2011年5月29日

田んぼの水位を安定させる


ここ与呂見地区のように、日本全国に山があり、谷があり、川があり、雨が降り地下水は脈々と流れていて、能登のような低い山しかないような場所にもここかしこに水脈があり、それをうまく利用した形で灌漑のための用水があって、田んぼに簡単に水が入れられるようになっている。そして田んぼ廻りをする人の手によって温い水が安定してある状態を保っている。治山治水などと大げさに言わずともたくさんのお百姓さんが同じように稲を育てている。一人の人間の性格や彼の属する社会の形体や政治経済というような説明事項などを越えて、日本という国土のかなりの部分がこのような小さな治水によって育てられてきた。そしてほぼ共通する心性を育ててもきた。
だから我々が30年前に小さなコミュニティーを作って、自らの食べる米を自らで育ててきたという歴史的なことをも越えて田んぼをやるということは絶対的にこの場所を具体的に定義付けるのだ。それくらい田んぼというフィールドは具体的な事実として一回一回の米作りの積み重ねとして確実に存在する。
そうした千年単位の積み重ねを台無しにするような失敗がかなりあったということをここに報告したい。暗渠排水という田んぼの地中に埋められている排水設備のフタを閉め忘れたり、開き忘れたりというケアレスミスをも含めて、あるいは肥料設計の失敗や、千年の未来を全く考慮にいれないような稲作全体の計画などなど。
こうした明確な失敗のフォローを、無前提に大自然が克服してくれるだろうという甘い依存心から、田んぼにだけ任せてしまう。
用水を見回ったり、田んぼに水を適宜いれたりというひとつひとつの仕事をていねいにやりたいと思う。幸いにして、今は降雨予測がピンポイントでなされているのだから、それもきちんと利用したい。
ただ、放射性物質のことを思うとどうしても全てが無に帰するような気がしてただオロオロするばかりなのだが。とにかく今年の田んぼに集中したいと思う。

2011年5月26日

今年の苗は去年よりダメやねえ



与呂見地区のAおばあちゃんが田植えをしている苗の様子を見て去年よりよむねえー(弱弱しい、ぼろい、古いなど)と言いました。又Sおばあちゃんは今年から田んぼ仕事を私たちに任せたのですが、地面の長靴が深く沈んでいきそうな場所で、あんた深いやろーと笑います。まあまあ深いかなどと思って田んぼの中を歩いていると、深く沈む長靴の沈下が止まらない場所に到達しました。それでもなんとかその場所を脱出すると、なにごとも無かったかのように田植え仕事に戻りました。
田植え機を操作するげんさんを田んぼの中なのではあるが、おそらく田んぼが深すぎるのだろう、あらかじめ小さな畦で区切られている場所に立って見ていると、げんさんが言いました。そこって、どんだけ深いのかみてみたいと。うーむ、私が思う以上に深いのかと実感しました。
想定外を想定することはできないが、自分自身の個人的な想定なら簡単にその外を想定できるなあと思いました。
底なし沼の恐怖。





2011年5月24日

今年も田植えができた


今年も田植えができたと冗談でよく言ってきた。だが、今年は本気でこのようなことを言っているような気がする。昔の人のことばで、末期の目で見る景色はすばらしいというのがあった。確か、芥川龍之介もなぜそんなに世界が美しいと言うのに死のうとするのかと聞かれれば、それは私がすでに死ぬことを決めているからだというのもあった。いつもフクシマダイイチゲンパツのことが頭を離れない。いや、フクシマダイイチゲンパツノモンダイが心を離れない。いや、ホウシャノウのことをいくら考えようとしてもなんにもコトバが浮かばない。考えざるをえないにもかかわらず、何を考えていいのかわからない。だれかが悪いとか誰がいいことを言っているとかいっても誰一人としてそのことの正しさを証明できないような、いやな感じ。ぼくらの開始点とホウシャノウの終点は同じ直線の上にあるような感じ。全部感じ。なんだかこの記事も終われそうにない。
けど終わる。田植えはちゃんと終わりました。以上。


