2012年3月31日

「ちどりぐさ」より。

なんと幼稚にNHKなどなどを信用していたことかと思う。やっぱりしつこいようだが、病的なのかもしれないが、ここにおる自分という単体を私として私から感じている状態そのものが洗脳のような気がしてしょうがない。だがとにかくものを考える場所はそこにしか無い。ネットにあふれる情報の中にそうした疑いを増強するようなものが多くなってきているように思う。当ブログ右サイドバーにフィードさせてもらっている「古本屋の殴り書き」さんが、最近アップしているアメリカの連邦準備制度に対する動画など、なんにでもすぐ影響されてしまうものには、フォーサイスまっつぁおの映像であります。

http://sessendo.blogspot.jp/2012/04/blog-post_02.html?utm_source=feedburner&utm_medium=feed&utm_campaign=Feed:+blogspot/FGvki+(%E5%8F%A4%E6%9C%AC%E5%B1%8B%E3%81%AE%E6%AE%B4%E3%82%8A%E6%9B%B8%E3%81%8D%EF%BC%88%E6%9B%B8%E8%A9%95%E3%81%A8%E9%9B%91%E6%96%87%EF%BC%89)

http://sessendo.blogspot.jp/2012/03/blog-post_29.html?utm_source=feedburner&utm_medium=feed&utm_campaign=Feed:+blogspot/FGvki+(%E5%8F%A4%E6%9C%AC%E5%B1%8B%E3%81%AE%E6%AE%B4%E3%82%8A%E6%9B%B8%E3%81%8D%EF%BC%88%E6%9B%B8%E8%A9%95%E3%81%A8%E9%9B%91%E6%96%87%EF%BC%89)

東日本の状況がアップされています。
http://chidorisou.exblog.jp/15646046/


2012年3月29日

王様の耳はロバの耳。

これも昔話として寝際におばあちゃんから話される時が来るのだろうか。

古本屋の殴り書きより。転


他者の目というのはほんとうに大切なものだと思う。

種の目覚まし。(塩水選)

どんどん溶けてはいるが、

屋根雪はまだまだ。曹洞宗 五雪山 龍昌寺 本堂を望む。
これから水で目覚まし。
原発のメルトダウン、いやもはや、メルトスルーはテレビや新聞を見る限り、普通の事故のようである。だが東電の社員をテレビで見るとほんとうに殺したくなる。怒りが頂点に達するとかろうじて自分を見る目が現れる。それは誰の目や思いなのだろうか。決して自分ではない。自分というのはもしかしてただの言葉にすぎないのかと、これまた自意識というものが分析をこころみる。本当に殺したいと思った時にしか現れない目と心。本当に何もわかっていないと思えるのはそうした瞬間のみである。
グッチ♀ちゃん。
例年になく積雪の残る中、春一番の農事、お米の種籾の選別作業を行いました。わじゅさん、いたやさん、ふくださん、えざきさん、そして春休み中の末娘も。にぎやかしく午後一時をまわってしまったけれども終りました。
こんだけ。






軽い種籾を浮かして掬い取る。
排水路が春の小川となってサラサラゆきました。






2012年3月24日

いざ、出陣。

 明日から大阪に娘と行きます。地縁血縁のまったく無いところで新しい生活をはじめるのは大変なことだと思います。友達もおらず、まったく一人で学校に行き、アルバイトを探します。とにかくなんとか生きていってほしい。私もなんとか生きていこうと思う。ほんとうに思わせてくれます。ありがとう。
きょうだい弟子の慈行さんが専門僧堂で修行をして帰ってきたそうです。三年間、慈行さんはちゃんとやってきたのだが、私はただ髪の毛をそらないでいただけで、なんにもやっていなかったのだ。みんなますます私から遠くに行ってしまう。ただ、ぼんやりとした中でただ一点のこだわりを見つめすぎていてその一点からますます遠ざかっているような気がする。その一点は生まれる前からくっきりとあるように思っているのだが、やっぱりおれが生まれてから生じたものなのだろう。それを判断できる場所が自分のどこを探してもない。その一点のまわりをグルグルまわるだけで終ってしまうのだろうか。
てなことを延々やってきたのだ。ほんとうにまわりの地縁、血縁、友人に助けられてきたのだった。
おかえしをしたい、生きている間におかえしがしたい。
http://blog.goo.ne.jp/wajumurata/e/761d6da5350edc24b307da612032c771

