2012年1月31日

と思ったけど、あんまり降りませんでした。

思ったより降らなかった。思うというのと、決めるというのは同じところを使っているようでいて、全然違うところを使っているのだろうか。ということすら決められない。そしてまた、何かを思おうと思って何か自体を思えるのだろうか。ということすら、、、、、、、子供か。

東南方向。

西方。

屋根雪。

大雪の気配がする。

西川ミニ農園を見下ろす。http://jusai123.blogspot.com/2011/05/blog-post_15.html


冬の積雪がここ何年か多いです。落葉樹に降雪ですから家のまわりほぼ真っ白で空を見上げれば、徐々に灰色となっていきます。冬将軍がそれほどでもない時、よく見ると微妙に色があることは前にも言ったとおりです。が、いよいよ灰色だけがクリアーになっていく時、雪がしんしんと降り続きほんの少し乾いた雪がどんどん目印となる棒や潅木をおおっていきます。
どないなんねんと大阪弁をまねている時はまだ余裕があるのですが、降り続いて止むことのない風景にどんどん言葉も消えてゆきます。その時私は冬そのものなのでしょうか。それとも雪そのものなのでしょうか。あるいは冷たさそのもの?あるいは静けさそのもの?なのでしょうか空は何も答えてくれません。

文明

ナニモノ?

除雪車!

銀河鉄道999でキャプテン・ハーロックの戦艦があらわれたときのBGMが流れる。



2012年1月29日

大脳までもが老いるということを想像できなかったのか。

構造主義とかポストモダンだとか、哲学的な問題だとかにひっかかるようでありながら、いざそれらが何を指すのかということを考えてしまうと、どこから入っていいのかわからなかったり、個別の用語が
説明者によって微妙に違っていたりして、時間だけが経過してしまったという感じだ。何かを考えたい盛りの若者が最初にぶつかる壁のようにしてあったのだった。そうした感じはもしかしたら簡単にわからないと言えなくなるような装置として、少なくともこの日本ではジャンルとして置かれていたのではないかと最近になって思う。種としてのジンルイであるとか人間であるとかの表現自体がいわば本来普遍的な一般名詞であったものが、それを考える主体としての個人しか指さなくなってしまったのではないのか。普遍を記述する物がそもそも一個のモノになってしまっている。そこには当然のこととして長年積み重ねられてきた言語活動の中で抽象化されてきた意味そのものの否定が含まれてしまうのではないか。意識が肉体を否定したというか。こうした活動記録そのものが想像されるしか手がないものとして時に文学そのものの構成要素であったと思う。人間の外にたった元人間はいったいどこに立っているのであろうか。ついに最近の若者はという言い方が消えたのだが、成長の止まったままの最近の若者がついに初老を迎えつつあるのであった。

2012年1月28日

雪、雪、雪。

去年は雪の重みで2tトラックのワイパーが壊れた。

よろみの車庫の屋根雪おろし。

イタヤカエデ。

白木蓮。

厨、風呂場。

厨前。薪やま。
前の世代のしりぬぐいをしているんだ。今という概念は。最終的にはどんなに進歩的な連中も地、水、火、風の四大原理に自らの盲目を埋めてもらうんだ。そのような茶番はもうやめよう。ほんとうに楽になれる道をさぐるべきだと思う。古い原理であればあるほど、もっとも新しく解釈されたものとして自意識に登場しているのだろう。自分の大脳を絶対化させてきた歴史から離れよう。今という概念は時間をそれ以上進ませることのない重いものとしてあるようだが、所詮最近の概念に過ぎない。

