2011年3月18日

自分のことです


夏目漱石の散文にこういうのがありました。正確なテキストは全集を探せばよいのですが、それよりも自分の記憶の方を信頼して書きます。
人間の世の中は今あるものを修復するという程度ではなんにもならない。個人の努力ではどうにもならない。(むしろいいところがよりよくなるのと同じくらいわるいものも、もっと悪くなる。)世の中全体が水の奥底に沈んで、洗い流されない限りそれは不可能である。
というように記憶しています。現在東日本、東北地方でそれが現実に起こってしまったように感じます。だとすればあり得ないことが起こっていることを、痛感します。こうした分析など実際に地震と津波と放射線被害といくつもの不安に晒されながら活きている方々からすれば、被災していない人の不謹慎な暇つぶしに過ぎないに違いありません。
ただテレビを見ながら「かわいそうだ」「かわいそうだ」としか言えなくてかける言葉もありません。気持ちのあり方そのものが変ってしまったような感じがして、確かに食うのにも困っていませんし、寒さに震えているわけでもありませんし、放射能への恐怖も多分に観念的であるのかもしれませんが、一体何が起こっているのだろうと考えること自体が揺れています。テレビに映る少女の「お父さん、お母さん」という言葉が耳を離れません。にもかかわらず、今少女に何が起こっているのか想像することすらできません。
少女が自らの言葉で、自分に何が起こったのかを大人になって語ってくれる物語をかろうじて夢見ています。大人になった少女の言葉はきっと漱石にも届く気がします。