金沢大学の周辺で。

 年度末で、金沢大学の学生街は新入生の父母がかいがいしくわが子のために荷物を運んでいた。十分なことをできる父さんおれば、なんとかやりくりをして節約してやっと少しぐらいは仕送りをするお父さんもおれば、私のように奨学金やアルバイトでほぼ自分でやらせるしかないお父さんもおるだろう。何の心配もなく勉強や技術の習得にまい進できる子供もおれば、全くお金のことを心配なく勉強などができる環境にいるのにもかかわらず、遊んでばかりの子供もいることだろう。
私自身、何の心配もなく大学へ行くこと自体が当然のように育った者だから、何をか言わんやなのです。
しかし、いっせいに、みんなが、同じように動かなければならんのはなんとかならんか。もっと時季が一人一人違ってもいいのにならんのか。せまい国土の上に市街地がただでさえ狭いんだからみんないっせいってのはやめてくれ。
原発の安全に対して、原子力安全委員長と経済産業大臣のコメントがむちゃくちゃわかりにくいが、顔を見ていると責任をなすりつけあっているのだけははっきりとわかった。心配なのは、彼らがなすりつけあっている責任の中身がどちらにも見えていないのではないかということだ。まあ大丈夫なんだけど、で始まるのと、ちょっと心配なんだけど、で始まる議論はまったく違うと思う。
こんなのありえないくらい危険なんだけど、経済が立ち行かなくなるから原発を動かしたいのだが、と言えばいいものを、絆やいのちという言葉を乱発して原発を動かさないと日本がダメになるみたいにもっていくのはダメだと思う。核を扱うということは大変危険なことなのだというところから始めてほしい。情緒的なことと技術的なことをわけて考えてほしい。
ただ、放射線に対してはどのような態度をもってしても、やっぱりこわいとしか言いようがない。これは情緒的なんだろうか。
 娘に父ちゃん、金ないんだ、と言うしか手がないのだった。

2012年3月22日

たっぷりと雪が残っております。

 テレビなどで小学生の姿を見ると、この春の入学式のことを考える。PTA会長としてのスピーチで何を話せばいいのだろうかと色々考えると、もうすでに緊張してしまう。が、わが娘の姿を見るとほっとする。この子に対してなら言いたいことは自然に出てきそうな気がする。
それにしても、教育問題やら地域の少子化とか、さらには過疎の問題とか、色々問題だらけなのだが、それらの問題に対して考える時、肝心のことがポッカリと抜けているような気がする。ようするにその問題に対する自分がまずもって問題となってしまっているのだ。問題自体に対して自分の思考が障害物になってしまっているような気がするのだ。問題が少しも問題になっていないのではないか。
苦しい時は苦しむしか手がないのではないかと思う。問題が問題となっていないのならば、問題から逃げることすらできない。


さても、毎日気温が低く、例年になく積雪が残っている。もうすぐ、種もみを触りはじめるのだが。

2012年3月21日

助かりました。

娘と昨日、姿見がほしいという話をした。今日、引越しのお客さんが不要になった姿見をいただいた。

2012年3月19日

ブログ『古本屋の殴り書き』

http://sessendo.blogspot.jp/2012/03/blog-post_19.html?utm_source=feedburner&utm_medium=feed&utm_campaign=Feed:+blogspot/FGvki+(%E5%8F%A4%E6%9C%AC%E5%B1%8B%E3%81%AE%E6%AE%B4%E3%82%8A%E6%9B%B8%E3%81%8D%EF%BC%88%E6%9B%B8%E8%A9%95%E3%81%A8%E9%9B%91%E6%96%87%EF%BC%89)

準備運動。


ひさしぶりに日雇いに行ってきました。雪かきとダイコン堀りでそんなになまってはいないと思っていたのですが、ちょっと心配で一昨日と昨日トレーニングをしました。ラジオ体操ではなくて、野球部時代の体操はちょくちょくやっておったのですが、中学時代にグラウンドが一切使えない当地で連日体育館で筋力を鍛えるためにやっておった三つの基本である腕立て伏せと腹筋、背筋をやりました。自慢なのだが、それぞれ500回づつはやっておったという記憶が体に刻まれていて心も安定いたしました。幸い、ラクな引越しで助かりました。
通勤距離が50キロを越えるので行き帰りはちょっとしたドライブです。おひさまも結構さしていて久しぶりの穴水湾も春でした。でも車の量が少なく、閉鎖された事業所も散見され、道路も白線がはげていてなんとも寂しいかぎりの能登半島でした。それでも家々のまわりや公の空間もきれいに掃除されていて丁寧な能登半島でもありました。だんだんに代替わりしてこれからの世代もこのようなきれいな空間を維持できるのかと少し心配です。自分の家計をさておいて、自治体の財布を心配しています。
能登島を望む。まんなかの煙は原発事故以来フル稼働だといわれる火力発電所です。

ここらへんは雪のなごりもないです。






よろみ村に近づくにつれて気温が格段に下がります。


坂田地区方面。この谷内田も数年前まで耕作していました。


よろみ村の真下を散歩しました。中央に見える丸い雪山はお墓です。
蓮池の雪も解け、水が排水口から溢れています。





寒いとはいえ、農道の雪も解けて、地肌が露出しはじめました。当分の間はもうすぐ終りそうです。
ここからよろみ村にのぼるとまだまだ雪だらけですが、いずれかならず解けるでしょう。

