2012年5月31日

シロカキ。(6)

トラクターの泥を落とす村田住職。  早苗も4号苗代の100枚ほどです。
シロカキ、すべて終了しました。短いようで長いし、長いようで短い、時間でした。時間の流れ方がちょっと違うのか。用水の水系で言うと、9こ。持ち主で言うと10人。広さで言うと…。面積で言うと、3.3ha枚数で言うと、35枚。それらの田んぼを順番に移動してまいりました。終点が苗代のある苗田であります。











takashima田

トラクターのはまったところhttp://jusai123.blogspot.jp/2012/05/8.htmlが太ももまでの長靴でもあぶないくらいに深くなってしまっていました。m(__)m

用水をそうじする新さん。
kobayashiR田(yoromi田んぼ街道)
kobayashiRさん。奥に見えるのがkobayashiR田。ryushou寺前デカ田との間の自分の田んぼにて。(80才ですぞ)


仕事量(実質)はわしらより多いのではないだろうか。ゆっくりと田んぼから田んぼへ歩いておられます。
ryushou寺前デカ田
わきを流れる小川をさらう。田んぼを違う角度から見ることができました。なんでおまえらこんなとこにいんだよと、サルトリイバラに怒っていました。古老たちの美しいふるまいに比べて、なんとブザマなタチイフルマイなんだろう。
苗田街道へ。
田んぼをやるということ即、ムラの手入れをすることなのだな。あくまでも田んぼはムラの中では公共性が高くならざるを得ないのだな。用水の水をほどよく保とうとすることが、即、エコでグローバルなことなんだな。世界はローカルなんだ。

kobayashiR田(苗田街道1)

同じく(苗田街道2)
ここはもち米を植えます。


苗田


 ここももち米です。明日はいよいよ、田植え&シロカキの最終回であります。6月に入るとあちこちから引く手あまたのsouruは最後まで見届けたいと残ってくれました。新さんももうすぐ、しばしのお別れです。また会いましょう。10月初旬の稲刈りまではたっぷりと仕事がありますから。








2012年5月30日

田植え&米ぬか散布。(5)

滋賀県よりyamamotoさん田んぼなどの手伝いに来られました。itayaさんも加わり、手植え隊は総勢5人でありました。yoromiの田んぼ仕事は一人増えるとその何倍もの効果をもたらしてくれます。くどいようですが、いつもならば、総勢4人なのです。itayaさんがいない場合、村田住職、genさん、jusaiの3人で打ち合わせはおろか、会話もほとんどなしで、日が暮れる毎日なのです。どんどん宣伝して、来てください波動でも出んかいなと思っております。お茶とお菓子も準備されていて、時にはこのまま一気にやってしまいたいなどと言って、新さんにたしなめられました。いつの間にか、自分の田んぼみたいな労働になってしまっているjusaiなのでした。おまけに、米ぬかをまく量を聞かれて、3.5とか、1.2とか言うと、半ば呆れられております。しかし、0.5に何の意味があったのだろうと、itayaさんお手製のおはぎを食べながら思いました。コンプライアンスじゃあるまいし、最近テレビニュースなどで、パーセンテージを使って説明している正確という名の基本あいまいな感じを笑っておったくせに、現場では自分自身がそのような思考をなぞっているのでありました。もっと、おおらかにやらんかいと、10年以上前に亡くなられた板谷伸治さんの亡霊もアゼをうろついているというのにもかかわらず。
風呂へ入ろうとして、ベンチにて待っていると、久しぶりに新さんの竹笛が聞こえてまいりました。余計な飾りのない笛の音は薄暗くなったあたりに拡散いたします。私も拡散いたします。ふと、シャクナゲは今どうなんているのかと思い、近づきますと、ずいぶんと大きくなっているのが目に入りました。もっと目を上げると、これも、またすでに亡くなられたhirotaさんの最後のパートナーが掘った横穴がありました。みんな金なしだったけど、生きとったなあと思いました。田んぼもやっとる割には、金にならんなあと思っていたのですが、まあいいかと思えました。よいトワイライトでありました。とりあえず、また明日です。

yamagishi田んぼ

苗箱   38   昨日田植えしました。

米ぬか  3.5  小数点ありですな。


さて、0.5の増減はどうなるか。


nishitani田(小)


苗箱   17

米ぬか  2


nishitani田(大)