2011年5月20日

水をためる


田植えを明後日にひかえて、田まわりをしてきました。この時期の理想は地面が見えるか見えないかぐらいの水位です。なにゆえ、縄文晩期の人々が畦に木の杭を隙間なく埋め込んで水をためようと苦心したのかは稲のために水を温めるためだったろうと思います。そのDNAは現代にまでそのままの形で伝わっていて、用水路を流れる水が、まだ冷たいこの時期に田んぼにたまっている水を触るとまるで、自分の手がおたまじゃくしになったように気持ちがいいのです。オタマジャクシの手は稲の半身といってもいいと思います。
田んぼによって保水性に差があり、田んぼごとに一喜一憂しています。実際は保水性がずば抜けている田んぼでも取水口以外から、例えば棚田の上の田んぼからジワジワと漏れていたりしますし、すぐに水位が下がってしまう田んぼでも、(20年ほど前のことだから時効だと思いますが)暗渠排水といって、土中深くに排水性をよくするために埋められた配水管の地上での排水口のフタに気が付かずに耕作していたということもありますし、田んぼ一個一個での評価はできません。人工的な施設であることは間違いないのですが、まわりの環境から隔絶してその一枚の田んぼがあるわけではないのです。物理的な自然条件としても、又我田引水の故事をもちだすまでもなく社会的条件としても単独で存在するわけではないのです。
とにかく、田んぼは、能登半島の当地ですら千年単位で続けられてきたと思います。(もう少し新しいかな)取水口から水を入れて、排水溝をせき止めて土をトロトロに耕運すると水が漏れにくくなることを縄文晩期の稲作り創世記から伝承されてきていることにウルウルしてしまいます。遠い祖先を思い描くことと同時に時間が消えて縄文晩期はつい昨日のことのように思えます。
来年もできますように。
来年もここでできますように。
来年もそのまた来年も田んぼができますように。
水をうまく田んぼにためられますように、今年もがんばります。です。



ふくだ家から畑を見下ろす

2011年5月16日

水が漏れないように


わじゅさんとこばやしさんとにしかわの三人で毎日田んぼ仕事をしています。トラクターオペレーティングはわじゅさんで、こばやしさんと西川は草刈と畦の補修を担当しています。補修というとなんだか専門的な感じがするのですが、ぶっちゃけ、畦をふんで地盤をしめこみ、モグラのあけた見事すぎる、穴を親のかたきのように、あるいは地団太をふむようにしてふさぐだけであります。畦が低くて、水がオーバーフローするようなところはきちんと田んぼの粘土で畦を作り直します。それでも田んぼは青銅でも鉄でもコンクリートでもプラスティックでもセラミックスでもないので自然にある程度は漏れます。漏れないと田んぼになみなみとたたえた水は腐ってしまいます。稲が育つフィールドとして歴史が積み重なっている田んぼですから、根本的に自然ではないがかとといって完全なる人工でもない、いわば現世稲にとってちょうどよい環境としてあるのだと思います。理由はともかく、先人たちがやっていたことをそのままただやっているだけだとも言えます。トラクターや田植え機等等の機械は目を見張るほど進歩を重ねていますが、それらは人間の算術数的な仕事を幾何級数的な仕事量に置き換えただけで、大きなユンボを開発した人もえらいが、スコップを考えた人の方がはるかにエライのと同様に千年単位で現生人類が食べるお米のできる環境をもたらした先人たちの気持ちの方がはるかに今を生きている私にはありがたいような気がするのです。
用水を流れる水には一切機械的動力は使われておりませんし、田んぼの水を温めるのも電気的負荷は一切かけられてはおりません。こうした装置は田んぼにかぎらず、農業にかぎらず、多くの場所に存在するのではないだろうかと思います。あたりまえのように田んぼと呼べる場所の存在が少々の疲労を吹き飛ばしてくれるような気がします。
当然のこととして考えるのは千年単位の子孫に残せるのかということです。牧歌的にそう思うのではなく、事実として積み重なっている田んぼというやさいしフィールドのことです。
さて、明らかに水漏れの激しい田んぼがあります。そうした時畦を宮沢賢治ではないけれど、とぼとぼと畦の上を歩きます。そして、モグラのあけた、まるで設計されたようにしてあけられた大きな穴を発見する時があります。そして即座に穴をふさぐと瞬間に田んぼの水位が安定するのがわかります。稲が植えられている田んぼでは、稲が即座に喜びます。決して牧歌的、物語的に言っているのではありません。同時に稲と私の境目は消え去り、(それこそ千年前に)稲も私も消え去り、喜びだけが田んぼ一面に充満します。そんな私を見ても外から見ているあなたは気がつかないでしょうが。
収穫の喜びの前に無数の喜びを体験したい。そんなスケベ根性丸出しで今日も田んぼにいたのでした。


