瞬だった。雨乞いはありだなと。田んぼや畑など、人為的な始まりのようでいて、今では神がかりとしか思えないような心とともに長くあったのだなあと。
 そして、食べ物を得るということが、神事としてあったのだと。小賢しい分別の、いかに有用なように見えて、いかに無力なのかと。生きることと、食べることと、働くことと、祈ることの区別のなかった時のことを思う。阿含経の現代語意訳(といっても、大正12年刊)を読んでいる。ブッダの話されたことにもっとも近いテキストと言われている。文字通り、神話のような筋を歩むが、書かれてあることは簡便のように見えて、かなり恐ろしいことを意識に要求している。ゆえに、私というふんばりさへはずせば、これほど、染み入る経典は無いように思える。かなり、抄訳されてあり、訳者が選んだ全体の中のごく一部ではあるが、最後の章が恐ろしい。釈迦族の滅亡に際し、ブッダが静かに荒れ果てた聖地をただ見るシーンである。
 



 佛は思わず、次のような短詩を口ずさまれたのであった。

すべての作られたるものは、

みな無常である。

生まれ出でたるものは、

必ず死なねばならぬ。

それゆえに、

生まれることがなければ、

そこには死がない。

滅だ、ほろびだ、無だ。

この滅こそ、

最上の楽しみである。


 「さあ、お前達、みんな一緒に、尼狗留園に行こうではないか。」


やがて、その尼狗留園についたとき、佛は座につかれてから、弟子達に次のような、悲しい言葉を與えられた。

 「これが、尼狗留園だね。何と言う驚くべき荒廃であろう。わしは、かつて、ここでお前達に何度いろいろ語ったろう。その当時は、数知れぬ人々が群衆していたのに、いまは、砂漠の中にいるように、誰もいないではないか。ああ、もう、再び、わしはここへは来れないだろうよ。」



2012年8月22日

社会福祉協議会。

私はいつの間にか、三井地区社会福祉協議会の理事になっていた。その総会があり、三井中学校の廃校等の問題も告知しといたほうがよいであろうと思い、参加した。公民館の関係の方、民生委員関係の方、学校関係の方が集まっていた。会計報告以外の主要な議題が敬老会の開催に関することでもあり、ああ統合問題は場違いかあと一人じくじくしていた。なんで、敬老会ごときで、などとたかをくくっておったのだが、三井地区の敬老者の名簿を見るにいたって、妙に、興味が増した。地区別に人数が書かれてあり、総勢155人がつらなっていた。施設や自宅におられる古老たちを想像すると、10この地区の広さと性質の違いなどに及び、広いもんだと思う。そして、学校の存在はたとえ、生徒、児童数が少ないとはいえ、あなどれない大きな地位を占めていることを確信する。
 とにかく、現在、自分の知りうる情報を告知したくなり、その旨を伝えると、皆こころよく、座に残ってくれた。やはり、非常に興味のある問題なのだ。皆さん目が真剣だ。学校がなくなるということは地域の」あり方を根本から変えるほどの重大な問題なのです。三井という文化が消滅してしまうほどの問題なのです。ちっぽけな市街地のベッドタウンになっちゃうんです。などと、言った。だが、私を含めて、本気で三井中学校の消滅を憂いてはいなかった。自分の問題とはなりえないのは、もしも学校がこのまま存続した場合の空想的責任を想像したからである。
 民生委員、区長、福祉推進委員など、ほぼボランティアで社会の安定をはかる人がいて、いろんな協議会があり、江戸時代の肝煎(きもいり)の名残のような制度にて、現代日本が動いている。こうした犠牲的制度は、ゴールが明確に設定されさえすれば、見事に機能する。だが、責任の所在が初手からあいまいになる。個人の胸のウチで浮かぶ素朴な疑問という形の延長線上に、空想的な形で(中間なしに)自動的に加わる失敗の図がある。その図は、間違いなく気の弱い、自意識にとっては受け入れることのできない図だ。私は三井地区の将来に責任は持てない。が、こんなんでいいんですかと、ぼそぼそとしゃべり続けるだろうと思う。