苗箱   28

米ぬか  3
yoromi田んぼ街道。 総勢5人の手植え隊のみなさん。

ピアノ田

苗箱   28

米ぬか  3.5  やってもうた。小数点。



ピアノ田前にてお茶とお菓子。yoromi田んぼ街道。

ピアノ田向い


苗箱   21

米ぬか  2.3  出たあ、0.3


ピアノ田上  


苗箱   13

米ぬか  1.32  genさんが精密に答えてくれました。


追記

米ぬかを買いに旧柳田村に行って帰る途中に茅葺き屋根を修理しているおじいさんがおられました。「ちょっと写真撮らせてもらえませんか」と叫ぶと。「私やあ、耳が遠いさかい、」と言いながらスタスタとはしごから降りて来られました。すんません。聞けば、毎年修理をされていて、カヤも2年干しのものだそうです。「ああ雨が漏るから修理ですか」と聞くと、「いや漏れる前に」。あたりまえのようにおっしゃいましたが、そりゃあたりまえだ。と思いました。
高いところが平気なおじいさんなんだな。

いよいよ、あと1セット都合、2日でシロカキ&田植え&米ぬか散布のサイクルが終わります。次はコロガシサイクルだ。











2012年5月29日

シロカキ。(5)

へび。   画像中央に赤い視線がございます。
いつのまにか、終がみえてまいりました。荒起こしのスタートが5月9日ですから、そんなに日は経っていないのですが、もうずーっと昔から田んぼに入りっぱなしのような気持ちになっております。いつもそうです。疲れました。が、眠れば大丈夫な疲れでありますから、疲れれば疲れるほど希望に満ちていくというふうにも感じられます。2度ほどトラクターのトラブルがあった他には滞りもなく、なおかつ、ほぼ半日でメドがつくペースで田んぼを回っていますから、心身が滞るヒマもなく、ただカレンダーが進んでいくだけといきます。
ゴールデンウイーク前後に植えられた稲はすでに葉を広げて、風にもこもこと揺られています。人様の田んぼとはいえ、気持ちがいい。温い田んぼの水が白く濁り、あわあわとしていて、なんとも稲もうれしそうであります。yoromiの田んぼも早苗が植えられたからには、どんどん追いついていくことでしょう。田んぼに連日入っていると、多くの生物と遭遇しています。意識に登るだけでもかなりのものです。へびも多く出会います。jusaiはへびが苦手で、今でこそ、恐る恐るまたぐこともできるのですが、田んぼを始めた当初はへびという文字すらダメで、文句なく、理屈なく、絶対的に恐怖の対象だったのです。今でも、縄やながいものを見ると、一瞬へびかと思い、びくっとしています。ダメなんです。どうしてもダメなんです。触るどころか、目に映ることはおろか、頭に思い描くこともできません。生物図鑑などの写真も触れません。自分の生きている間は恐怖のまま終わるのだと思っておりました。
絶対に自分は変わらないと思う自分の方が変わることもあるのだなあと、思いました。もしかしたら、好きになれるんじゃないだろうかと思いました。ふつうなら逃げるだけのシマヘビだったのですが、今日のそいつはしっぽをガラガラヘビのように震わせて、なおも、赤い視線を私自身の方に向けてきます。以前、田んぼの土手側を歩いていたら、いきなり鎌首をもたげたシマヘビが、びっくり箱のような感じでぴょっと出来来た時にうへあーと逃げたのですが、私が動くたんびに潜望鏡のような上半身をこちらの方に向けてきました。怒っていました。怒りそのものでした。何か俺が悪いことしたかあと怒鳴ると、さらに彼の怒りが強くなるのがわかりました。彼は言葉やその他の媒介物を通して、意志を伝達してくるのではなくて、意志そのものを対象自身の知覚機能に直接届けることができる。
今日のヤツと目を合わせていて、理解したのですが、彼らは相手の、例えば、jusaiでしたら、jusaiの恐怖そのものを利用しているのではないのかということです。もしそうなのだとしたら、彼にはそのような意志など無い。ふと思い出すのは、20年以上前に(まだjusaiはyoromiに住んでいません)田んぼにて、ryusyou寺の来客のロシア人の方に、スネークと英語で指さした時のことです。彼女は一瞬の間合いを置いて、悲鳴をあげて50メートルほど全力疾走して逃げて行かれました。確かに彼女の悲鳴の方がはるかに怖かった。そして、彼女は明らかに足元の蛇を全く、見ていなかった。ブッダの肉声にもっとも近いと言われている聖典、スッパニパータの第一章は「蛇の章」であります。そして、jusaiのミドルネームは小さい蛙であります。jusaiの一番最初のあだ名はガマでした。なんの話でしたっけ。ヘビの話をしている自分自身に驚いております。

yamagishi田

ひこばえ(去年の稲刈り後の株)から苗が自然発芽。
takashima田もデカいが、こいつもデカい。

本日田植えもいたしました。

苗箱   38

米ぬかは明日。




nishitani田(小)