ジュサイ宅。南側。






どこに行っちゃったんだよお。

 世界的に国際的に見るとどうも共通して60歳前後に目立つ政治家がいない。アメリカだとブッシュからいきなりオバマ。日本だと麻生や官からいきなり野田。つまり70年代前後に学生生活を送った人が政治家にはならなかったのか。この間にいったい何があったんだ。歴史にの教科書にも載っていなかった。俺が1960年生まれの共通一次試験第一号で、野田がおそらく五年ほど上。さて国政に目立つ政治家というと、一体誰がいるんだ。どこにいったんだよお。今60前後のやつらはいったいどこにいったんだよお。俺ら世代の5,6年あとがジュリアナ東京とかいうディスコでひもパンで踊った女の連中の世代。俺はよ、小学校の教科書に日本の原子力発電所による発電量が世界二位だって書いてあって、はよ、1位になればいいのにと思っていたんだ。
そういえば、中学校の卒業式で、二歳上の最上級生の兄ちゃんが大きな栗の木の下でという有名な歌を替え歌で大きなクリトリスの歌って言っているのがよくわからなかったんだ。まあ都会の兄ちゃんの反体制の流行が辺鄙な輪島にも届いていたんだろうな、まあ何かに反抗すること自体に価値ができたんだろう。いまだにその生徒会長の姿がトラウマになっているんだ。意味がわかんなくて。
にしても、なぜポッカリと間が抜けているんだ?そいつらはいったい今どこで何をしてんだ。まさか自分たちが最も否定していた国家の施し(年金)をもらいはじめたんじゃねえだろうな。おまえらは今どこで、どのように暮してんだよ。国家をなんだと今思ってんだよお。まさか、古きよき時代として思い返してんじゃねえんだろうな。自分たちが生きている間だけなんとかなればいいと思ってんじゃねえんだろうな。なあちゃんと答えてくれよなあ。大事なもんをよお、破壊しただけで居なくなっちゃうんじゃねえだろうなあ。なあ。
なんで、海城高校のあいつは金属バット事件。もう少し後の宮崎は宮崎事件。平成の加藤被告にいたっては秋葉原事件。もはや、地名で事件が呼ばれてんの。金属バットで親を殺したあいつは同級生なんだぜ。おれらモラトリアム世代にしてピーターパンシンドロームだ。ようするに大人になることを拒否した世代なわけだ。俺らが大人になれないのは俺ら一人、一人の責任なのだろうか。何故これほどまでに無意味なことを考え続けてきたのか。個人にて負担できるほどの問題なのだろうか。 ようするにさ、その70年前後に学生だった連中はいったい自分たちが何を壊してしまったのかぐらい、後世の」連中にちゃんと教えておいてくれよな。思い返す青春が奪われてしまったんじゃないかって俺は妄想してるわjけよ、お前らのせいで、考える土台すら奪われたんじゃねえかって思っているわけよ。なあ反論してくれよ。お前らよお。今いったいどこにいるのかぐらい教えてくれてもいいんじゃねえのか。
反抗ってのは、簡単なんだ。反抗するべき大人がいないのを嘆け平成生まれの君達。恥ずかしことだが大人買いだとか大人のなになに。が異様に増えてはいまいか。わざわざ商品コピーにしないと存在しないのかよ。われら50才になりたてはよお。

2012年1月27日

残念。

   雪の下に隠れてしまった冬野菜の白菜、チンゲン菜、カブ、タマネギであるが、ちゃんと目印の棒を立てといたのでそこを掘れば、出てくる。モミガラを被せて土に埋めた大根にも目印を立ててあるので場所がわかる。昔のお百姓さんは目印をつけるのがすごくうまかったのではないかな。新しくやることになった田んぼの暗渠排水(目に見えない排水ルート)の出口の上にさりげなく棒がさしてあったりして、それがまた、ちゃんと目に付くようになっていて、なおかつ歩行の邪魔をしない。そうした印は必ずといっていいほどにさりげなく目立たない、にもかかわらず視野に入るようになっている。へたくそな人もいただろうが、もはやその人のつけた目印は後世の人には気づかれていない!からその人の伝えたかった情報は無いのに等しい。
 自分のことばっかりの現代人、特にこの俺様は自分が生きている間のことだけで精一杯で、自分が目印をつけたこと自体を、印としてつけた棒よりも大切にしている。印のつけ方の優劣がとことん問題なのであって、どこかにデッカイ印が残されているのにも関わらず全くその印に気づかないのではないかな。と日ごろ思っているのだが、すぐに忘れてしまう。ほんとにすぐに忘れてしまう。

ハクサイ(あっちがわ)

タマネギ

ハクサイ(こっちがわ)

無花果!