稲には今、水が必要だ。  

2012年8月20日

統合協議会 二回目。

中学校統合協議会にて、当局より、統合年を平成26年4月と発表さる。統合自体の話をゼロから協議するのではないということがはっきりとしたのである。発表されたのは、輪島市の教育課長の方だが、三つの中学校を統合したいとするのは、あきらかに輪島市教育委員会なのであって、この二者の関係がよくわからない。が、あまりの性急さを嘆く発言をする以外に手がなかったのであった。新しい中学校の場所やその他がいっさい決まっていないと明言されたのにもかかわらず、たった1年半で諸条件がクリアーされるとは思えない。私としては、大きなクエスチョンマークをそのまま言葉に乗せるしかないと考えている。
 自分自身の疑問ほど強いものはないと考えている。それしか伝わらないと考えている。田舎もので長いものに巻かれ続けてきた私は、この統合問題にて、何か新しいことを決定する際に生じる議論、すなわち言葉によるやりとりを学びたいと考えている。他の、PTAの方がたとはこのことだけは、まず一番に共有できるものと信じている。

2012年8月19日

m(__)m

お盆のお勤めが、無事終わる。普段、ほとんどyoromiを出ないので、こんなにおおぜいの人に会うだけで、疲れました。しかし、目の前にいるだけで、たくさんのものをもらいました。jusai自身が、今それを反芻しています。でも反芻するとそのものは半減しちゃうんだな。これが。人に言うとさらに半減するだろうな。しかし、数学的には永遠に半減することができるのだ。まあどうでもいいけど。たくさんのあたたかい気持ちをいただきました。貯金しちゃいかんな。あたたかい気持ちが、そのまま他の人にゆけば、2倍だな。これも永遠に倍増させれるな。
  

 hyougo。六角文庫にて。JAZZも。jyurou様へ。ワタクシの頭は与謝蕪村でいっぱいです。
うまっ。

うまっ。

うまっ。

うまっ。

うまっ。

うまっ。

うまっ。

うまっ。
nagasaki。お盆二日目。kaizeの街。ほんとうにお世話になりました。



  

hirosima。tamon寺にて。

hiroshima tamon寺。最初見た時はなんとだらしないカッコウをしたお坊さんかと思ったのでした。

2012年8月10日

盂蘭盆。

クズ野菜とでもいえようか。収穫し忘れたジャガイモ、タマネギ、キャベツ。クズでも野菜は野菜だ。
盆経の旅に行ってまいります。長崎です。旅の途中もネットを探して、できれば、更新をしてみたい。

2012年8月8日

山土を干す。(来年の苗箱用)

 今夏は蚊が少ない。ハエやアブは多い。アブは田んぼでも自宅でも遠くからやってきて、ブンブンとうるさい。両手をどっちも使っていたりして、追い払うことができないときをみはからったようにやってきて、さす。痛いけれでも、たかがアブ。スズメバチのようにいのちにかかわることはない。
とんでくるたびに「あわれなやつやなあ」と思う。からだに止まったりして、たまに叩き落して、にぎりつぶすと、中身が空っぽですかすかな体をしている。ますます、あわれになる。
 それに比べると、ジャイアントスズメバチの偵察員は威厳が違う。近くでホバリングしたりして、こっちを見ている。「ごめんなさい、ごめんなさい」と本気で言うと、フンってな感じで、あっちに行ってくれる。そこでも、アブのことを思う。「やっぱり、あわれやなあ」
 また、オニヤンマもかっこいい。家のまわりを周回して、たまのホバリングなど、ほんとうにかっこいい。それに比べたら、オスプレイなんぞ、おとなのオモチャだ。(ほんものの大人のオモチャに失礼だが)ハエを食べてくれるので、細君はオニヤンマが大好きだ。三度、ここでも、アブのことをあわれだと思う。アブの卑怯さは、自らの卑怯さを知っていそうなほどだ。願わくば、自分のあわれさを自覚できれば、すばらしいと思う。
宝の山より。ビニールハウスで一月ほど干します。