2012年3月18日

春のお彼岸

 道路は雪のあとかたもなく、寒暖はくりかえすものの気候もおだやかになりました。
よろみ村は各家々のまわりや畑にぶあつい積雪が残っています。いつもここだけ別世界だとみんなに笑われます。しかし心は動きはじめております。愛猫♂がいなくなった寂しさもすこしづつ消えており今年一年も身体を損なうことなく、気候も田畑にとってよき日が続きますようにと祈っております。いつものようにやろうと思える条件がそろっていることへの感謝の気持ちがあるのは、東北をはじめとする東日本沿岸の方々の辛苦を知っていればこそであります。
春のお彼岸ももうすぐであります。春のよろみ村通信の編集も終え印刷所から刷り上ってまいりました。H印刷のご主人は80歳を超えておられるのですが、いつの間にか通信の原稿を読んでくださるようになられたそうです。そういえば、前回の№58はページ番号の位置が間違っていて、さらに№58とすべきところを№57してしまっていたのに、最終的にすべてよくなっていたのですが、こうした修正をできるのはHさん以外に考えられないので通信の出来上がりをもらいにいった時、そのことを尋ねると恥ずかしそうに、ええ私がなおしました、と申し訳なさそうにおっしゃられました。「なかなかいいことが書いてあるしねえ」とやはり恥ずかしそうに言われます。なんだか、よろみ村通信の編集に参加されているようでうれしくなりました。「Hさんは世界でいちばん最初にこれを読む人なんですね」とお礼のことばを言いました。ほんとにうれしかったです。


いたや家
https://docs.google.com/file/d/0B2ZfEDWG4xY3VUNpX0FVOHNRazZZelFqMV85OTFCQQ/edit
よろみ村通信(挿絵なし)

おりこみ作業。左よりけいこさん、えりこさん、すみこさん、わじゅさん、ゆうこさん。


2012年3月7日

簡単

ただ、生まれてただ、死んでいく。
それだけ知っているだけでええわ。
年とったり、殺されたり、自分で死んだりと理由はさまざまだが、
やっぱりただ生まれて死んでいくだけだ。
無数のすでに死んだ人が教えてくれたことだ。
ほんとにありがとう。
でも、その間は、全然簡単ではない。
返事をしない

返事をしてくれない

あんたたち、まだ生きてるもんの問題だ。

2012年3月5日

春雨じゃ。

家周りはほとんど雪だが、県道はアスファルトが見えています。傘をさす娘の姿が春です。これから芽ぶこうかという雑木林を見ることなくオス猫チョプが死にました。ほんとうは今日埋めようと思っていたのですが、雨と雪を理由に明日へ延期しました。ほぼ元気なころと変わらず大きな顔だけが見えるので眠ったように見えないこともない。視野にチョプがいない時はほんとにさびしいです。
でもきっと忘れるのでしょう。
さようなら。

2012年3月4日

チョプよ。

飼い猫が死にそうだ。一月前までは元気だったから、今の状態との脈絡が合わせられない。それと同じくらいかろうじて生きている今と死んだあとでは脈絡がないのだろう。生まれた時から今までの思い出とともに死んだ姿を想像すると、彼には申し訳ないがいいものを見せてもらっていると思っている。なかなかみんなに名前を正確に覚えてもらえない中途半端なやつだが、名前で彼に呼びかけると彼も尻尾で答えてくれて、こっちもなんだかうれしくなってしまう。俺はチョプだったのだとわかってもらえる気がする。
あんたの方がつらそうだぞ。

2012年3月3日

過剰な自意識と出会う。

三月一日、久しぶりに一日坐ろうと思って本堂に行きました。誰も坐っておらず一人でちょこっと坐っておりました。誰も見ていないから足が痛くなったら組み替えては、休んではとにかく夕方まで本堂におりました。どうしたら、ずっと坐っていられるか足の組み方やら胴体の位置、手のすえ方からいろいろと試してみるのですが、どれもダメでした。でも一番つらいのは、いろんなことを考えるのですが、こうした考え自体を維持するのが最も困難なのではないかと、一人勝手に思いました。何のためにとかどうしたらとかいろいろ考えているうちは時間も進みますが、それすらも誰かの他人の考えのような錯覚がおき、いても立ってもいられなくなりそうになります。そうした時、足の痛みは小さな恐怖を取り除いてくれました。
 今日、飼い猫が重体になりました。もう水も飲めず、どこかの猫に噛まれた傷が化膿して目に垢がたまり、口からは血反吐のようなゲロのような液体を垂れ流していますが、うなることもなくただうつぶせになって小さく体をゆするばかりです。自分は痛んでおらず、ある程度の余裕をもって、どうしたらいいのだろうかとぼそぼそ言っていると、勉強会の時を思い出し、阿弥陀様が救ってくださるようただ、念仏を言いなさいと言われていたようにも思えたが、本当に親鸞が言いたかったのは何をやっても救われないのだということなのではないかと思うと腑に落ちたように思いました。だが、この私の自意識は決してその言葉を受け入れない。
 この自意識ごと、どうにかしなければならないのだと思いました。本当にこのことは簡単なことなのだと思いました。だからこそ本当に難しいのだと思いました。自分で自分の意識に栄養を与えながら今日もだらしなく自意識に翻弄されて終るのです。