枯れた花も葉も落ちない

アルプス乙女(りんご)

人工雪山。

2012年1月25日

街も雪景色。

 ひさしぶりに輪島市外に行く。両親不在にてじじば元気で留守がいいと思うも、父82歳、母75歳なれば、そんなことを言っておれない。のだが、古き昔の日本の翁はそうそう見つかるものではなし。衣食住豊かにて医療等充実の現代ならばこそ、わがこころのじじばばのイメージとはかなりかけ離れてしまうのはあたりまえのことなり。
父母はおらずも定時制に通う娘と全豪オープンを見る。錦織はにしきおりと言うのがめんどくさくてついににしこりに短縮されちゃったんだねえ。と意見一致。彼女今春より大阪のど真ん中に行く。大阪方言はこういうコンビニエンスな言語屈折にあふれている日本語をしゃべる日本人にとっての実験場だねと言う。娘ほぼ納得か?
さて錦織圭を英語表示するとほぼおまえとおんなじやねと言うと、それはうーん。もういっそのことにしこりじゃなくてにっこりでいいやんかと提案するが、場末の輪島で決定してもしょうがないか。Kei Nishikoriはもうアメリカ人なんじゃないか。自分がプレーする場所が世界的だとは思っていないのだろう。普段がすでにいつでも世界なのであろう。実力は対戦相手より劣っていたが、同じ土俵であることに会場も含めて全く意義はないであろうと思われる。
さても父母を待ちきれずに買い物をして帰ろうと思い、チラシを見ると近所のホームセンターで在庫処分をやっていたので、娘を定時制に送るまでの時間を利用してかの地まで歩いていく。家から1,2分なり。短い距離なれども歩いて目的地に行くことほぼ高校生以来。自分のふるさとを歩く不思議。50を越えてながめる街は家屋が新しくなっている以外はほとんど変わらず、プラモデルを買いにいく小学生になり、部活動にて遅くなった通学路を歩く中学生になったりしながら歩く。自分の内面が固定されていたかのように全く往時と変わっていない。まったく
ホームセンターの店長なのかな。彼氏は中高生のころ、よく見ていた彼氏なのだが、その背中はもはや初老!自分は彼よりも年上なれば、自らの姿は押して知るべし。しつこいけれど、ふるさとの道なのでした。時間など全く存在していないのでした。
にしても、自動車を使わずに買い物ができるスモールでコンパクトな街だなあと思いました。

雪!

雪!

雪!!

よろみ田んぼ街道。

2012年1月24日

ふるさとは近くにありて呪うもの。もとい食べるもの。

雪がしんしんと降っていてかなり積もりそうです。カジメ(昆布の仲間)がうまい季節です。炊きたてのご飯に細かく刻んだものをのせて、しょう油を少したらしてかきまぜるとねっとりとして食欲をそそる食感になります。冬の寒さがもっとも厳しい今の季節は海が碧色になって他の季節にはない感じになります。カジメご飯を食べるといつもその色の海を感じます。空の灰色は海の碧色をいっそう美しく見せてくれます。太陽がほとんど出ない寂しさは灰色ではなくて海面に写る空の碧に輝く灰色です。
山に移り住んで、あまり魚を食べる機会が減りましたが、輪島の海産物のお店に職を得てからカジメをはじめとして、ポツポツと魚など輪島の味をもらってきてくれます。生まれ育った場所なのです。