温室(ビニールハウス内に閉じ込められたアブ。
心から、アブのことを思う。

2012年8月7日

日曜日はストレンジャーby石野真子

朝一番に、駐車場用の土砂利を頼んでいた、mori土木の社長さんが現場を見に来る。結局、思ったよりも土砂利が必要にて、けっこうな金額になる。でも、それでお願いすることに。
 nishikawa家の墓をそうじしにいく。日陰にてきもちのよい日。その足で、morishitaさんの家に行く。wajima最高峰のkoushuzanのふもとというか、入山口のような場所にある。海へ行こう行こうとうるさい氏にことわりに。カルピスソーダの冷たいのを出されて喜ぶ。駐車場のことを話すと、いつもの調子で、「なーんで、そんなお金つかって、砂利なんかしくのー」「わけのわからんことをするなー」土砂利をわざわざ使わなくても、地面を切り貼りすればできるよー」とほくそ笑んでいる。
結局、mori土木にお断りの電話をいれる。その際、村田住職に、対応がまずいといわれる。自分の気持ちばかりを優先して相手の思いをまったく聞こうとしないみたいなことを言われる。村田住職によれば、jusaiはふつうにしゃべれていないらしい。いわれることはなんとなくわかるが、ダンプを呼ぶにもかかわらず、ダンプが通れないほどの枝ぶりに囲まれた道は、自分の思いそのものの帰結ではないかと、思う。すると、村田住職は、いきなり会話を打ち切って、すみませんを連発する。冗談とも本気とも理解不能な対応にjusaiは大きな?だった。なんとなれば、yoromiのトポスこそが、村田住職の思いの上に成立したものではないのか。と思う。社会から隔絶して、なおも、その社会の末端にいること自体がおかしいのではないかと思う。その上で、生活費はいったいどうしているんだ。賃金労働をまったくせずに、どうしたら、生活が可能なのか。日ごろの村田住職に対する不満が爆発する。住職は、シンパシーを持つ人に対してしかしゃべれないのではと日ごろから思っている。そして自らにシンパシーを感じない人は、自分にとって知らない人としてまったく放置して、平気だ。なぜに、そのようなポジションが許されるのかがわからない。それが坊主ということなのか???
きく。

きく。

やっぱり、おれはここに入る。
がまんがならないから、書く。今日からは、jusaiは見知らぬ人にあいなったのだった。



真夏の夜の雨

思考という名の

沈黙に眠る私よ

言葉という名の

停止に眠る私よ

眠れないままに

歯ぎしりをする私よ

私という名の

何をさすのかわからない

言葉と思考よ

2012年8月4日

人のせいにする。

フェイスブックやらツイッターなどの情報を見ていると、ほんとに暗くなる。自分が選んだ話題だから、大体想像どおりの内容だが、情報じたいも商品性を求められているから、当然のごとく、さっきとは違うことを求められる。だからというのでもないだろうが、もはや、フォーサイスのストーリーが子供だましに見えるほどの映像や記事が氾濫し続けている。
 怒られそうだが、世界にほんとにそんな邪悪な人間がいるのだろうか。と思う。こざかしい、個人的な悪人は無数にいるだろうが、世界支配をたくらめるほどの、毅然とした悪人などいるのだろうか。自らの想像力の想定内の世界に満足するようなそのような平和な人がいるのだろうか。
 むしろ、そのような神目線なしに、阿吽の呼吸というか、言葉のやりとりなしに、空気を読んだ結果としての悪さの方が、大問題ではないか。なぜならば、どこにも責任者が存在しない。文句の言う場所が無い。自分の想定内の責任を全うすることで、手一杯で、世界全体に対する責任を誰一人として持っていないというのが、現在なのではなかろうか。著名な個人名もなく、国家の名前もそれほど重要でなく、ニュースでさんざん聞かされるのは、アルファベットが二つか三つならんでいるものばかりだ。
 ジャガイモを掘った。ちょっと遅かったのか、腐ったものが多し。畝の高さ、肥料の時期と量、土寄せなどの手間。などなど、野菜を育てるのは、大変だと思う。マニュアルが欲しくなる。