再び。文様が龍ですな。

nishitani田

花が咲いておりました。

なんという名前なのだろう。

イボ草。非常に取りやすい草にもかかわらず、秋にはスゲーことになるやつ。


ピアノ田

yoromi田んぼ街道。 新さんはふんとに、絵になります。


トラクターのクラッチがきかなくなったとのこと。これはかなりの大修理だなあと思う。が、水をかけてトラクターをきれいにしてから、点検すると、クラッチレバーとクラッチそのものを結ぶ小さなピンが無くなっていただけとのこと。それにしても、農機具自体の馬力と器具の堅牢さに比べて、本体と器具をつなぐピンに小さくて、ちゃっちーこと。トラクターもそうだったのか。という感じ。んでも、良かったよかった。
takashima田前にて復活。

中央ボルト締めの部分が本来はピン。問題は原因が特定されてはじめて問題となる。したがって、解決不可能な問題というものは、文法上ありえないことになる。ってほんまかいな。へびという文字がですらおそろしいオマエはホンモノだ。







ピアノ田向い

村田住職だましだまし、トラクターを動かす。




ピアノ田上

耕運機にて、全部をシロカキ。
ピアノ田上。  田んぼわきの小川をきれににする村田住職。








2012年5月28日

田植え&米ぬか散布。(4)

Sさん田んぼ


苗箱   20

米ぬか  2



Kばあちゃん田んぼ

苗箱   28

米ぬか  3



ミラー田んぼ


苗箱  20

米ぬか 3


角田

苗箱   15

米ぬか  2.3


ここまでくると、すでに植えられた田んぼの水まわりもはじまり、身体の疲れよりも頭が疲れます。
稲が水没しないように、かつ、できる限り深く水を貯めるということが求められます。



2012年5月27日

シロカキ。(4)

いつもなら、夕暮れ近くになってもシロカキを続けていたり、田植えをして疲れたあという状態で舞い散る米ぬかを浴びていたりしていたのですが、今シーズンはすこぶる仕事が順調で、午前中に終わってしまうこともあります。土曜日の半ドンみたいな感じですごく得した気分で、身体もあまり疲れていないので、午後思わぬほど畑仕事が進みます。やはり、人が多いというのが最大の理由です。助っ人(もはや誰か助っ人という領域を出ている)たちも、田んぼというフィールドにて、何千年と繰り返されてきたことを感じ取ってくれていて、次はここだねみたいに、自身で仕事を見つけてくれます。このような流れになったことをありがたく思います。もしも田んぼという美しき規範に誰か特定の指導者がいてそれに追随するだけならば、このような連日の単調な繰り返しは耐えられないなあと思います。
自分の田んぼ、なんて思った途端に地獄行きのような気がいたします。さても自分自身という存在に対して、言うまでもなく自分のものと思っているのだとしたら、どんなにポジティブであっても、仮にもネガティブであったとしても、そのような状態では、あたらしいものなど生まれようがないように思います。GNPのような金銭に換算された生産物の総量の増減だけが最終目的なのだとしたら、そのような指標が抽出されるシステムなど、最初から砂上の楼閣を築く運命しか持たないように思います。
などという分析を行なっているjusai自身が既に罠にもはまっている。妄想として自分は自分のものではないと連想すると、そのことを妄想ではなくほんとうに実現できたら、その瞬間こそ、自分自身そのものが現れるような気がする。瞬間ゆえに毎回毎回同じことを繰り返さざるを得ない。そんなこと自分の根性だとか、美しい心だとか、とにかく自分として行うことは不可能なのだと諦めざるを得ない。ような気がいたします。自分のがんばりなど有限で、儚い夢だ。
田んぼではそうした思考活動ですらも、カッコーやフクロウや殿様ガエルや水や泥や小川やトラクターなどのすべての音とともに一度きりで過ぎ去ってしまうのです。お米が実っている頃には誰も何も覚えていないと思う。消えてしまったがゆえに、本当にあったことなんだと、田んぼが、田んぼの土がすべてを覚えてくれているのだ。連日、おひさまの元遊んでいるように思える。すいませんです。