いったい何が今おこっているのだろう

さんがつじゅういちにちよりも前にかえりたい

そしたら平和で、豊かで、未来に満ちた現在が戻ってくるのに

いま いったい なにが おこっているのだろう

みんなだいじょううぶなのかと言っている

何が大丈夫なのかと聞いているのだろう

だいじょうぶとはどういう状態を指すのだろう

さんがつじゅういちにち以前には答えがあったのだろうか

そういう問いそのものがあったのだろうか

若いときにみたタルコフスキーのサクリファイス(犠牲)の残像が常にある

核爆弾と原子力発電所事故との違いはあるが

物質そのものどころかこのぶっしつという文字の成立にすらかかわるのだから

そんなことはどうでもいい

明日が来なくなる映像だ

映画だから フィクションだから必ず終わらなければならず

主人公が魔女と取引をしてジンルイの破滅は回避される

ここで再び問う

いまいったいなにがおこっているのか

現実はこれほどまでに目にも見えないのか

ならば第一原発の現在とわれわれの意識という装置との違いを指弾できるものが

この地上にいようか

何かを問う前に自分の鼻先でも見るか

こんな意識上のパニックを笑える日が再び来ますように

そしてその時こそ

かつてなにがあったのかを忘れることのないように

ジンルイの歴史にあったことがそのままアーカイブされますように


2011年5月15日

夏目漱石より

其他只修辞と云ふ様な事を巧くやれば文章家だともてはやすが、其れも大したもの

でない、文章と云ふものは、畢竟物でも人間でも其れを如何に解釈するかゞ現はれ
るもの、即ちこれが文章である、その解釈は人によりて違ひ、又合することもあろ

うが、兎に角、その解釈の方法が、巧く出来れば巧い文章である、此の解釈とは広

い言葉だが、物の解釈は色々出来る、例えば暑さ寒さは寒暖計で解釈できる(中略)

其れで総て其の解釈の為具合、自分を解釈する、人を解釈する、天地を解釈する工

合が文章になって現はれる、その解釈に於て人と一風違ふた文章家となる理由で、

解釈が人より深ければ勝れたる文章家になられる、で文章は字を知るよりは寧ろ物

を観察することに帰着する、其れから又物を如何に感ずるかに帰着する。

 この感じとか、観察とかを巧く養成すれば、巧い文章家が出来る、其れだから言

文一致、雅俗折衷などゝ云ふは、抑も末の話だ、(中略)

観察と云ふことを云ふたが(中略)物を観察すると云ふ事は日本人の中には余程発

達していないと思ふ。(中略)で、平生心がけて世の中を明瞭に見ると云ふことが

文章家に必要であるまいか、(中略)

実は目前にあるつまらない器物も悉く材料であったのである。

2011年5月14日

田んぼの用水


与呂見地区は昔から田んぼの水に困らない地域のようで、むしろ洪水の方が心配であったのだそうです。各田んぼの周りには必ず用水路があり水が常に流れています。私は水の音が大好きで、言いようのない感覚に出会います。水の音にも大小や質の違いがあり、無軌道な水量とならないようにそれぞれの田んぼに必要にして十分な水量が確保されるように流したいと思うのですが、大は小をかねるかのようにあればいいんだろうみたいに流すことも多々あり与呂見地区の古老たちをやきもきさせています。複数の水系によろみ村の田んぼがありますが、中にはわれわれのしている田んぼだけという水系も誕生しました。我田引水をしても誰も文句を言わないと安心するのですが、今後は水源から水系の末端に至るまでわれわれ自身が責任を持たなければならないということにやっと気づいている今日この頃です。こうして水の音を聞いているとわれわれがたまたま2011年の田んぼを担当しているのであり、過去にはおそらく何百人の同人がいたのだなあと感慨を深くします。
今年からやることになった田んぼの際の用水です。