2012年8月3日

田んぼで遊んでます。

 雨が降らず、こんなに暑い日が続いているのに、用水に水があるということが、不思議です。高い山もなく、(yoromi自体、標高が高い)勢いが弱まったとはいえ、干せた田んぼを潤すには十分な流量を保っている。
 用水と田んぼの高低が田んぼにちょうどいい具合に設定されている。先人の工夫は文字通り遺産だ。厳密にいうと、おそらく、ちょうどいいではなく、ちょっと足りないくらいなのではないか。それを、たくさんの田んぼで分け合っていた。水争いの歴史は語れないほどに悲壮であっただろうが、村人は互いを治めあっていたに違いない。ほとんどの田んぼでマイペースで用水を利用させてもらっているyoromiムラにとってはそうした争いが無いぶん、孤独でもあるといえる。
 昨日から、田んぼに水を再びいれている。地割れして、乾燥した地面に一刻もはやく、水を届けたいと思うのだが、乾燥しやすいところは、水口から遠いところであるから、田んぼによってはアゼまわりをオロオロ歩きます。用水の取水口の堰と田んぼのあいだを何回も往復します。簡単に水が届くところは、逆に地面が乾きにくいので、水は一刻も速くぬいてしまいたい。超矛盾する行為を同時にはできないので、水のいらないところと、水が必要なところは互いに互いを治めるようにして、傷つきあうしかない。いったん、水がぬかれて干せた田んぼは稲の根が水性から陸性に変わるので、24時間以上水のためられると、窒息して根腐れをおこしてしまうのである。

炎天下。左 村田住職。 右 田中そうる。
水が簡単にたまる田んぼは水をちゃーっと入れて、すぐに排出します。なかなかたまらない田んぼは田んぼを歩きまわって「水がこんな。水がこんな」とぶつくさするしか手がない。届かなかった場所に水がたまっているとき、いや、水がたまっていなくても、土の色が乾いた白色から、くろくなっていくのをみると、心底ほっとして万歳三唱する。乾いた大地に水が訪れる風景は自分のことのようにうれしい。
風呂用の薪。

 

2012年8月2日

稲穂が出る。

yoromiばばなき田んぼ1

 いよいよ穂が出た。田んぼをちょっと、湿らせようと水を入れているのだが、思うように入らない。そればかり考えていたから見逃していた。だが、朝にはまだ出てなかったように思うのだが。
ボケているのか。Sさんの家族なのか?こんなに至近は初。
やっぱ、ポンプか、しょげている。念のために用水を見ると、田んぼへの入り口を、流れてきた枯れ草が塞いでいるではないか。なんだよ。いじめんなよ。ちょっと増えた流量。明日だな。と様子み。
思うように水が抜けない田んぼと水がなかなか入らない両極端の田んぼに翻弄された一日でした。ちょろちょろっとほんのわずかだけの水流がとんでもないことになる。小さな排水口を見逃しただけで、ボロボロのイネカリ風景になってしまう。その時の後悔ほどデカいものはない。
まだ間に合う時にどうして、もっとつぶさに田んぼを見ないのか。
ムラの古老たちは黙々と今日やることをやっている。(ように感じる)
yoromi一番の名水。ふんとにきれいに暮らしておられます。水がちょろちょろと流れています。ふんとにうまい。というか、うまいとしか思えないような季節にしかここの水が飲めない。

夕方、宝さがしに林道をドライブする。なかなか、ない。いつしか、尾根道になっており、遠くに穴水湾が見える。noto半島が横たわっている。衛星目線。なんとか、宝は見つかる。宝が何なのかは諸般の事情で言えない。
宝の山1

宝の山2

宝の山3。じょうもの。
追記




 勉強会田んぼ。