左  Nさん田んぼ。中  yoromi四角田。  右  yoromiばばなき田んぼ向い。
yoromiばばなき田んぼ向い

午後からgenさんとsouruで田植えもしました。

苗箱  32

米ぬか  不散布。




yoromi四角田

午後より田植えいたしました。

苗箱  11

米ぬか 1



yoromiNさん田んぼ


この田んぼを含めて、同じ水系にある田んぼは豊富で温い川からの恵みに潤っております。用水に流れる量も取水口にてNさんが見ていただいているようです。



Kばあちゃん田んぼ

じわじわと水が漏れる場所があり、アゼを踏むもじわじわが止まらない。長くこの田んぼを世話していたgenさんになんとかしてくださいと言うと、どっかそのへんをじわじわなんかすると止まるよと言いました。kobayashiRさんに言われたそうです。で、田んぼ仕事を終えて帰る時になにげに見ると止まっていました。あきらめることも大事なのかと思いました。



カーブミラー田

トラクターにトラブル発生。村田住職とgenさんとjusaiの3人でじわじわと何かをやっていたら解決しました。



角田

いよいよ、yoromi田んぼ街道に戻って来ました。


右の田んぼ  角田。

このサイクルもあとちょっとです。^^。




2012年5月26日

田植え&米ぬか散布。(3)

お宮さんの方から歩いてくる人がいました。すれ違う時に「よろみで検索したら田んぼの写真がいっぱい出てきた」とおっしゃられました。うへえ与呂見生まれの方に見られていると思ったら、申し訳ないような(ここに住み始めてまだ13年なのに、自分の田んぼのように言っている)、ちゃんとしないとみたいな、太宰治ではないけれど、選ばれてあることの恍惚と不安みないな(おおげさな)気持ちになりました。jusaiの思い入れたっぷりのyoromiとネイティブとしての与呂見は同じものとしてあるのかいな。と思いました。とにもかくにも、その方の名前はtanboさんなのでした。まるで、神様の使いの方がその名を借りてお出ましたのかと妄想は膨らみまくりました。
田んぼから田んぼへ移動。

子鬼か虫か人か。3人固まってる。手植え隊のみなさん。




yoromiT商店裏1  

苗箱   19

米ぬか  3


yoromiT商店裏2


苗箱   21

米ぬか  3.5

yoromiT商店裏3

苗箱   20

米ぬか  3


左より yoromiT商店裏3~1
ばばなき田んぼ2

苗箱   43

米ぬか  7




tajiri田んぼ

苗箱   8

米ぬか  1.3
3年前まで耕作していた手前の田んぼが池になって、その温い水を利用させてもらっています。

Sさん田んぼ(谷内)

苗箱    15

米ぬか   3

Sさん田んぼ。




ストリートを一望できる小高い丘に登って写真を撮りました。5人が別々の田んぼで苗を手植えし、あるいは田植え機を動かし、用水を掃除している風景が見られました。なんとのどかなのだと思いました。ようやく全田んぼの半分ぐらいに達しました。田んぼから田んぼへ、先へ参ります。












2012年5月25日

シロカキ。(3)