ふるさとは近くにありて食べるもの。そしておいしくうなるもの。

よしやうらぶれて、みなに笑われても。逃げれる場所などどこにある。

おかずができたと近くの里山に帰ります。いただきます。

2012年1月23日

勉強会二日目。

仕事で今回の勉強会に参加できなかった妻に「正法眼蔵の勉強会だったんでしょ」と聞かれてうんと言うも、「どんなんだった」と聞かれては何と答えたらいいか迷う。正法眼蔵の中身を説明しようにも話し始めるとっかかりもわからない。確かに話を聞いてはいたが、はて一体誰がこの話を理解しようとしているのかがわからなくなる。確かに聞いたのは私だから私でいいのだが、どこぞの私なのかと考えてしまい、まあようするに逃げ続けたいのだなとしめくくるも、どこに逃げるのかと考えると再びわからなくなる。おれみたいなレベルの人間の理解に応じた先入観を植え付けることにしかならないから、ほんとうは直接ああいいうふうにちゃんと話せるレベルのお坊さんから直接聞いたほうがいいに決っていると言うもそれでもふんづまりでもやもやするだけ。確かにこういうことが書いてあるという納得のようなものも感じた瞬間も多々あったのだが、そのときそのときであって、今それを思い出して言ってもなあとお茶を濁す。そもそも仏典を読むという表現じたいがしっくりこない。では味わう。違う違う。そんなしゃれた言い方を言う場に自分などいないとやはり逃げたい。が魅かれる。まだ出会ってもいないのではないかとさらに逃げ続ける。いったいどこからどこへ。又明日も逃げるのか。
内容を理解すると消えてしまう文章というのがあるのだとしたら、それを理解したものは消えてしまうのではないか。永遠に同語反復をくりかえすのではないか。それを自意識と呼ぶのではないか。自意識とは永遠を自ら仮定した場に閉じ込められた空虚なのではないか。ないものを消すことはできない。もともと無いと言ってしまってはすでにあるものになってしまっているではないか。
そして、正法眼蔵だけは何百年経っても残っていて、目の前にあるのだった。
正法眼蔵の勉強会。総勢16人参加。

2012年1月22日

悩みが大きいというのはラッキーなことなのではないか。

櫛谷宗則さんのお話を聞きました。道元禅師の著された正法眼蔵を元に不可思議な比喩であふれている仏法の文章を解いてくださいました。冬の勉強会と称して、何度もくりかえし聞いてきたのですが、わかりそうになればなるほどそうではないと思われてきます。どんどん順調にわからなくなっていきます。師のお話はそれでいいのだ、それでいいのだと言ってくれているようで元気が出てきます。どんどん時は流れていきます。釈尊もいつのまにか2500年ほど前の人になってしまいましたが、たかだか2500年かと思えます。わからなくていいのだが、わからないままでよいわけがないと思います。ひとえに私自身の意思だけを自分自身で問うより他ありません。
思うにその問いの大きさに応じてしか理解できないのではないでしょうか。そして問いは苦悩が深ければ深いほど大きくなるように思います。同じ言葉が未来には違う深さを持つのだと思いました。自分の具合の悪さが世界一であると思いたいのですが、苦悩が大きいがゆえにその苦悩が見えない人もいるのだと想像されました。
自分の得ばかり考えるというのはほんとうに醜いことなのではないかと思えました。ただ、その都度
その都度であります。

櫛谷宗則禅師(画像中央)


feed 龍昌寺 住職 村田和樹

2012年1月21日

マリオへ。(マリオのパンへ)

人見知りが強いので、ファーストネームやニックネームで呼んだりする友人がほとんどいない。又ニックネームで呼ばれたりするととても大切な自分の内面の中に入り込まれたようで少し苦しい。自分という内面の確かな輪郭は宇宙そのものの輪郭よりも大きくて確かなもののように思っている。自分の命などどうでもいいと思えるのに、この内面だけは触らないでくれと叫んだりする。友人というのは自分の内面を踏みにじらない限りにおいて許される。
マリオはこうした妄想を許さなかった。目を開けたら彼がいた。そして母国語ではない日本語で「気持ちをください」と言った。必死になって自分の気持ちを探したが見当たらず、めんどくせえ人だなあと思ったが、それは言葉にならなかった。気持ちってほんとうにあるのかもしれない。
マリオはパンを焼いて売っている。そのパンをたまにくれる。ますますマリオがわからなくなる。でもますますパンは好きになる。何が、なぜおいしいのだろうと考えるとますますわからなくなる。マリオとマリオのパンとの境目があいまいになる。自信をもっていいと言える数少ないものなのだが、それをそのまま説明しようとすると母国語であるにもかかわらずうまく言えない。(なぜだかおいしいだけでは済ませたくない)
これが気持ちなのかとふと思うとここに自分がいる。同時にマリオもここにいる。そしてパンがある。
少し心苦しいのだがマリオはマリオと呼び捨てにするしか手がないのであった。