2011年5月13日

田んぼの記録5


恵まれた水から用水路ができ、数えきれないほどの耕運が繰り返されて今年の稲作をさせてもらっています。水を入れてはこねて、農繁期が終わって土は乾き、また次の年次の年と。こんなことを言っては何ですが、まだ、苗の植えられていないこの時期の田んぼの風景が一番好きです。稲が植えられてしまうと、立派なお米がたくさん実ることで頭がいっぱいになってしまい、風景は一瞬の夢の中で輝くだけだからです。たくさんの苗を心待ちにする田園風景というところです。
今日も写真をとれませんでした。が、2009年の田んぼの写真を転載いたしました。

これです

2011年5月12日

福島第一原発のように


冷たい雨のせいもあるのだろうが、与呂見地区の古老たちの姿が全く見られない。年齢のせいもあるのかとも思う。仕事が体に身についているから雨の日に畑仕事を無理にすることもないのだろう。静まりかえった畑が雨をさらに冷たく感じさせる。そしてトラクターが田んぼの中ではまってわれらだけが右往左往していたのだった。最初に二トントラックで引っ張るも数日来の雨模様でぬかるんでいるフィールドではまり、その二トントラックを軽トラで引っ張るもびくとも動かない。結局ハイエースをもってきて二トントラックを救出し、ついでに田んぼではまっているトラクターを救出したのだった。
そして何事もなかったかのように野良仕事に復帰する。いろいろ毎年あってまるで、数年前と同じ場所で同じ救出劇をしていたなあと思い出すと田んぼにはまるというトラブルも突発的なわりにその状態で安定しているという不可思議な状態であるのだなあと思う。
ここで一気に妄想は飛躍して人類というものも、こうした突発的な状態そのものである意識(宮沢賢治ふうに言えば、現象であろうか)が目に見えないことに耐え切れずに生み出したトラブルとなんの変りもしない、ほんとにたいしたものではないのだと思えてくる。ただのジンルイという名前にすぎないのではないかと思えてくる。…のだった。
それを私という何を指すかが全く見えてこない代名詞にて考えているのだから、すなわち私は何かの代わりに過ぎないように思えてくる

与呂見 諏訪神社にて

2011年5月11日

田んぼの記録4

田んぼの畦を鍬で切っていると、ひょっこりアオガエルが顔を出す。水口のまわりに土を塗っていると手にアカハライモリが裏返っている。カエルはじっとしているがつまみ出そうとすると逃げる。イモリはだるそうにもぞもぞする。稲だけのためにやっているのだから余計な草が生えないように稲だけに都合のよいように工夫をこらす。必要なことと無駄なことの区分けを考えながら一日ぬかるんだ不安定な泥水の中を歩く。が目は思いもよらぬ景色を選ぶ。人の家の庭先に揺れるチューリップだったり神社の背に広がる大きなナラの林だったり、ただ揺れるだけの何かだったり、それでも勝手に動く鍬は一重に秋の米の収穫に促されている。ただそれに従っていることに気づく時、私の意識も私自身が選択しているわけではなくて意識そのものが自分のものではない奇跡のように感じる。なんちゃって。