ネムさん。
お昼直前に雨が降ってきました。昨日までとは違って、寒かったです。トラクターの進行に引っ張られながらシロカキを終えました。お昼早々に撤収して、風呂へ入るとsouruの父ちゃんのネムさんがおいでました。火を炊くのが大好きなネムさんはくりやのまきストーブで火を炊いていました。そばにおりたくて近寄りました。新さんや大阪のakasakaさんもネムさんにつかまって、souruとともに雑談をいたしました。人の写真を撮るむずかしさから始まって、一体一になることの快楽までいろんな話をいたしました。最後は能登半島一帯の古さに雑談は統一されました。明日ネムさんが行く予定の舳倉島の話から、海士町の話、京都や東京から隔絶されてあり、尚且つ、どう考えても地理的に見て、中国、朝鮮との抽象的近さを持つ、というか持たざるを得ないこの地の古さについてであります。おもしろかったです。アラスカなどの独自の文化を持つ世界中の場所をカメラを抱えて対象に迫ってきたakasakaさんにネイティブとしての海士町文化を説明していると、普段はそんなに整理されて考えているわけでもないのに、自分が普段思う以上の魅力が海士町から湧き上がってきます。無論、住んでいる人の話なのだが、話はそこだけにとどまらなくなるのがおかしかったです。土地そのものの思考というか伝統というか、なんというか、匂いというか、。
いつの間にか、ヒッピー(この呼称はワケのワカラナイ若者たちをマスコミが流行語の範疇に彼らを押し込めて安心しようとして名づけたらしい。ワケのワカラナイ渦中の彼らは人に説明する場合自分たちのことをフリーク(カタワ者)と呼んだらしい)の話になり、その世界では高名な人の話にもなり、世界的な詩人ナナオサカキが能登半島の不思議な古さを尋ねようと役場に電話をしようとしたネムさんに、「そっとしておこう」と言ったという。密やかな楽しみ。でもあるし、言葉にすることによって、微妙に意味名指されたものから遠ざかってしまうような気もするし。私の能登などと思ってしまうと、いきなり能登半島そのものがイメージの中に閉じ込められてしまう感じ。そっとしておけなくて、つい浦島太郎のように気がつけば、老人になって、かつての名指し、意味したかった頃の私がもう二度と戻っては来ない感じ。どんなに繊細に扱ってもダメなんだ。
それでも私が名指し、意味したいのは、自分が立っているこの土地(ほうら、すでにズレている)場所、足の裏を支えるこのここ。疲れた身体が少し癒されました。ネムさんというのは、そのような力を持っている人なんだな。

yoromiT商店裏1

用水路にフタをするように置いてあった材木に刈草がつまって、用水をせき止めて田んぼの中に勝手に水が入ってしまうために、水の出し入れを全くコントロールできなかったのが、材木が燃やされてなくなり、コントロールが可能になった田んぼ。でもコンクリートのユウジコウの下から水が入ってしまうのでした。原因不明なり。
souruと新さんが入っている田んぼはyoromiT商店裏2  
田植えしました。

yoromiT商店裏2


yoromiT商店裏3

アゼが高く、固く、モグラの穴が皆無の田んぼ。持ち主のT家のご先祖さまが勤勉かつ篤農家だったのか。

水を深く田んぼにはるほどに元気なコナギ。もう発芽しています。葉っぱはハート型。


移動するjusai 。 新さん撮影。

ばばなき田んぼ2

ばばなき田んぼ2


Sさん田んぼ(谷内)

ちょっと林道に入るので、ついつい忘れてしまう。


tajiri田んぼ


小さい。こんな小さな田んぼ止めましょうというと、村田住職がこの田んぼはかなり苦労して試行錯誤した田んぼなんだと言った。





2012年5月24日

田植え&米ぬか散布。(2)

田んぼの写真を見てもどれも同じように見えることと思います。(ぶっちゃけ、jusaiも挿入画像を探す時、どの画像も同じように見えるんですから)

今日入った田んぼは

yoromi銀座田1

苗箱   11

米ぬか  2.2

村の中心街(地区唯一の舗装された十字路の交差点がある)にあり、人の声がいっぱいします。

yoromi銀座田1。
yoromi銀座田2

苗箱   17     田植えは昨日いたしました。

米ぬか  2.5    米ぬかは今日まきました。








神社前田1

苗箱   15

米ぬか  3

Aばあちゃんに言われた。「あんたら、いっぱい水入れるがはいいけど、ここだけ隣の田んぼの人が困っとるから、あのあれ、アゼビニールか波板入れましま。他のとこはいいげけど」
すんませんですましてしまっています。ほんとに他はいいんだろうか。あきらめてくれているのだろうか。(後日記しますが、優れたエンジニアリングセンスを持つ方のやっている田んぼは、私たちの田んぼが水を大量に使い尚且つ、漏れてしまうことを、想定して自分とこの田んぼに塩ビ管を埋めて、うまいこと被害を最小限に食い止めてくれています。しかもなに一つ文句を言われません)うーmm。
米ぬか散布直後。