marioそのもの。




2012年1月18日

父にもらう。

父は82歳。門前町の出。皆月および五十洲(いぎすと読む)地区で今でもやっている神事、あまめはぎというイニシエーションを経験する。父は長男ながら家を出て輪島市街にて高校教師をしてきた人。つい先日、あまめはぎの天狗と鬼と猿が怖くて裏山に逃げてばかりで、見たことがないと告白した。何故と問うと、「怖くて怖くて怖くて」と子供のように逃げた。ちなみに、天狗と鬼と猿はそれぞれ
、のみ・すりこぎ・金槌を持って家の内に乱入してくるのだそうだ。

父は海のヒトだ。

ヒトに喰われる。

奥の奥の奥能登(原子力発電所を拒否した珠洲市)



 久しぶりに太陽を浴びる。太陽の出ない日々は全然苦痛ではないのだが、どうも自閉してしまうようだ。本来私は当地のネイティブでありますから自らの生きる気象条件に文句を言える筋合いにはないのだが年老いたせいであろうか、あるいはほんの少しばかり当地の外である表日本の冬季の気象条件を知っているせいであろうか、当地はいまさらながらこの季節においては暗いのだなあと思うのだ。

図書館で借りた「奥能登の研究」(和嶋俊二)を斜め読んでいる。こうした郷土史本は、だいたいにおいて、おらが村自慢というスタンスからしか出発できないものなのだが、和嶋氏のテキストにはそうした欲望のかけらも感じられず、読んでいて気持ちがいい。素直に自らの立つ場所の現在を知らんがためには目に見えない歴史をできうる限り正確な資料(テキスト)だけを元に見なければならないことを教えられます。正確な資料というのがくせもので、極端に言えば平氏の歴史が源氏の手にかかるように、時の権力の影と切っても切れないことを忘れてはならないと思うのだが、氏はそのことと同時に自分の研究の成果も同様な結果をもたらすことをも視野に入れているように思う。(斜め読みですが)
古代、半島や大陸との交通の要所であった土地の知的伝統であるのかもしれない。どう考えても経済的、政治的、文化的に拒否することは不可能であると思われていた原子力発電所の計画を自前で吹き飛ばしたのが珠洲市である。珠洲市をはじめ中世以後、急速に裏の裏、奥の奥に追いやられた能登各地にはテキスト化されていない生の心性が現在を生きる人のどこかに仕舞われているのではないかと思い嬉しくなったりしております。
もっと奥に探求を進めるならば思いもよらぬことを発見するのではないかと思う。

立て掛けてあった板に何かの巣であると思われる。ここは彼らにとっての土地でもあるのだ。


奥能登の研究―歴史・民俗・宗教/和嶋 俊二

¥8,925
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2012年1月15日

直感に頼るしかない。

作文する時に、書くことを考える。内容を考える。いいのを書きたいと考える。が、実際に文面が生まれる瞬間を考えるならば、ほぼ気絶している。徹底してライブでありながら、書かれたものを見る時にはすでに過去である。考えれば消えてしまうような場所に書かれたもの(作文)はある。人はどのように考えても、考えるということそのものの源から生じている。書かれたものはその流れのどこにもない。何かを書くということは、ただ生きるということからはあまりにも遠いのではないか。にもかかわらず、今この私を表現することができる全ての媒体の源でもある。正しくて、いいものを書こうということがすでに間違っている。何かを書くという行為がすでに絶対的に正しいのではないか。もちろん、人という範疇においてのみ。うそも、間違いも正確に記述できる一つの場所が作文(書かれたもの)である。
と思う。

 根雪になった。→http://jusai123.blogspot.com/search?updated-max=2011-12-18T11:42:00%2B09:00&max-results=10
屋根雪。葛飾北斎っぽい。