2011年5月10日

田んぼの記録3


田んぼの大きさは田んぼに入って感じるのと田んぼの外から感じるのと全然違う。また、入ったとしてもその広さをなかなか実感できない。トラクターの耕運時間とか田植えに使う苗箱の量ならば確実にそれぞれの田んぼの大きさを比較することによってその広さを確かめられる。だが絶対的な大きさは主観を通したイメージでしかわからない。不確かな私という場所における具体的なスケールを持たない、いわば言語のようなものであるような気がする。
今日入ったのはタグ風に言うと神社の前、与呂見地区のメインストリート ばあさんが泣くほど全長が長い などといったものか。独自の歴史を重ねている一枚一枚の田んぼの画像を付けたとしてもそれらの世界に一つだけの田んぼそのものを表現することはできない。
テキストという言葉の意味を確かに知りもしないのですが、なぜだか興味を持っていて、何とかPC上で軽く動くTEXTという単語とごちゃまぜにして田んぼの自慢ができる日がはやくこないかと、ただ考えるだけの状態がまだまだ続きそうだ。田んぼに入って仕事をしていて、こんなことを考えているわけではないのですが…。延々と同じ動作が鍬とともに続きます。
でも、しつこいですが、それぞれの田んぼの千年の歴史は全く違うということを言いたい。


2011年5月9日

田んぼの記録2


与呂見地区から車で10分くらいのところにある坂田地区の4枚の田んぼを耕運しました。10年ほど前には10枚ほどの田んぼで米づくりをしていました。当時、砂利道の農道が舗装されてハイウエーのようです。
坂田地区の4枚の田んぼの用水歩いて5分ほどの川から板の堰で水をせき止めて用水にもってきます。用水域には何枚も田んぼがあってかつてはその全ての田んぼがその用水を頼っていたのでしょう。今は流域には我々の田んぼしかありません。従って自由に使えます。同時にその用水の管理を本当は自分達がしないとだめなのでしょうが、いまだに坂田地区の方々のおかげでせいぜい用水にたまる落ち葉や枯れ枝をのけるぐらいしかできません。だんだんに人が減っていき、将来はいったいどうなるのだろうと漠然と思うだけで、とりあえず今年も水があることを当然のこととして田んぼにふんだんにある水を入れてトラクターで耕運をはじめました。畦を手入れしながら見る小川の土手にはワラビが見られのどかな田園地帯が広がっていますが、小川の中洲には柳の木が生い茂りほんの少しの増水でも川の蛇行する箇所では簡単に田んぼにまで水が入りそうで心配です。そうしたことが無いように坂田地区でかつては村民総出で危険な場所を川や用水だけではなく山や畑や道路の全てに目を光らせて将来の想定外の事象に対して備えていたものと思われます。
個人を制限するメカニズムが用水というはっきりと目に見える形で水となって田んぼに流れてきて私たちのご先祖さまはある一つの時代を作ってきたのだろうと想像します。おそらく千年単位で続けられてきたであろう坂田地区のようなコミュニティーが日本を形作ってきたのだと思いたい。想像したい。証拠がないけれどそんなことを体感できるのが田んぼ仕事の醍醐味です。こんな妄想をこきながら、ただひたすらに畦を塗り田植えに備える日々が当分続きます。



2011年5月8日

田んぼの記録1


苗作りもほぼ順調に進んでいます。明日からはいよいよ田んぼの耕運が始まり、田植えに向けて忙しい日々が続きます。しばらくこのページは田んぼの予定や記録に終始すると思います。
田んぼの枚数は34枚、面積で言うと三町三反ほどになります。現在は農地の集約化と合理化等のせいで耕地整理され昔の田んぼ面積の基本単位である一反=約300坪の田んぼは私たちの住む中山間地=いわゆる僻地でしか見れなくなりつつあります。で、一町とは一反の田んぼが10枚合わさった単位ですが、よろみ村は要するに33反の田んぼをやっているわけです。長方形の田んぼもだんだん増えて来ましたが、まだまだ小さな田んぼもあって効率とは遠い部分を抱えてやっております。
当地にて田んぼをやり始めて30年が過ぎましたが、当時現役バリバリだった与呂見在の方々も田んぼを引退される方が増え、そうした人が引退されると、いきなり用水まわりの草刈や整備が追いつかずになってしまい、その度に無償というか誰かに対価をもらうわけでもないのに村を切り盛りしてきた無数の方々の努力の上に田んぼをさせてもらっているという気持ちが沸いてきます。ほんとにご苦労様でした。なんとか出来る範囲で静かな田園風景がいつまでも見れたらいいなあと思います。
というわけで明日からはそれぞれに個性的な田んぼの紹介をしていこうかと思います。