神社前田2

苗箱   20

米ぬか  3

itayaさんが、お茶とお菓子を準備してくれました。それで神社の前にて、一服していて、村田住職が初めて、この諏訪神社にお参りしたのだと言いました。ここにはちゃんと神様がおられるそうです。んで、新さんの後について、jusaiも社内に入りました。(狛犬の向こうに足を踏み入れたのは初めてでした)目に見える建物の裏にもう一つ小さなおうちがありました。(そこに神様がいるそうです)不思議な気分になりました。

神社前田2
新さんも戻ったので、souruにgenさんの手元をまかせて、米ぬかを買いに中能登町まで行くことにしました。

手植え隊のみなさん。左 souru 中央 新さん  右  村田住職。

中能登町某所にて、撮影。通常の5倍サイズの田んぼ。この界隈でも米ぬか農法をやられているのでは?(昨年通った時にそう思いました。

うーmm。
神社前田3

苗箱   19

米ぬか  4

米ぬか散布直後。

Sさん田んぼ(自宅前)


苗箱   32

米ぬか  7 昨年より私たちが世話することになった田んぼにて、体質変換のため普通量を散布。

genさん。

























2012年5月23日

シロカキ。(2)

今日は順番として、シロカキの日。シロカキをして、次の日に田植えをして米ぬかをまくということになってはいるのですが、一度荒起こしをていねいにしてある田んぼの仕上げシロカキですから、田んぼどうしが近いロケーションにおいては、村田住職オペレーティングのトラクターも明日田植え予定の田んぼを午前中に仕上げてしまいます。ですから、genさんは明日の負担を軽くするために、今日のうちに、yoromi銀座田2の田植えをすませました。
大学卒業後、瞬間的に会社勤めをしていたことがあって、そこは零細工場にもかかわらず、ビジネスかぶれの婿養子が会社の実権を握っていたせいもあって、横文字の活動が盛んでした。なかでもQC活動すなわち、クオリティコントロールを社内に蔓延させようとして必死でありました。一人一人の微細な動き、何気ない動きにまで意識の網の目をかぶせて、どのような無駄も省いて、利益増大につなげようという浅はかな思惑です。そこには徹底的に大切なことが無視されていたように思います。システムを何よりも優先して人はそうしたシステムの一員であるに過ぎないことを、天から命令されたわけでも、意識の進化によって実現されたわけでもないのに、絶対的に容認するという姿勢であります。あまりにも無邪気すぎる。と思う。個人の構築の歴史が長い西洋人と違って、われわれのような感情的な人間にとっては、無理がありすぎる。日本国じたいが、そうしたあいまいな国家感だけを日々、育てているだけなのではないかと。思うのですが。


あれま、ズレた。ラクになることを真剣に考えてもいいんではなかろうか。昨日やっていた決まりのようなものが、今日ころっと変わってもいいんじゃないだろうか。そうした決まりがスムーズに実行されるために仕事をやっているのではなくて、決まりそのものが、どうしたらわれわれはラクに生きていけるのだろうかということを、必死になって考えるスペースのための途中経過に過ぎないと思う。どうなるのかわからないのだから、私という自意識は肥え太るのではなかろうか。そうした意味で、意識というのは(現在は自意識という体裁をとらざるを得ないのだが)天からのさずかりものであり、同時に自ら進化を遂げる可能性を持つ不思議なものとしてあると思うのです。

てなことを考えて田んぼをやっているわけではありませんが、ふっと思うことはあります。

yoromi銀座田1

苗箱  明日genさんに聞きます。
yoromi銀座田。
yoromi銀座田2

人が一人増えるだけでこんなに違うものか。例年3人でやっていたのが、souruくんが加わってくれたおかげで、午前中(pm:12:45終了)にシロカキどころか、一枚田植えをすませてしまったのだった。v(=^0^=)v

夕方撮影。
神社前田1

トラクターがはまりそうだった箇所。(記録用画像)
神社前田2

トラクターがはまりそうだった箇所。(記録用画像)
神社前田3

田んぼからの脱出。左 genさん。 右 村田住職。ほんとはオモリがついていたのだが、紛失したまま。買えよ^^。


神社前田3枚。右より1~3。
   追記
村田住職によると、 どうも、米ぬか散布によって、田んぼがどんどん深くなってきているらしい。それで来年からは神社前田3枚は荒起こしを省いて、いきなりシロカキをしようということに決定。


Sさん田んぼ(自宅前)

暗いぞ。_(._.)_