雪道。モーゼっぽい。



塩漬け大根をべったら漬ける。バベルの塔っぽい。

2012年1月13日

方言は美しい音楽

自民党の麻生太郎氏が総理大臣になる前、その発言力を増していたころにラジオから彼の声が聞こえてきた。「地方自体の首長さんには経営者として職務をしてほしい」と言った。明らかに経営者のようにではなくて、経営者のほんものとして存在してほしいと言っていた。各自治体が競ってわが自治体はいかにすばらしいかというコマーシャル活動がさかんになってきた。わが自治体はいかにすばらしいものを持っているかを探し始めた自治体は先人達の血と汗を一言で表すようなコピーを真剣になって考えているようだ。
私がもっとも嫌うのは方言をそのままひらがなで表記した一節だ。方言とは先人達の血をと汗の結晶が現在を生きる我々の場所で花開き続けるナマモノなのであって、どのような書き言葉でもそれそのものを表記したことにはならない貴重な記録そのものなのである。我々が民俗学的にあるいは博物学的に収集できるようなものなのではなく、我々そのものがそれによって表現され続けている、あまりにも具体的で本物すぎるが故に表現するという傲慢な行為をゆるさぬ聖域に存在するものなのである。
方言を一字一句そのまま未来に持っていこうと言いたいのではなくて、自らの言語空間の輪郭を破壊するくらいの覚悟を持たなければ未来は永遠に変わらないと言いたいのだ。方言をそのまま商品のコピーやネーミングに使用することは自らの出自があからさまになってしまうというくらいの覚悟がいる行為なのだ。
資本主義に対等に向かうことのできる制度が消滅してしまった現在、資本主義を外から客観的に見ることのできる場所がないという事実を忘れないでいたい。そして、方言の生きている空間がいいのか悪いのかという話しの前にとにもかくにも一度たりとも途絶えていない歴史そのものがあって現在の自分が立っている場所そのものを探っていきたい。
暗いが、モノトーンではない。色を持つ空。
自らが生きる場所を自らが作っていくこと。その自らには何万年もの歴史を重ねてきた場所そのものが覆いかぶさっていること。名前が問題なのではなく、問題が問題なのだ。

与呂見地区中心部。音だけではなく、色も吸収してしまう積雪であります。


本気でやってください。


2012年1月8日

細君。

私は主夫である。定職を持っていないどころか、農閑期にはほとんど収入がない。こうした身には、向かっているだけで、何か意味を持ったことをやっていそうに見えるパソコンはありがたい。スイッチをいれるだけでこの私をもだましてくれる。キーボードを打つ音がすばらしい文章を打ち込んでくれるのではないかと思わせてくれる。この手で10回の冬をやり過ごしただろうか。
今はただ、妻(さいとよんでほしい)のパート収入に頼るより手立てなしである。私のただ一つの自慢は、私がいなくなっても一族にとって、何のマイナスもないということである。(ほんとうです)

何食べてんの?

ぴざ。

ピザ。ピッザだってば。



細君。

2012年1月5日

ぎっくり腰。

長安の都といえども、、、、、、、、、、、、、、、、、、。
新年早々に腰をいためる。おもわぬことはおもいもよらずにおもわずおこってしまう。悪い意味で。さていいことはたくさん起こりすぎていて、気がつかぬだけなのではないか。




2012年1月4日

積雪20センチ追加。

プルーン

アカメガシワ

あて(ヒノキアスナロ)植林


 除雪車の威力はすさまじい。わずか30年ほど前はこのようにコンビニエンスではなかっただろうに。遭難覚悟で徒歩で山をおりなければならないところをわずか30分ほどでどんな車も通れるようになる。節約された時間は何に使う?そのように生まれる時間の中ではムダは絶対に許されない。と考えてしまう俺が悪いのだろうか。ほんの4、5年前まで冬の積雪時、車は家のそばまで上がれなかった。
 それをかっこいいと思っていたのだが。そうした厳しさは若い時だけのものだった。意思も老いるのだろう。その程度の意思など雪のように溶けてしまうのだ。照れ隠しに除雪車を新種の生物のように見る。
除雪車の前輪